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● 2007年01月
□07/01/31号: 電車で座る技術(北陸線恐るべし編2)
□07/01/29号: 電車で座る技術(北陸線恐るべし編)
□07/01/26号: 電車で座る技術(遠回りして帰ろぅ編)
□07/01/23号: 実家の台所の日本地図のナゾ(五新線:後編)
□07/01/20号: 実家の台所の日本地図のナゾ(五新線:前編)
□07/01/17号: このシュプール号は確か乗るはずだったような・・・・
□07/01/15号: 30年前の放課後(リニアの運転士は時速500キロで泡を吹いた?編)
□07/01/12号: デジカメの進化
□07/01/11号: 琴電の立派な軌道
□07/01/08号: 遅ればせながらリニモに乗ってみました
□07/01/05号: 琴電は複線化準備中?
□07/01/02号: クルマに乗って金比羅参り
□07/01/01号: クルマに乗って初詣

★07/01/31号:
 電車で座る技術(北陸線恐るべし編2)

 Webmasterは、ここ最近、週に1度くらいの割合で北陸の福井に出かけるのだが、週に一度だと切符の手配をすっかり忘れているときもある。木曜出張。前日になって切符のことを思い出して駅のみどりの窓口に行った。

 駅の窓口にて。
「明日のサンダーバード3号、京都から福井まで、禁煙ください。」
駅員 「禁煙は満席ですね。喫煙席ならありますけど。」
「じゃぁ、グリーン車は空いてますかぁ?」
駅員 「はい、ありますよ。」

 朝は前後の列車にずらしにくいこともある。新手の増収策か。北陸線、恐るべし。

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★07/01/29号:
 電車で座る技術(北陸線恐るべし編)

 Webmasterは、最近、月に1度くらいの割合で北陸の福井に出かけるのだが、もうすぐその出張である。金曜日。ということで、3日前の火曜日に切符を買いに駅のみどりの窓口に行った。観光なら1か月前発売の段階でも買えるが、ビジネス利用だと、まぁ、こんなもんだと思うが、はてさて・・・。

 駅の窓口にて。
「金曜のサンダーバード15号、京都から福井までください。」
駅員 「禁煙ですかぁ?」
「はい」
駅員 「んん・・・・、禁煙は満席ですねぇ・・・。喫煙席ならありますけど。」
「えぇ・・・っ。じゃぁ、グリーン車は空いてますかぁ?」
 今回は面倒なので、金で解決する方法を選んでみた。
駅員 んん・・・・、グリーンも満席ですねぇ・・・・。

 北陸線、恐るべしである。東海道新幹線ですら、お盆のピーク時でもグリーン車の1席くらいは空いている。これじゃぁビジネス利用できないよぉ。増結してください > 山崎さん

 結局、ちょっと遅くて車両の古い「雷鳥17号」ということになった。座れる理由は、ここに書いた3つ目と4つ目の理由であろう。こっちの方が揺れが少ないので、まぁ、いいか。30年前の子どもの頃と同じ車両のような気がするので、さすがにそろそろお別れが近いかもしれない・・・

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★07/01/26号:
 電車で座る技術(遠回りして帰ろぅ編)

 Webmasterは、最近、月に1度くらいの割合で北陸の福井に出かけるのだが、福井に限らず、関西から北陸方面に出かけるのはなかなか大変である。

 何が大変かというと、切符がとれないのである。往路はまぁ、何とか席を確保できるのだが、それでも当日は難しく、数日前の段階でも、みどりの窓口で「最後の1席でした」などと言われることもある。

 問題は復路である。観光利用の場合は往路、復路とも時間をきっちり決めてから出発することが多いのだが、ビジネス利用となると往路は会議等の時刻にあわせて出発すればいいものの、復路は会議が長引いたり、現場で別件が発生したりなどと乗るべき列車をあらかじめ決められないことも多い。席が取れないからと言ってあらかじめ指定席を確保してから出張に臨んだりすると、結局、早めの列車の予約を取っていた場合には予定の列車に乗り遅れたり、遅めの列車の予約を取っていた場合は早めの時刻に用事が終わっても早めの時間帯の列車の席が満席で予約の変更がきかなかったりすることが多い。結局、復路のチケットを買わずに出かけることが多くなる。

