今年になって新北九州空港と神戸空港が開港した。いずれも需要があるのか無いのかといったことがニュース等の話題になりがちであるが、少なくとも他の地方空港よりは営業の条件は良いんじゃないだろうか。どちらも母都市は政令指定都市であり、百万人以上の人口を抱えている。県内全部あわせて百万人というような空港とは立地条件が違う。(もっとも、最初の設備投資がかかりすぎで、企業会計的には苦しいかもしれないけど)
ところで、このような話題が報道されると、競争原理が働いてサービスが良くなる、などという主旨の内容のことがよくある。新幹線との競争で、新幹線のサービスも良くなる、などというスタンスの内容のこともあったような気がするが、それだけでいいんだろうかと思う。
確かに客へのサービスという点では、競争相手があるのと無いのとではずいぶん違うように思われる。ところが、そういう競争を通じて航空シェアが増えてしまったらどうなるだろう。
「続、鉄道会社のコマーシャル」にも書いたように、航空機は残念ながらその優雅さとは裏腹に、あんまり環境によろしくない乗り物である。いくら乗客サービスが良くなっても、このご時世、運輸部門から排出される二酸化炭素量が増えるようなことがあってはまずい。
単に自由競争バンザイというわけにはいかないこの”航空vs鉄道”、ほっといても良いんでしょうか。ヨーロッパじゃぁ、鉄道で運べる区間は鉄道に、という傾向になりつつあるように思うんですが・・・ > 国土交通省殿
日曜の夜に(具体的な番組名は書きませんが)環境意識啓発番組がある。まぁまぁ、いい番組である。十分、子供に見せてもいい番組である。
ところが、この番組、ご存じのように世界的大手自動車会社の提供番組である。30分ほどの番組の中で何度か自動車のCMが割って入る。これが実にミスマッチな気がしてならない。
このCM、時々「私たちは環境のために○○○を始めました」という主旨のメッセージが含まれている時があるが、地球大気を汚し、都市の安全環境を悪化させているのは自動車である。自ら火をつけて(まぁ、いろいろ反論はあろうかと思うが)、自ら火を消していることをPRするというのは、なんだか、マッチポンプのように見えてならない。
「私たちは環境のために自動車の生産を止めました」というCMを流すわけにもいかないとは思うが、地球号のことを30分だけでも心配するのなら、せめてこの番組だけは自動車のCMじゃなくて、社会貢献活動のPR程度に収めておいた方が良いんじゃないかな。
そう思ってるのは私だけ?
とある観光都市でのお話である。
昨今は規制緩和でどの都市もタクシー台数が多いようであるが、今回の話題の都市では観光客が多いので、タクシーの台数はもともと他都市より多かった。
今年6月から駐車違反の取り締まりが厳しくなったことは有名だが、駐車違反取り締まりを厳しくしても、常にドライバーが運転席にいるので、客待ちタクシーを取り締まることは、現状では難しい。
この都市で、都市内の駐車車両の実態調査をしたらしいが、市内繁華街の主要な道路は、マイカーでやってくる車の駐車でもなければ、荷物の搬出入のトラックでもなく、客待ちタクシーがもっとも車線を占有している時間が長いそうである。つまり、貴重な1車線が客待ちタクシーに占領されてしまっていることが明らかになってしまったようである。
タクシーは市民の足だと思っている人が多いが、片側2車線のうちの1車線をふさいでしまえば、通せる自動車の台数は半分になってしまい、足どころか市内の渋滞の主因になってしまう。これじゃぁ、足ではなくて足枷である。
渋滞の原因になれば、環境にも悪い。京都議定書を頭に置けば、環境に悪いことはなるべく避けたい。
どこら辺で客待ちをしているのが多いかというと、まぁ、大きな交差点の近くなのだが、特に百貨店の近くで客待ちしているタクシーが多いという。じゃぁ、いっそ百貨店の駐車場で客待ちをすれば良いんじゃないかという話もあるが、今のところ、そういうふうにしている百貨店は無さそうである。
北米の鉄道がどうやら脱線が多そうだという話はだいぶ前にしたが、その話の続きである。
親子3人でカナダのVIA Railに乗る機会が多かったのだが、3人で乗車すると2人席を向かい合わせにした車端の席に案内されることが多かった。日本では列車の非常口は窓の下に開口部があったり、特定の窓が開閉したりするようになっていることが多いが、カナダの鉄道車両にはそれが無かった。代わりに車端の席の窓にハンマーが備えられており、非常時には窓を割って脱出することになっている。
さて、そのハンマー常備の車端の席に案内されるとどういうことになるかというと、車掌がやってきて「今から、非常時の脱出方法を説明します。もちろん、安全運転するので、まず事故は起こりませんのでご安心を。でも、もし事故になったら、あなたがこのハンマーを使って窓を打ち割ってください。・・・(以下、具体的なハンマーの使い方の説明など)・・・」と説明してくれる。
