構内配線がお好きな人には,例えば近鉄大和西大寺とか阪神尼崎とかが気になるんじゃ無いかと思うのだが,例えばスイスに行くとこういう風景も見られる.
分岐そのものは割と単純だが…どうですかね.
踏切で良く見かけるセンサー.
覗き込むとこんな感じ.横断する道路の向こう側の機器とセットで,道路上の物体を感知し,踏切が鳴っているにもかかわらず線路上に物体があると信号機を赤にしたり,専用の警告信号機を点灯させたりする.
ただ,このセンサーは自動車程度の大きさのものの感知を前提に設計しているそうで,人がいても感知できないそうである.足腰の悪い老人などが取り残されても,感知できないらしい.
だが世の中探してみると人を感知するセンサーというのは存在していて,最近時々見かけるこの横断歩道マークの道路標識,下部にライトが仕込まれていて,歩行者の接近だけを感知して点灯する.自転車で通過したりクルマが来たりしても点灯しない.
たぶん,精度の問題でまだ踏切には採用できないんだと思うが,将来的には踏切も人感センサーの設置が望まれるところである.
集合時刻の決まっている一畑電車,電車そのものもちょっと変わっている.
ヘッドマークが「木」?
電車の内装が木である.燃えやすい木を内装材として使っているのがミソだが,確か最初に使い始めたのは夜行寝台電車のサンライズエクスプレスだったっけ? 木材を難燃加工する技術を住宅メーカーとともに開発できたのがきっかけだったかと.
コンパートメント?
島根の一畑電車.残念ながら本数は多くない.路線網は,松江と出雲大社を結ぶ路線と途中駅からJR出雲市駅へ伸びる枝線とからなる.松江から出雲大社に行きたい人もいれば,JR駅から出雲大社に行きたい人もいる.JR駅から松江方面に行きたい人もいる.ということで,ちょっと悩ましい.
出雲市駅から分岐駅の川跡まではこの電車.内装が独特である.奧のピンクの電車も他の追随を許さない.車両の話はまた後日.
出発して数分で速くも終点の川跡駅.前方に出雲大社方面からやってきた電車が川跡駅に侵入しようとしているのが見える.
そして,向こう側の松江方面からも電車がやってきた.
そして,川跡駅で全方向乗り換えOK.少ない便数ながら,最大の効果.
ダイヤ編成上のポイントは,乗り継ぎ駅に同時刻に全方向から電車が集まってくるようにダイヤを組むこと.これなら参考にできる地方鉄道線も多いはず.
以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編
今回の話は,新幹線だけでなく駅一般のお話しである.今ごろになって卒論-修論-博士論の話を説明することになるとは思わなかったが,今回の話は次の第7話への前振りである.
下の図は,国勢調査が開始されて以降の5年ごとの人口増加率を市町村ごとに計算して推移を示したものであり,鉄道駅がある市町村と,無い市町村とに分けて示したものである.両者とも各群の単純平均である.
上の図は,見てのとおり,全期間を通じて人口増加率は「鉄道駅有>鉄道駅無」である.
最近は鉄道でなくても高速道路で十分に地域振興に役立つのではないかという話があるかもしれないので,駅の有無ではなく,高速道路に関して作成したものが下図である.図中に示したような分け方で推移を示しているが,1965年以降5年ごとの人口増加率が最も大きいのは「高速道路ICと駅の両方ある市町村」であり,人口増加が最も小さいのは「両方無い市町村」である.
やはり鉄道の駅があった方が優位である.
前回の第5話の新幹線駅とも共通する話であるが,「駅アリ>駅ナシ」は,いったい大阪にとって何を語っているのだろうか.
単純な話ではあるのだが,「駅アリ>駅ナシ」の状況が長期間続くとどうなるだろう.こうなる.
「駅アリ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>駅ナシ」
もちろん,新幹線駅でも同じことになる.捕らぬ狸の皮算用が得意な人たちに「三流学者の論拠のない憶測だ」と言われてはいけないので,次回,その話を詳しくすることにしよう.