 福井から大阪方面に戻るには、「サンダーバード」か「雷鳥」に乗るが、夕方でも両者あわせて1時間に2本しかない。さて、満席の場合はどうするか。空席は2時間半後の列車にしかないとか言われると、途方に暮れてしまう。福井だと始発の列車もないし、座れない場合は2時間立ちん坊なので、自由席利用はギャンブルである。

 比較的簡単な方法は、エクストラチャージを払う方法である。つまり、福井からなら2千円ほど余分に払えば、よほどのことがない限り満席にならないグリーン車に乗れるので、これを利用してしまう。タクシーに数キロ乗るのと大して違わないので、駅で2時間時間をつぶすよりは効率的である。

 もう一つの方法は、昔のルートで帰る方法である。「サンダーバード」や「雷鳥」は琵琶湖の西側の湖西線という実質的な北陸本線の高規格別線を走るが、1975年以前は、北陸と関西を結ぶ特急は米原経由で走っていた。ということで、比較的すいている名古屋行きの「しらさぎ」に乗って米原まで行き、そこから新快速に乗り換えるとほぼ確実に座れる。

 なお、米原から新幹線に乗るという方法もあるのだが、そんな客は希なので、すみやかに乗り換えられるようなダイヤにはなっていない。そのため、新幹線に乗り換えると高い割には早く着かない。”速い安い”の新快速の威力絶大である。サンダーバードに乗るよりもこちらの経路の方が安い。ただし、いくら威力絶大とはいえ、遠回りなので、1時間ほど余分に時間がかかる。

 大阪と福井の間で見ると、現在、「サンダーバード」と「雷鳥」は大阪着8時28分から23時12分まで、1日あたり片道28本のようである。福井について言えば、名古屋方面の「しらさぎ」を加えると、45本になる。

 今を去ること四十数年前の1964年9月、つまり東海道新幹線が開業する直前の東海道本線の時刻表では、名古屋方面から大阪に到着する列車を数えると、寝台専用列車を除き、朝8時半から夜11時半までの間に大阪駅に到着するのは次の列車である。

 急行第2せっつ、準急比叡1号、準急第一伊吹、急行さつま、準急比叡2号、準急比叡3号、特急第1こだま、準急比叡4号、特急ひびき、特急第1富士、準急比叡5号、特急第1つばめ、急行六甲、急行第1宮島、急行いこま、準急比叡6号、急行桜島、急行なにわ、急行ちくま、急行霧島、準急比叡7号、特急はと、急行第1せっつ、急行西海・雲仙、準急第2伊吹、特急第2こだま、急行よど、急行阿蘇、特急第2ひびき、特急第2富士、準急比叡8号、急行高千穂、特急第2つばめ、以上33本である。北陸方面から米原で合流して大阪に着く列車(急行日本海、急行第1加賀、急行ゆのくに、急行立山、急行きたぐに・奥能登、急行第2加賀、特急白鳥)をあわせると41本になる。

 なんだか、現代の北陸線が新幹線開業前夜の東海道本線とよく似ているのは気のせいだろうか。どうしてできない、北陸新幹線。

#東海道本線で指定席を確保しにくかった時代、京都から東京に行く場合は、まず西の大阪駅に向かい、2時間くらい前から自由席乗り場で"スタンバイ"したそうである。(大先生談)

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★07/01/23号:
 実家の台所の日本地図のナゾ(五新線:後編)

 Webmasterは、年に1度程度、高校へのご挨拶回りで、和歌山の新宮に出かける。ほとんどの場合は、電車で行くのだが、1度だけ自動車で行ったことがある。

 大阪からの経路は、紀伊半島西側の海岸沿いに進むのが標準的なコースであるが、Webmasterの自宅付近に走っている国道168号が起点と終点が、なぜか枚方市と新宮市なので、168号をほぼ、そのまま南下したことがある。以下はその際に見た光景である。