同じくVIA Railの別の列車では、やはり車掌がやってきて「非常時に脱出するための列車のドアの開け方を説明しますのでこちらへ」と言われて、ドアのところに行き、どういう場合に列車の外に脱出するのか、ドアはどういう構造か(カナダの列車のドアは、開けるとステップが出てくる構造のものが多い)、どうやればドアは開くか、開いたドアから脱出したらどういう行動をとるのか、などを説明し、最後に「非常時には、あなたは人命救助の役割があるのでご協力を。ただし、事故は起こさないので、ご安心を」と締めくくってくれる。
実際にそのような協力をする機会はなかったが、最もよく使った路線の最もよく使った列車が脱線を起こしたことがある上、沿線に列車の残骸を見つけたこともあったので、妙に緊張感があった。日本では航空機に搭乗した際に非常口のそばの席だった際にそのような説明を受けることがあるが、列車に乗ってそういう機会にはまず出会えない。それだけ安全ということなのだが、その安全感、信頼感がこれからも続くことを望む。
通勤で使うJR線駅での光景である。「学研都市線」という名前を付けてもらうくらい沿線の学校が多いかどうかは定かではないが、駅前のバス停で通学のためにバス待ちをする学生の列をよく見かける。「学研都市」は京阪奈丘陵のあたりを指している関係もあり、大学はこのJR線から少し離れた丘の上に建っていることが多い。丘の上の学校、学研都市の学校といえば聞こえは良いが、不便なバス通学を強いられる学生諸君には気の毒である。
さて、このバス待ちの学生数が多いと、時にはバス1台では収まりきらないことがある。そうすると必然的に次のバス、ということになるのだが、よく見るとバスにはまだ少し乗り込む余裕がありそうである。通路全体で詰めればまだ数人、いや頑張れば10人は乗れそうである。でも乗らない。
この光景に最初に気がついたのは、女子学生の多い学校の最寄り駅だったので、女性は痴漢やらを心配して混んだバスに乗り込みたがらないのかな、などと思っていた。ところが、こんどは男子学生の多い学校の最寄り駅でのバス待ちの様子も同じ様子である。つまり、もう少し乗れそうでも乗らない。昨日もWebmasterの勤務する大学のシャトルバスでも似たような光景を見た。こちらは併設の高校の学生も乗れるのだが、混んでくると次を待って乗っている。次のバスは20分後なのに、である。
どうやら学生諸君はある程度以上混んだバスに乗るくらいなら、10分か15分待ってでも次のバスに乗った方がマシだと思っているようである。混んだバスで揺られるのは我慢ならないということなのだろう。年配の方ならこの光景を見て「最近の若いモンは、足腰が弱い」という結論なのかもしれないが、揺れの激しいバスで立ちたくないというのは老若男女共通の思いなのでは無かろうか。
とかく都市交通機関はどれだけ多数を運ぶかに執心し、快適さは二の次になりがちである。けれど、学生諸君の行動を見ると、そのような "1900年代的発想" はもう止めてほしいと言っているように見えるのは気のせいだろうか。
明日から仙台出張であるが、それにあわせてかメーリングリストで仙台都市圏のパーソントリップ調査報告書ができたという連絡を頂いた。
パーソントリップ調査というのは、大都市圏の交通調査のことで、どこからどこへ、どういう目的で、どんな交通手段を使って移動したかなどを調査したものである。そういうわけで、パーソントリップ調査の報告書というとたいてい、自動車を使っている人が何%、鉄道を使っている人が何%、という類のグラフが並ぶのが通常である。
ところがこの報告書であるが、本編はいろんな図や表が並ぶが、概要版についてはタイトルが「暮らしやすい仙台都市圏をめざして」はともかく「まちづくりと交通政策そして交通行動への提言」という副題が付いている。単なる調査結果報告書のダイジェストではなく、今後の交通政策のビジョンを示しているようである。
中を開けると、「はじめに」「目次」はお決まり事として、次に「都市構造を考える、公共交通を考える、交通行動を考える、財政制約を考える」という4つの見出しが目に付く。おやぁ、どこかで見かけたようなお話である。”自動車利用+郊外立地”→”公共交通利用+公共交通軸への市街地集約”とも書いてある。さらに現況の調査結果を図示するページの見出しには「仙台都市圏はこれまでのまちと交通のあり方を見直す時期にさしかかっています」とも書いてある。
どうやら、富山だけでなく、仙台も梶を切りはじめたようである。福井市の市長の個人のウェブサイトにも”コンパクトシティ”の文字が見える。ついにみんな、梶を切りはじめたようである。何かが動き出したようである。気のせいかな?