つくばエクスプレスこと常磐新線.都心は全く地下鉄そのものだが…
地上に出ると近郊電車そのもの.
そしてさらに都心から離れると,何とも立派な真っ直ぐな線路.確か元々は160km/h運転を想定して計画されていた路線のはず.
その昔,全国新幹線鉄道整備法に基づいて全国的な新幹線網を構築すべしという基本計画が立てられる前,どのようなネットワーク形態が適切かを検討した際の案の一つとして,首都圏5方面に短距離新幹線を建設する案があった.
その一つは千葉方面の成田新幹線であり,整備計画にもなったが沿線の反対に遭って廃案.甲府方面への新幹線は,東京大阪間の中央新幹線計画に吸収されて消滅.
そして常磐新線は常磐新幹線計画を祖とする計画であり,高速運転が構想されていた.常磐新線160km/h運転計画はいずこへ? 競争相手がいないなら130km/hで十分という判断か?
その昔,首都圏から北陸方面へは高崎から延々と信越本線を走行して直江津へ,そしてそこから西へは北陸本線.
その後,上越新幹線ができると長岡まで新幹線,そこから信越本線で直江津,そして北陸本線で西へ.
さらに北越北線が完成すると,越後湯沢から上越線をちょっと走ってほくほく線へ.そして直江津から北陸本線.
乗換え時には,笹団子とお茶をお忘れ無く.
在来線の160キロ運転もあと少し.スピードトライアル試運転の際に入れてもらった運転席のメーターパネルには,200km/hまで目盛りが振ってあったっけ.
そういえば,在来線の高速運転の話は,その後続かないな.狭軌200キロ運転電車の開発の話はどこへ行った?
遅いぞ,ニッポンの電車.
布団に入れば一瞬で寝る特技があったはずなのだが,振替休日だった1995年1月16日の夜は一睡もできず,当時住んでいた京都市山科区の賃貸マンションから,妙に明るい満月を1時間おきくらいに眺めていた.
もうすぐ夜が明けそうだなと思いながら,うつらうつら眠気が差したその時,カタカタカタ・・・あ,地震だ.
カックン,カックン,カックン・・・これ,マズいやつや.和歌山県北部育ちなので,直下の地震の様子はよくわかる.震度大きめでも小刻みに揺れて,割と短時間で終わる.希に遠くで大きな地震があったときには揺れは小さいながらもユッサユッサとゆっくり揺れて長い.で,この揺れはユッサユッサで,しかも揺れが大きい.これ,マズいやつや.遠くで大きな地震が起きてる.
揺れが収まると同時にテレビをつける.テレビ台の上のうっすら積もった埃のせいで,10cmほどテレビがずれ動いているのがわかった.後は皆様の知るとおり.
3日後に阪急電車が西宮北口まで動いたというので,そこから徒歩で神戸に向かった.
#上から三段目右端のシュプール号は,直前にキャンセルした乗車予定列車だったことが,後に判明(京都で降車予定だったが).ひぇーっ.
ここに限った話ではないが,実質的な乗換拠点なのに,鉄道の駅が異なっていて接続していることが分からないというケースが少なくない.
大阪市内の福島区の駅.地下鉄千日前線の駅が「野田阪神」で,阪神電車の駅が「野田」,そしてJR東西線の駅が「海老江」.すべて「野田阪神前」交差点に面しているか,その地下である.「野田阪神」駅は単に「野田」と通称されることもあり,「野田」駅は「阪神野田」と呼ばれることもある.併設のバスターミナルは「野田阪神」である.
そしてヤヤコシイことに,この地図の下側(南側)にあるのがJR大阪環状線の「野田」駅であり,その駅との乗換駅は地下鉄千日前線の「玉川」である.
それぞれ事由があって,それぞれの駅名を名乗っているとは思うが,もうちょっと何とかならんかな.
#なお,阪堺電車では「南霞町」から「新今宮駅前」に改名した模様.