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津波を避けて引っ越しした話

最近,巨大津波をおそれて,静岡県などで内陸に引っ越す人が増えているらしいが,それを聞いて思いだした話がある.うちの実家がそうだった.実家は海沿いの町にある.今は海は見えない位置に引っ越したが,かつては海まで道を挟んで5-6m(5-6kmではありません)という位置にあった.海-道-家-ミカン山.外洋に面しているわけではないので,干満はあるが波はほとんどなく,普段は至って平穏.海というよりは川の河口に実態は近い.
昭和の南海地震の際に津波が家の中まで入ってきて,畳が浮き始めたので,婆さんが小学校に上がる前の父を抱いて裏山に駆け上がったらしい.その後,30年くらい経ってから孫が生まれたのを機に内陸に引っ越し.どうして周囲に親戚の少ない,学校の校区も違う場所に来たんだろうと思っていたが,最近の公表されいる浸水予想図を見て納得した.
引っ越し元はもちろん浸水実績有りだが,現実家の位置は浸水予想図では浸水高0m.どうやら,まぁ,そういうことなのかなと.なお,昔の引っ越し前の家は,今もミカンの貯蔵小屋として使用されている.
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写真は実家から徒歩10分ほどの所.ここは左から順に国道-線路-市街地になっているが,数メートルの浸水が予想されており,国道については付け替えが計画されている.付け替え後の国道は現実家のほぼ真横を通るようである.線路(JR)についても,津波に関する訓練はここで行われたらしい.

東北に行ってみた(BRT編)

既にご存じの方も多いが,気仙沼線では被害が大きく,復旧の見込みが立たないことから,使用できる路盤を道路転用し,バス専用道化して「BRT」として運行されている.
拠点の停留所は「駅」として整備されており,それ以外についても屋根付きの停留所になるなど,バス路線の設備としては比較的行き届いているようだ.
下の写真は志津川.元の駅ではなく仮設商店街併設になっている.
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こちらは歌津駅と一般道からバス専用道への出入り口.
[map] 歌津駅 [/map]

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元々の歌津駅はこのような状態である.
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いくつかのトンネルを抜けた後の専用区間北端.
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ここから先は橋梁等破壊されている.
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IMG_5143(2012年12月現在)

東北に行ってみた(原ノ町編)

常磐線の代行バスや部分開通区間を乗り継いで来ることのできるのはここまでである,南相馬市の原ノ町駅.
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ここから先は,線路には背の高い草が生えており,復旧にはまだまだ時間がかかる様子である.
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原ノ町駅には小規模な車両基地があり,震災発生時に取り残された電車がそのまま残されている.
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(2013年11月現在)

東北に行ってみた(亘理→相馬編)

常磐線で行けるのは南側は広野までなので,いったんいわきまで戻り,磐越東線,新幹線を乗り継いで仙台へ.今度は北側からいけるところまで行ってみる.
まずは,仙台→亘理.本数は少ないながら特に問題なく到着.直接電車だけで行けるのはここまでで,ここからはいろいろ乗り継がなければならない.
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次は,亘理→相馬.この区間は不通区間なので,バス代行になっている.切符は仙台→原ノ町のものを持っているので,そのまま通しの切符を見せるだけで乗車.乗り継ぐ客は少なく,地元の人の多くはこの駅から先は自家用車で送迎というのが主流のようである.
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この区間が不通になっているのは,常磐線の線路が津波で破壊され,流されてしまったからであり,復旧にあたっては線路の位置そのものを内陸側に移設させることになっているようだ.下の写真は代行バスの坂元駅だが,「駅前」の空き地は新駅予定地のようだ.
元の駅位置はここ.

新駅はこの辺.

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新地駅の代行バス停駅の海側は,急に市街地が途切れて荒れ地が広がる.元の駅とともに市街地も消滅してしまったのだろうか.
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相馬駅着.自家用車に比べてかなり時間がかかり,亘理駅まで送迎が多いのはそういうことのようである.
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相馬→原ノ町は電車が運行中.線路の右側は原ノ町方面.左側の錆びているのは不通区間.2両編成が行ったり来たり.
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(2013年11月現在)

東北に行ってみた(広野駅周辺編)

常磐線がどうなってるのか,気になったのでいけるところまで行ってみた.まずは南側から.上野から列車を乗り継ぎ,途中で一泊していわきまで.そこから先は「広野行き」という珍しい行き先の電車に乗って終点へ.火力発電所があるところ,とか言うよりはサッカー好きの人には「Jヴィレッジ」の最寄りと言えばわかりやすいか.今やJヴィレッジは彼の発電所対応の拠点になっている.サッカー少年達はどこに行ったんだろうか.
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広野駅から先はただいま復旧工事中である. 津波で落橋したのであろうか,橋梁部分(カルバート?)も工事中であった.
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駅を降りて周辺をぐるっと歩いてみるが,海岸沿いの林は木の下半分だけが枝葉が無くなっており,津波がこの高さまで達したのであろう.駅よりも海側のうち,低地部分は建物も破壊されている.
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駅海側のやや標高が高い部分には新たに住宅地が造成中であった.海沿いで被災した方などの移転先であろうか.
IMG_3108(2013年12月現在)

東北に行ってみた(南三陸町編)

南三陸町の様子.
写真は気仙沼線陸前戸倉駅があった箇所であるが,路盤も駅施設も破壊され,そこが駅であるといわれなければわからない状態になっていた.
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当面の路線復旧は難しいようで,赤いバスが「BRT」と称して運行されている.
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北隣の志津川駅は南三陸町の中心街にあった駅であるが,周辺の市街地もろとも破壊されている.
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下の1枚目は志津川駅ホームからの市街地の様子.ほとんど何も残っていない.2枚目は同じくホームから見た南三陸町の防災対策庁舎.
IMG_5012IMG_5004(2012年12月現在)