線路のバージョンアップはさっぱりだが、道路のバージョンアップは今なお進行中である。例えば、左の写真は和歌山県西南部であるが、線路の上にかかっているのは阪和自動車道の南進部分である。今はもう開通しているはずである。
写真には青緑色のこぢんまりした電車が写っているが、これはJR紀勢本線を走る電車である。和歌山県下を走るJRの電車は、紀勢本線の北部区間を除き右の写真のような電車が走っている。この電車は首都圏で地下鉄乗り入れ用の通勤電車として走っていたものを改造して使っているが、改造後既に20年以上を経ている。トイレもなく、特に県南部の区間では大幅に不評で、確か県議会でも取り上げられたのではなかったかと思う。
青緑の電車は、多少ともそのような状況を改善すべく投入されたと記憶しているが、同時期に北部を走る電車もグレードアップしている(・・・といっても改造車だが)。グレードアップした電車は特に内装に力が入れられ、トイレ設置はもとより、固定式の椅子だったものを背もたれが移動するタイプに変更したりして、ずいぶん快適になっている。
ところが、このグレードアップした電車が走っているのは、どうやら紀勢本線の北部と中南部が中心で、南部から東部にかけての区間や紀ノ川に沿った和歌山線では、相変わらず右のような電車が走っている。これらの区間ではまだ並行する高速道路は開通していない。
奇しくも、グレードアップ電車が走っているのは、高速道路が開通した区間とほぼ一致する。自動車に客を取られまいとして車両をきれいにしているようにも見える。確かに、その判断は一応、正しい。けど、普通電車の敵は高速道路じゃなくて一般道路であり、高速道路ができる前から対応していないと後手である。客は高速道路開通前から自家用車に流れているのではないか? 高速道路がライバルになるのは特急電車であり、ついでに書くと航空機のライバルは新幹線である。
耐用年数まで使わなければならないという事情はわかるが、せめて内装ぐらいは時代に合わせないと、高校生以外乗ってくれなくなってしまう。鉄道は安全な輸送サービスが第一であるが、客観的に見て古いな、ぼろいなと思う車両は、やっぱり選択されなくなってしまう。これは和歌山県下の電車だけの話ではない。大手民鉄の電車でも、時々そう感じることがある。Quality of Lifeということが重視される昨今、電車はその生活の10%くらいの時間を過ごす空間であることを忘れてはいけない。
どうしてバスの待ち時間が異常に長いことがあるかについては、なかなか来ないバスのナゾ(発車標準時刻表の悲劇)で書いたが、道路の混み具合のほかに乗務員の勘違いというものも存在するようである。
15分おきに運転されるバスで、始発停留所発が毎時02分、17分、32分、47分だったとしよう。運転席の時計の下一桁の2を見て、思い違いで47分発のバスが42分に出発してしまったなどということもあり得るかもしれない。鉄道なら保安装置があるので早発はしにくいが、バスは乗務員の注意力だけに頼っているので、鉄道などに比べると発生しやすいのではなかろうか。
もし、5分早発してしまったら、定時にあわせてバス停に来た人は丸々15分待たされるはめになってしまう。まぁ、安全上は特段問題はないだろうが、乗客はひどく怒って、次からは自家用車で出かけるかも知れない。早発防止装置というのは、昨今の進んだ技術ではさほど難しいわけではないが、どういうわけか、あんまり普及しているようには見えない。バスの信頼を高め、環境対策の一環にもなるはずだが、事業者も監督官庁も気づいてないのだろうか?