 左の写真は、五條市内の写真である。古ぼけた高架橋が架かっているが、これがどうやら五新線である。もちろん、使われていない。五条駅から分岐して南下している。

 五條から168号に沿って車で進んでゆくと、明らかに鉄道の構造物が何カ所かで見られる。例えば右の写真は西吉野であるが、今にも列車が走ってきそうである。

 さらに進むと、道路沿いにぽっかりとトンネルが口を開けているところもある。これは大塔村内だっただろうか。

 右の写真は国道168号のトンネルであるが、明らかに道路用に掘られたものではない。おそらく、使わないことが確実になったトンネルを道路用に転用したものである。狭くて対向車との行き違いがしにくい。

 国道から確認できるのはこのあたり(大塔)までだが、西吉野と大塔の間には標高差を稼ぐためにループ線も計画されていたようで、別の地図でそれが記されていたのを見たことがあったと思う。

 この路線、結局は日本国有鉄道の経営破綻に伴って建設中止となり、今に至るのだが、こういう路線が日本全国にはいくつもある。もったいないなぁ。

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★07/01/20号:
 実家の台所の日本地図のナゾ(五新線:前編)

 盆や正月にWebmasterが実家に帰った際、楽しみにしていることがある。それは、台所の壁に貼られた日本地図を見ることである。

 この日本地図、メインは左上のカレンダーであり、地図はカレンダーの「絵」である。そのためか、地図は実にいい加減で、見ていて楽しい。

 例えば、紀伊半島であるが、一見、特に変わったところはないのだが・・・って、JR線がいまだに白黒シマシマで描かれていることから、この後の展開を想像してほしい。よく見ると、奈良県の五條付近がちょっと変である。

 この付近の鉄道路線は、東西にJR和歌山線が走り、西隣の橋本から南海高野線、東隣の吉野口から近鉄がそれぞれ連絡するのだが、五条駅そのものからも南に何やらにょろにょろと延びている。

 こ、これは「五新線」ではないか!

 「五新線」の「五」は「五條」の「五」、じゃぁ「新線」は五條の新線かというと、さにあらず。「新宮」の「新」である。

 つまり、奈良県五條市から南下し、西吉野や大塔、十津川を経て、太平洋側の新宮まで至る路線である。もちろん、出来上がっていないし、今後もその予定はない。かつて、そのような計画があり、一部工事も行われた路線である。

 この白いシマシマの区間については、工事が実際に行われて路盤やトンネル・橋梁などもできている。もったいないので、現在はバス道として使用されているようである。

 新宮側については、特に工事が行われた様子はないのだが、五條方面に通じる国道沿いに、「五新」という地名があるのが面白い。

 歴史に"もし"はあり得ないが、もし開通していたら、日本有数の秘境を走る鉄道になっていたことであろう。

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★07/01/17号:
 このシュプール号は確か乗るはずだったような・・・・

 今日で阪神淡路大震災から丸12年である。つまり、前回の亥年の1月17日である。当時はまだハッピーマンデー法がなかったが、成人の日の1/15が日曜であり、翌16日もお休み、連休明けの早朝のことであった。

 いつでもどこでも寝られるwebmasterには珍しく、前夜は一睡もとれず、京都市内のアパートの窓を時々開けては何故か真昼のようにピカピカと輝く満月を確認した覚えがある。そして、さすがに若干の眠気をもよおした頃、カタカタ、カッタン、カッタン、カッタン、カッタン、カッタン・・・・

 最大年間500回の有感地震のある和歌山県北部で育ったせいもあり、足元が震源の地震とそうではない地震の区別は容易につく。これは足元が震源の地震ではない。震源は遠くだ。しかも、もし、もう一段強い地震なら生命の危険を感じるほど揺れは大きい。これは、まずい。

 テレビによると神戸が震度6だという。よく神戸の震度がなかなか出なかったと言われるが、それは正しくない。地震後10分ほどで神戸が6だということは流れていた。単に東京の本局が把握していなかっただけである。東京でどんな情報でも手に入れられると思い込むのは、あまり賢い考え方ではない。

 その後の大惨事については、神戸で直接被災した方の各種の記録を見ていただいた方がいいので割愛するが、3日後の1/20に徒歩で東灘区まで向かった際に見つけたのが右の写真である。つまり列車の脱線現場。

