京阪電鉄京津線(京都市)


 京都市営地下鉄東西線開業にともなって廃止となった京阪電鉄京津線京津三条〜御陵間です。
(1)  京阪電鉄京津線は京津三条駅から大津市の浜大津までの路線だった。三条〜蹴上間と日ノ岡の西側から御陵までが路面区間であった。京都市営地下鉄東西線の開通にともない、三条〜御陵間が廃止となった。
(2)  京阪電鉄京津線は2面2線、昼間時は15分間隔で準急と普通が運転されていました。 準急は路面区間の停留所には停車しないので、ステップのない700形などが使用され、路面区間の停留所にも停車する普通には80形が使われていた。
(3)  京津三条を出るとすぐに右に曲がり、三条通を東進する。
(4)  1978年まで、東山三条では、京都市営の路面電車と交差していた。
(5)  白川を渡る。この橋の横に豆腐屋があり、落とし物を拾ってもらったことがあった。移転したのだろうか、今はもう無くなってしまったようだ。
(6)  蹴上に近づくと、だんだんと登り勾配になってくる。蹴上電停は観光シーズンになると人でいっぱいになる。
(7)  蹴上の近くには学校もあるので、通学する人でもいっぱいになる。路面区間の停留所に停車する80形には、低いホームから乗降するための収納式のステップがついていた。
(8)  夕方なので、蹴上は観光客でいっぱい。(その1)
(9)  夕方なので、蹴上は観光客でいっぱい。(その2)
(10)  列車のすれちがい。(蹴上)
(11)  蹴上から先は専用軌道になる。九条山駅方向に向けて、かなりの急勾配である。
(12)  蹴上浄水場の北側を通る部分の勾配は1000分の66.7つまり、30メートル進んで1メートル上るというものであった。 実は同時期に廃止された信越本線の横川軽井沢間と同じくらい急な勾配であった。
(13)  九条山をすぎると下り勾配になり、勾配区間が終わるまで専用軌道が続く。 ここまで、並行する府道は3車線で、時間帯によって中央の車線の走行方向が変わるという珍しい区間だった。
(14)  勾配区間が終って山科盆地にはいると、再び併用軌道になる。
(15)  併用軌道上にあった日ノ岡停留所。待合室が道路外にあり、電車が近づくとホームに出てゆくというものであった。
 右側の写真からもわかるようにこの区間では軌道敷内への乗り入れが許可されており、日ノ岡停留所付近では軌道敷内で右折待ちする自動車が多く、京阪の社員が交通整理を行っていた。
(16)  併用軌道は御陵駅手前まで続くが、御陵駅から先は専用軌道になっていた。
(17)  御陵駅から先の専用軌道は、現在、遊歩道になっているようだ。
(18)  御陵駅と京津山科駅の間には、旧国道1号を横切る踏切があり、日常的に渋滞を発生させていた。
 現在、御陵駅は地下鉄東西線との接続駅となったため地下化されており、この踏切をすぎたところまで地下線になっており、踏切は廃止されている。
(19)  新設された地下線はこの踏切の東側で地上に出て、京津線の専用軌道に接続されている。 京津三条駅からこの地点までが京都市営地下鉄東西線の開業によって廃止となった。
(20)  ここから先は廃止にはなっていないので、今も地下鉄東西線乗り入れ電車が走っています。 ただ、写真のような緑色の電車はもう走っていない。
(撮影日:1997年9〜10月)
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