(余談)日本では例は少ないように思えるが、航空便は遅れそうになると発着時刻を"Revise(修正)"することがある。利用者から見れば単なる遅れとしか思えないが、統計処理上のからくりがあるのかも知れない。(カナダで、「鉄道はよく遅れるが、飛行機はよく時刻を修正する」というプレゼンしたら、笑ってました。)
国道42号は和歌山市から紀伊半島をぐるっと回って松阪に至る国道であり、海岸線に沿っているので、風光明媚ではあるが運転はかなり大変である。現在は伊勢湾口道路のことを意識してか、松阪が終点(起点?)ではなく、鳥羽から海を渡って渥美半島を経由し、浜松に至る道路となっている。そこまでするなら、紀淡連絡道路も意識して起点を和歌山ではなくて徳島にすればいいんじゃないかとも思うが、国道の起点終点を工夫しても、昨今のご時世では長大橋梁建設はかなり難しいことにかわりはあるまい。
さて、国道42号を走っていると、何カ所かにこんな看板が立っている。
「紀伊半島にミニ新幹線を」
書くだけなら「紀勢新幹線の早期実現を」でもいいと思うのだが、ミニ新幹線とは実にささやかな希望である。
新幹線の計画は、整備計画と基本計画の2段階のものが公式な計画であるが、滑稽に聞こえるかも知れないが構想レベルでは「紀勢新幹線」という新幹線も存在していた。整備計画による新幹線は整備新幹線のことであり、具体的には東北新幹線の盛岡から北の部分、その延長であり札幌までの北海道新幹線、東京から高崎・長野・北陸をまわって大阪までの北陸新幹線、九州博多から長崎までの路線と鹿児島まで路線の九州新幹線の5線区である。
基本計画路線はあまり有名ではないが、以下の12路線がある。有名なのはリニアモーターカーで建設しようとしている中央新幹線くらいなものであり、あとは現状では具体化にはかなり遠い路線が並ぶ。奥羽新幹線については”ミニ新幹線”として山形や秋田と東北新幹線を結ぶ路線改良が実施されているが、事実上、基本計画線は当てにならないという地元の判断なのであろう。
紀勢新幹線は基本計画路線にすらなっていないので、実現可能性は限りなくゼロに近い。ならば「ミニ新幹線を」という話であるが、これはいくつかの障害を取り除けば実現はできそうである。秋田や山形に向かう”新幹線”という名前を付けてもらった在来線特急と大阪から和歌山に向かって走る特急列車とでは、運行本数も提供されている座席数もほとんど変わらない。
実現最大のネックは、日本屈指の過密通勤路線である阪和線を経由しなければならないことである。阪和線はピーク時には2分に1本の割合で電車が運行されており、首都圏の中央本線の快速線と同程度の過密度合いである。大阪近郊路線では真っ先に例の”新型保安装置”が導入されている(※)。この通勤路線を新幹線にあわせて線路の幅を変えてしまうようなことができるかというと、さすがに難しい。かといって、現状では複々線化の話もさっぱり進んでいない。
じゃぁ電車の車輪の幅を変えてしまおう、そういう計画もあるが、まだ車両は技術開発途上のようである。開発完了となったとしても、東京や名古屋からの電車が、高密度運転されている東海道新幹線の線路の上を走らせてもらえるかという問題もある(※)。
つまるところ、都市間高速鉄道ネットワーク、つまり新幹線ネットワークに組み入れられても不思議のない区間でも、通勤輸送の事情とか、大都市間輸送の事情とか、もっと余裕があっても良いような部分に余裕がないために、実現が困難になっているという事情が存在する。
(※)阪和線の電車が天王寺駅の車止めに2度も突っ込んだので、新型保安装置が開発されたという話もある
(※)九州新幹線が完成しても、東京駅に乗り入れさせてもらえないんじゃないかという懸念もある
1年ぶりに訪れた日本海側のまちで手にした地元新聞(※)にこう書いてあった。
「三本柱で市街地活性化」
三本柱とは、次の三つである。
これまでの都市活性化策というと、「市街地再開発事業」「都市計画道路の新規整備」「道路拡幅」「駐車場整備」「企業誘致」あたりではなかったかと思うが、この都市の策はちょっと違う。