 実はこの列車は乗車予定であった。当時明石市内(いや加古川だったかな)に住む友人K君と、長野方面にスキーに行くことになっていた。往復シュプール号という夜行スキー列車利用のツアーに申し込んでいた。ところが、このK君の仕事が忙しく、直前になってスキー計画自体キャンセルせざるを得なくなった。

 もし、予定どおりにスキーに出かけていたなら、私が京都で降りた後、K君はここ(西宮市内)で列車の脱線に遭遇していたということになる。幸い、この列車の乗客でお亡くなりになった方はいなかったようであるが、どこでどのような事態に遭遇するかは、予想もつかない。

 どこまで歩いても、壊れた家々が続く光景、鳴り響き続けるサイレン、なおも燃え続けるいくつかの火災、「やぁ、生きていたか」という人々の会話、今思い出しても情緒を安定させることができない。

#西宮市内の葬儀屋の駐車場で、大量の棺を組み立てていた光景が目に焼き付いている。

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★07/01/15号:
 30年前の放課後(リニアの運転士は時速500キロで泡を吹いた?編)

 30年前の小学生が信じていたリニアに関する"都市伝説"である。

 当時は東海道新幹線が開業して10年以上経ち、山陽新幹線も博多まで開業し、東北・上越新幹線の槌音も聞こえていた時代である。そして、次なる未来の乗り物にも関心が高かった。

 「なぁ、しってるかぁ? リニアーモーターカーって、500キロで走るんやで。東京から大阪まで1時間で走るんやけどなぁ、あんまり速すぎて、運転士が口から泡を吹いて死んだらしいで。親戚の子ぉがゆうてた。」

 もちろん、ウソである(東京-大阪間はおろか、写真のような人間の乗る場所のない実験装置と言っても良いようなものが走るか走らないかというレベルの時代である)。そう言いながら同級生が指さした図鑑の画には、確かに「モーターカー」と書いてあった。どうしてその指先の画の乗り物が500キロで走ると信じられていたかはナゾであるが、小学生は信じていた。確かに、黄色い、センターキャブの工事用の機関車は、「モーターカー」と呼ばれることがあるんだが・・・

 今思えば、当時は「みんなが大人になる頃には、リニアモーターカーが時速500キロで走るようになる」と言われていた。そして、今、子どもにその言葉をそっくりそのまま言っている。出張は、まだ東海道新幹線だ。技術は完成したようである。どうしてできない、中央リニア新幹線。

#ゆっくり走る”リニア”はいくつかできた。

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★07/01/12号:
 デジカメの進化

 どうでもいい話であるが、最近のデジカメの進化はものすごい。

 左の写真は、最近買ったデジカメで撮った月の写真であるが、望遠鏡で撮ったものでもなければ、一眼レフに望遠レンズを取り付けたものでもない。

 コンパクトタイプのデジタルカメラを手に持って、ズームして撮っただけである。暗部との境目付近にはクレーターの凸凹まで写っている。右下の大きなクレーターから放射状に伸びる白い線も写っている。もちろん、ウサギの形が確認できるのは言うまでもない。

 10年以上前、最初に買ったデジカメは、シャッターボタンを押してから実際にシャッターがおりるまで、実に数秒から十秒くらいかかるものだったため、全く使い物にならなかった。次に買ったものでは、月の形が何とか確認できるレベルだった。その次のカメラでは月を写したことはなく、今回買ったものではこんなにきれいに写る。しかも"手持ち"である。

 屋外に持ち出して写真を撮るときも、これまでは暗くてボケボケだったような場合でも、写るようになった。

 先日の記事の瀬戸大橋の記事の緩衝装置の写真は、電車の運転席背後から走行しながら、橋と橋の境目の薄暗い部分に設置された部分を写したものである。これまでのカメラだと、まず写らない。

 使う人が多いものはどんどん進化する、ということである。

#6年前に写した月の写真を発見。その差歴然。→ → → →
 このまま進化すると、"怪しい飛行物体をとらえたら、日本製の模型飛行機にコンパクトデジカメが積まれていた・・・"ということになるのか?

