そういえば,かつて神戸市営地下鉄と阪急神戸線を三ノ宮で直通運転するという構想があったけど,あの話どうなったっけ?
地下鉄三宮駅から東方をのぞくと,営業線は北方(新神戸方面)に曲がっているが,直進方向には保守車両が置かれている空間がうっすら見える.ここが将来の連絡線予定空間???
東京界隈ではどんどん都市交通プロジェクトが進行しているが,京阪神圏で進んでいるのは,おおさか東線くらいか.
関西って鉄道インフラ整備弱いね.
なぜか普段の10倍もアクセスがあり,どうやらこの話が気になっている人が多そうなので,続きである.
京都・四条通、道路工事で渋滞慢性化 観光客「歩いた方が早い」 : 京都新聞.
京都・四条通は「道路工事で渋滞」じゃないよ
現在進行形の四条通の歩道拡幅事業は7年半前の「トランジットモール社会実験」が原点である.原点ではあるが,7年半前の「トランジットモール社会実験」は本物の「トランジットモール」とは似て非なるものなので,あれがトランジットモールだと信じてはいけない.別物である.
まずは,7年半前(2007/10/14)の最初の写真.烏丸通り側から河原町通り方向に歩いて行く.すでにこの写真の段階で,重大なヒントがある.説明は後ほど.
当時の交通規制内容がこれ.ここにもヒントが.
当時も左折レーンが準備されていたことがわかる写真.ただし,ここは四条烏丸交差点の東側部分で,細街路への左折レーンではない.
バス停部分.当時はバス停部分は「バスベイ」になっており,楽にバスが追い越せた.
さて,何が現在と違うか,おわかりいただけただろうか.
ということである.遠い北欧の都市街路も参考になるが,まずは原点がどうであったか再確認する価値はありそうである.
なお,当時はバスが「トランジットモール」には似つかわしくない高速度で四条通をびゅんびゅん突っ走っていた.
# 何度も言うが,本物の「トランジットモール」とは似て非なるものであり,別物である.
一応第9話までで完結しているので,番外編である.第9話までは以下のリンク先をどうぞ.
第1話-新幹線偉大なり編,第2話-産業振興vs交流編,第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編,第5話-新幹線駅が都市圏形成編,第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編,第8話-後手必敗編,第9話-東密西粗編編
2ヶ月ほど前に,こういう記事があった.
リニア延伸遅れに焦り 関西財界セミナー、京都誘致も影響 : 京都新聞.
この記事の中で,京大の藤井先生が「東京一極集中を是正するためにも同時開業が必要だ。実現できなければ大阪は18年間にわたって名古屋圏の地方都市になる」と説明したらしいが,私の感想としては…藤井さん優しいなぁ,である.
どういうことかというと,第7話-20年差が命取り編を思い出して欲しい.それまでに無かった新たな交通機関が出現するときには,20年ほどの整備時期の差がその後の盛衰に大きく影響して,後から追い付こうとしても差が縮まらなかった.
ということは,こういうことではないだろうかと思っている.
×:(同時開業が)実現できなければ大阪は18年間にわたって名古屋圏の地方都市になる
○:(同時開業が)実現できなければ大阪はたとえ18年後に開業しても半永久的に名古屋圏の地方都市になる
名古屋を再び追い越してぶっちぎるには,リニアだけでは足らなくて,新大阪駅を中心にして四方八方に高速鉄道が整備されるくらいの勢いでないといけない.単に追いつくだけでは,18年の差を埋めることはできない.
この記事の後半もなかなか興味深い.
京都がリニア誘致をあきらめない話が書かれている.リニア整備の時期が約20年差でも致命的な影響が生じる可能性があるわけなので,リニアの駅そのものの有無は未来永劫の盛衰を左右するレベルである.そりゃぁ,あきらめないだろう.
大阪の経済団体は「法律で奈良市付近を通るルートに決定しているという認識で統一されている」とのことだが,これもなかなか興味深い.
大阪は京阪神の中心,近畿一円の中心,関西の要である.(どうなるかどうかわからないが)道州制というような構想もあり,もしかしたら将来的には大阪が経ヶ岬から潮岬までについて我が事のように気を配らなければならない日がやってくるかもしれないのだが,現時点では隣の京都の盛衰は気にならないようである.かといって奈良がどうでもいいということでもない.
リニアの効果を最大限に近畿一円で受け止めながら,その全体に恩恵を巡らすような,全体合意可能な案が必要なのだが,そういったところには意識はいっていないようである.
自ら前へ前へと出る事には長けているが,他地域とうまくやってゆくのはあまり得意ではない地域性が出てしまっているのかも知れない.大阪が真の地域圏のリーダーになるには,もうちょっと修行が必要かもしれない.(逆ギレしないでね.)
こんどこそ終わり.
以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編
今回の話は,新幹線だけでなく駅一般のお話しである.今ごろになって卒論-修論-博士論の話を説明することになるとは思わなかったが,今回の話は次の第7話への前振りである.
下の図は,国勢調査が開始されて以降の5年ごとの人口増加率を市町村ごとに計算して推移を示したものであり,鉄道駅がある市町村と,無い市町村とに分けて示したものである.両者とも各群の単純平均である.
上の図は,見てのとおり,全期間を通じて人口増加率は「鉄道駅有>鉄道駅無」である.