「公共交通の利便性向上」も「まちなか居住推進」も「にぎわい空間創出」も、これまでの各都市の施策として見かけたことはあるが、いずれもどちらかと言えば脇役で、主要施策ではなかったと思う。自動車の走りやすいまちづくりを暗に目指したまちづくりは多々あったが、公共交通主体を声高らかに宣言したまちづくりは、初めてでは無かろうか。
地方都市では、大都市に比べて人口密度が低いので公共交通の経営が厳しく、自動車の移動を優先させた都市づくりをしているケースが多い。だが、ここに来て少し風向きが変わってきたようである。
自動車を使って移動すると、移動は楽である。楽なので、ついつい移動してしまう。そうすると、まちの形態は施設(公共施設や商店、オフィス、工場、病院等々)ごとに大規模な駐車場を備えた自動車対応型の都市となり、施設もあちこちに散在した形態になってしまう。こうなるともはや自動車以外の手段で施設を訪れるのは困難になり、日本で最も自動車利用が盛んな都市圏では「”○○健康の森”には自動車でしか行けない」という笑えない状態まで出現する。
ただでさえ人1人を単位距離だけ運ぶ際の二酸化炭素排出量が多い自家用車を、長距離走らせることになってしまうので、環境にもすこぶる厳しい都市形態となってしまう。厳しいのは環境だけではない。長距離の移動をするということは、そのための道路をつくらなければならないということである。大規模な駐車場を備えなければならないということである。
誰が整備するかというと、駐車場は施設の持ち主であるが、道路は自治体か国がつくる。ところが、道路はタダではない。つくったら維持しなくてはならない。維持管理を怠ると、北米の道路のようにボコボコになる。雪国では除雪も必要である。
それだけではない。住宅を含めて施設が散在すると、上下水道や電力・ガス等のライフラインもつくらなければならないが、つくる距離が長い割には供給する量は微々たるものとなってしまう。
で、どういうことになるかというと、「もう、これ以上つくれません、維持できません」ということになる。そういうような背景もあって「三本柱」は出てきたようである。
この日本海側の都市は富山市であるが、市長は「電車をなくす町とは反対のことをする」と言い切っているそうである。日本初の「Rail City」宣言かもしれない。この町からも”アルプス”が見えるのだが、単なる偶然だろうか?
(※)北日本新聞06年5月20日朝刊3面
南海和歌山市駅で降りて駅前広場に立つと、目の前に「紀淡連絡道路の早期実現を」という看板が目に入る。この構想、かなり前からあるが全くもって計画が前進していない。
紀淡連絡道路というのは、紀州と淡路を結ぶ道路という意味であり、当然、海を挟んでいるので長大橋梁建設を前提としている。明石海峡大橋がタワーとタワーの間隔が約2000メートルであるのに対し、紀淡連絡道路の橋は約2500メートルを想定しているようである。大きな橋は、運ぼうとしている交通の重さを支えるというよりは、その大きな橋の形状、つまり自分自身の重量や強風による横方向の力、あるいは地震時の力を支えることが一大事である。つまり、500メートル長さが伸びるというのは25%長くなるだけなのだが、相似形だとすると重量はその三乗に比例して重くなり、その重くなった自らの重量を支えるためにさらに重くなってしまうと言う悪循環を経て、技術的には相当難しくなるだけでなく、建設費もかなり大きくなってしまう。
さて、この長大橋梁構想であるが10年以上前から調査は進んでいるようだが華々しい調査結果はあまり聞こえてこない。巨大プロジェクトというと、最近はあまり見なくなったが「○○○プロジェクト、経済効果△△△△億円」などという新聞の見出しが躍るわけだが、こと紀淡連絡道路についてはほとんど見かけない。
以下は官公庁もしくは委託を受けた調査会社の内部の会話の想像であるが、華々しい調査結果が出ないのはこういう理由では無かろうか(Webmasterの妄想によるフィクションです)。
上司 | 「××君、例の調査、もっといい数字にならないかなぁ?」 |
部下 | 「そうですねぇ、橋ができると移動時間が短くなるというロジックだと、明石海峡大橋ができて移動時間が短くなった後では時間がすでに短縮された後で、さらなる時間短縮というのは地元くらいにしか恩恵が無くて、あんまりいい結果になりません。」 |
上司 | 「う〜む、困ったなぁ」 |