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★07/01/11号:
 琴電の立派な軌道

 琴電に乗っていて感心したのは、軌道が立派だったことである。

 左の写真は、高松市内の琴電の拠点駅である瓦町であるが、ホームが真新しくて、しかも線路の真上に大きな百貨店がのっかっている。

 まぁ、この大きな駅ビルがちょっと前に琴電の運命に大きな影響を与えたようなのであるが、感心したのはこの駅ビルではなくて線路である。

 左の写真の線路・・・ちょっと暗くてわかりにくいが、コンクリートまくらぎが採用されている。地方私鉄でも、列車本数が多いところはコンクリートまくらぎであることは珍しくないが、右の写真でもコンクリートまくらぎである。ここは本線ではなく、途中駅の行き止まり式の側線であり、ゆっくりとしか列車は走らない。

 JRの線路の場合、本線部分であっても木製のまくらぎが使われているケースは、左の写真のように珍しくない。

 コンクリートまくらぎは、高速運転する路線でよく使われるとともに、木製のものに比べて寿命が長いので、敷設後の補修が少なくて済むが、それなりの投資は必要である。なかなかそこまで投資が行き届かない鉄道会社が多い中、琴電はかなりの部分でコンクリートまくらぎが使われているように見える。

 本業は丁寧な仕事をしているように見える。

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★07/01/08号:
 遅ればせながらリニモに乗ってみました

 何を今さら・・・ではあるが、愛知万博で活躍したリニモに乗ってみた。日本の工業をリードする地域だけあってか、中部圏は不思議な乗り物の宝庫である。足回り部分を除けば、ごく普通の新交通システムである。

 都心側の始点は、名古屋市営地下鉄の大動脈東山線の終点である藤ヶ丘となっている。愛知万博の際には、リニモに乗るために長い行列ができたようであるが、片や大量輸送機関の代名詞、地下鉄。しかも、名古屋で一番忙しい地下鉄である。

 いっぽう、リニモは写真のとおり、こじんまりした車両をちょこっとだけつないで走る交通機関なので、リニモに乗る段階で長い待ち時間ができて当然ではある。

 リニモは、10分間隔で出発。ピーク時は7分ヘッドのようである。始発の藤ヶ丘駅は地下になっており、ホームドアがついているのでここではリニア駆動なのか、タイヤ駆動なのかなどなど、さっぱりわからない。お約束通り、一番前の席に陣取って出発進行。

 運転席には乗務員が座っているが、基本的には何もしない。見てるだけ。完全な自動運転のようである。地下線を抜けて、地上に出た最初の駅である"はなみずき通"で乗務員下車。地下線区間だけ安全確認のために乗務しているようである。この先、地上区間は完全自動運転になる。

 リニアモーター駆動なので、いちおう浮いているはずだが、乗り心地としては特にフワフワした感じがあるわけではない。リニモはJRが開発中の500km/h走行のリニアモーターカーとは浮上方法が異なっている。JR方式は超電導の強力な磁石の反発力を使って10センチほど浮上するのに対し、こちらのリニモは通常の磁石の吸引力を使う。

 右の写真は、開発中のリニモ・・・というかHSSTであるが、レールと磁石の間の隙間がかなり小さいことがわかる。吸引力の場合、そのままにしておくと、磁石とレールがくっついてしまうが、センサを使って隙間が小さくなりすぎると磁石の力を弱めて隙間を大きくするという制御が行われている。

 都市交通機関としてリニアモータを使うときの最大の特徴は、急勾配が使えることであろう。鉄の車輪とレールに通常のモーターを組み合わせた普通の鉄道では、勾配があまりにも急だとレールの上を車輪がスリップしてしまい、登れない。

 リニアモーターの場合は、地上側のコイルや板と車両側のコイルの間とで力を伝達するので、鉄同士の摩擦力に頼る必要がない。なので、通常方式よりは急勾配を登れる。急勾配を登れるということは、路線の線形を自由にとれるということなので、トンネルや高架橋を最小限に抑えたりすることができるの、建設費を安く抑えられる可能性がある。

 HSST開発中の段階の話では、軌道はモノレールよりちょっと安め、車両はモノレールよりもちょっと高め、全体ではモノレールと同程度、という話だったと思うが、リニモの建設費はキロあたり114億円なので、結局、モノレールの1.2倍、新交通システムの1.4倍、ただし、多摩都市モノレールよりは安めということのようである。

 さて、万博が終わってしまったが、建設資金の回収はできたかな?