しばらくして、その部下は”関西の経済団体が官公庁に対して早急に経済効果を公表するようにと要請した”という新聞記事を見て、「もしかして、俺に早くしろといってるのかな?」などと思ったが、かといって有効な方法を思いつくわけではなく、結局その仕事を辞めてしまった。 |
調査に協力した有名大学では、この調査を参考に”建設の順序によって経済効果の計算結果が変わる”という主旨の研究を行い、さらに”建設の順序によって経済効果の計算結果が変わるんだけれども、日本全国に高速道路を張り巡らす計画については、どういう順番であっても経済効果を悪化させずに建設できる高速道路は、この先、あんまり数多くはない”という主旨の研究を行ったようであり、その研究が高速道路計画の見直しの議論に影響を与えたか与えなかったかは定かでない。
さて、調査そのものは完了しても、やっぱり新聞紙上などでは「紀淡連絡道路、経済効果△△△△億円」という種の記事は見かけないので、計算方法はともかく、一般には受け入れられにくいプロジェクトだという判断がどこかのセクションではたらいたのだろう。
やっぱり我が故郷に、大きな橋は架からないのかな、、、と思うと、ちょっと複雑な気分になる。四国横断新幹線が大阪から徳島に向けて建設される際には、ぜひ和歌山経由で紀淡海峡トンネルを、などと考えてはみるが、北陸新幹線すらつながらない現状では、これまた妄想以外の何物でもない。
#「部下」君が会社を辞めた12年後、「部下」君はこのプロジェクトの調査にかかわった別会社の人など2〜3人と話をする夢を見た。皆、言葉少なげに唸りながら腕組みをしているように見えた。
スイスのチューリヒ駅に降り立つと、E型の行き止まり式ホームの根元、日本なら改札のあるあたりの天井付近に、赤い字で「Rail City」と書かれている。みずから「鉄道のまち」を宣言している。
日本でも「鉄道のまち」と呼ばれる都市はいくつかある。多くは主要な幹線が分岐するようなところで、昔から大きな機関区(機関車の車庫)や電車の車庫があるようなところである。関西なら米原などがそれにあたる。
だが、日本のような”鉄道産業に従事する人が多い町”という意味もさることながら、チューリヒの場合は”自動車に依存することなく、鉄道や軌道で移動することを目指すまち”と言う意味であろうと思われる。チューリヒの町の中は、路面電車のネットワークが発達し、中央駅前にいたる通りには自家用車が入れない区間もある。
スイスという国は、言わずと知れた山岳国である。アルプスの豊かな自然は観光産業の重要な資源であり、国策として保護しなければならない。そのような経緯もあり、スイス連邦の憲法には、環境を保全するとともにそれを持続させながら利用することなどが定められているとともに、アルプスを交通公害から守ることをうたい、そのために道路交通容量(どれだけの台数の自動車を通せるかということ)を増加させないこと、アルプスを通過する自動車を鉄道に積載して運ぶことを原則とすることなどが定められている。さらに、鉄道による車両輸送やモーダルシフト(自動車から鉄道へと移動手段そのものを変えること)、鉄道と道路輸送の結合などの方策に対して、自動車燃料消費税および高速国道使用料の一部を投入することが定められている。
日本はどうだろう。観光立国とか、京都議定書クリアとか、チームマイナス6%とか、掛け声は勇ましいが具体的なことは何かしただろうか? 「鉄道のまち」が鉄道産業依存の町の意味でなく、鉄道輸送主体の町を意味するには、まだ時間がかかるだろうか。それとも、そう時間はかからないのだろうか。その気配はあるのだが。
2〜3人連れのグループがよく陥る失敗である。こういうグループは向かい合わせの席や隣り合う席を確保したい。ところが、いざ電車に突入したら座席を選んでいるうちに席が埋まってしまい、隣り合うどころか、人数分の席を確保することすらままならなかったというケースをよく見かける。
このことは1人で乗車する場合も肝に銘じておかなければならない。ドアから離れた静かそうな席をねらうよりも、ドア横のうるさそうな席であっても確保確実な席をねらう。選んでいる時間的余裕はない。
目的は座ることである。選り好みしたいのなら、通勤ライナーに乗ろう。