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★07/01/05号:
 琴電は複線化準備中?

 高松市内から金比羅参りに行くには、JRか琴電に乗って行くことになるが、琴電に乗っていると不思議な空間(でもないが)が線路に沿って続く。

 右の写真は交換設備のある駅から単線区間の線路を写したものであるが、よく見ると、駅構内を外れたところで不自然に左に線路が寄っている。その分、線路の右側には、すぐにも軌道工事ができそうな空き地が続いているのが写っている。

 さらにその先には、道路(国道11号)を線路が越えるように立体交差工事が行われているのだが、拡大してよく見ると、線路1本分にしてはやけに幅の広い高架橋になっている(さらにその上に架かっているのは高松自動車道)。

 下の写真は国道193号との交差部分であるが、草が生えてたりしていてわかりにくいが、やはり線路の右側にはもう一本軌道を増設できる空間が空いている。この空間は、高松市外縁部の一宮駅まで続く。

 この写真をさらによく観察すると、国道の跨線橋が、線路1本を超すには橋桁が奇妙に長いことに気がつく。通常、この手の工事はやり直すと無駄が多いので、将来の計画を見越した設計がなされるケースがほとんどである。ということは、やはり複線化の準備だろうか。さらによく見ると、跨線橋の下には真新しい停車場が設置されている。ホームの位置は線路用地に見える空間そのものであるので、このままでは線路を増設することはできなさそうである。

 たぶん、であるが、線路を増設して複線化する際には、このホームはいったん撤去し、2本の線路の外側にホームをそれぞれ設置する計画なのだろう。国道の跨線橋が、線路1本を超すには妙に橋桁が長いのは、線路2本と駅のホーム2面を一気にまたぐためであろう、などといろいろと考えてしまう。

 廃線跡をたどって、いろいろと懐かしむという趣味があるようだが、線路際の構造物を見ながら、いろいろと推理する、というのもまた楽しい物である。

#もっとも、推理などしなくても国道の跨線橋の設計書さえ見れば、おそらくちゃんと書いてあると思う。

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★07/01/02号:
 クルマに乗って金比羅参り

 クルマに乗って"お詣り"で思い出した光景がある。

 写真は香川の金比羅さんであるが(お宮は山の上)、ここも鳥居を自動車でくぐることができる。まぁ、こういう例は少なくないが、もともとは自動車でくぐるようなところではなかっただろう。よく見ると、大きな青い案内板は鳥居に取り付けられている・・・

 金刀比羅宮の最寄りは琴電とJRの琴平駅であるが、駅前の通りは自動車が通過しているものの、よく見ると石畳である。石畳に自動車用のラインが引かれている。

 もともとは、駅で降りて、駅前の石畳を通って鳥居をくぐり、金刀比羅宮に行くのだったのだろうが、興ざめというか、様変わりというか、それだけ鉄道利用者が減ったということなのだろうか(※)。

 なお、今のところ金刀比羅宮の石段が多すぎるので自動車アクセスを検討中・・・という話は聞かない。お詣りは、そこに行って手を合わせるまでのプロセスもお詣りの一部である。

(※) 正月は初詣用の臨時電車も走るようである。

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★07/01/01号:
 クルマに乗って初詣

 正月は初詣、なのだが、Webmaster帰省先の一つ、クルマ社会の名古屋都市圏では初詣もクルマである。

 エレベータにまでクルマのまま乗ってしまうお土地柄なので、往復クルマは当然だが(※)、問題はそれだけではない。

 道路からの参詣道は沿道に灯籠が並ぶものの、完全に車道と化している。そのまま鳥居をくぐり、駐車場と化した境内に到着。出入りのクルマでちょっとした渋滞すら発生している。

 さすがにドライブスルーにはなっていなかったが、風情も何もあったものではない。

 便利といえば便利だが、なんだかねぇ。いっそ、ショッピングセンターの横に移転した方がマシかも。

 車社会で失われるものは、環境だけでは無いことを痛感した正月であった。

(※) 満員乗車なので、CO2排出量は概ねプリウス級になり、エコ的には大きな問題なし。

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