最近は鉄道でなくても高速道路で十分に地域振興に役立つのではないかという話があるかもしれないので,駅の有無ではなく,高速道路に関して作成したものが下図である.図中に示したような分け方で推移を示しているが,1965年以降5年ごとの人口増加率が最も大きいのは「高速道路ICと駅の両方ある市町村」であり,人口増加が最も小さいのは「両方無い市町村」である.
やはり鉄道の駅があった方が優位である.
前回の第5話の新幹線駅とも共通する話であるが,「駅アリ>駅ナシ」は,いったい大阪にとって何を語っているのだろうか.
単純な話ではあるのだが,「駅アリ>駅ナシ」の状況が長期間続くとどうなるだろう.こうなる.
「駅アリ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>駅ナシ」
もちろん,新幹線駅でも同じことになる.捕らぬ狸の皮算用が得意な人たちに「三流学者の論拠のない憶測だ」と言われてはいけないので,次回,その話を詳しくすることにしよう.
以下の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
今回は東海道新幹線の影響のお話しである.太平洋ベルト地帯に位置する都市や地域に住んでいる人にとっては,新幹線は当たり前の交通機関であり,それがどんな影響があるのか…なんて,ほとんど考えたことすらないと思う.あって当たり前の交通機関.それだけに,大阪および京阪神地域では新しい交通機関の整備については意識が薄いようで,気がついたときには手遅れになりそう(と言うか,既になっているかも—いちいち逆ギレしないでね).
さて,昔々,その昔,新幹線もなければ高速道路も鉄道もない時代.街道を自らの足で歩くか,お金があるなら駕籠,あるいは沿岸航路という時代.東京-大阪間2週間という時代が下の図.
和歌山や徳島,あるいは富山や金沢といった都市が全国屈指の大都市だった理由はここにある.つまり,沿岸航路沿いの都市だったということ.このころは瀬戸内海も(徒歩に比べて相対的に)高速大量輸送軌間の交通路として使われていたため,その奧にあった陸地との接点である大阪は正に交通の要衝.繁栄するだけの地の利を備えていた.その後の鉄道整備では,瀬戸内海が便利すぎて,四国や中国地方西側,九州東側の鉄道整備が遅れる遠因になってしまうわけだが,今回の本題は瀬戸内ではなくて東京-大阪間である.以下のお話しは,15年くらい前にThe21という雑誌に書いた記事内容ほぼそのままである.
今でこそ東京と大阪を結ぶルートは東海道新幹線以外の選択肢が事実上無くなっているが,昔々,その昔,まだ徒歩移動が主体だったころは東海道ルートと中山道ルート(と,あとは海路)が主体であった.
そこで,旧東海道に沿った市町村と,旧中山道に沿った市町村とについて,人口を比べてみることにする.市町村人口は国勢調査開始の1920年以降なら正確なことがわかるので,その推移を図にしたものが下である.
棒グラフは沿線市町村人口の合計の実数で右側の軸で見る.オレンジ色の棒が旧東海道沿線の人口で,緑色の棒が旧中山道の沿線人口であり,両者に含まれる東京は抜いてある.東海道は途中から海路が含まれたりするので,岐阜県下に向けてのルートで計算し,集計対象は両者が合流する岐阜県下までである.
沿線の平地の広さに差があるので,棒グラフは最初から東海道ルートの方が大きく,沿線人口は多く,1920年以降増加し続けている.一方,中山道ルートについても人口は少なめであるが人口は増加している.
そこで,最初の1920年が1になるように,それぞれの人口を最初の1920年の人口で割った数字を計算して折れ線グラフをつくった.ピンク色が東海道ルートで若草色が中山道ルートである.
1920年以降,両者は増加しているが折れ線の推移に大きな差は無い.つまり,内陸だから人口の増え方が少ない,ということは無いということである.ただし,そのような差の無い状態はこの図の左半分についてである.
さて,上の図の右半分はどうだろうか.オレンジ色の棒グラフは伸び続けているものの,緑色の棒グラフは頭打ちになる.折れ線グラフもグラフの半ばまでは差が無かったものが,段々と口を開き始める.これは何だろうか?
そう,その開き始める時期こそが東海道新幹線の開業である.もちろん,高度経済成長も関係しているだろうが,高度成長はもう少し早く始まっている.
あらためて全体を見てみると,この折れ線グラフの「開き始め」の時期には日本の国の形が大きく変化したことは明らかである.
こういう記事がある.
京都・四条通、道路工事で渋滞慢性化 観光客「歩いた方が早い」 : 京都新聞.
確かに渋滞している(先月末に現地で確認済み↓).
新聞記事は「工事のせいだ」と言っているようだが,誰もが気になる「渋滞の先頭」に行ってみると,先頭は四条通と直交する南北方向の細街路への左折が原因であった.
つまり,横断歩行者が途切れるのを待って左折するので,原則1車線しかない「新」四条通では,その左折待ちの車が唯一の車線を塞いでしまっているようだ.
いちおう,所々にはこういった左折への配慮がされているが,左折車が多くて左折レーンからはみ出している…
…正直言って,この配慮こそが余計だと思う.四条通は右左折禁止で直進のみ,直交する街路は四条通の交差点では左折のみ可で四条通は横断禁止.(できれば河原町通も同様に自動車による横断も禁止)などとすると中心繁華街での自動車はかなり少なくなる.
何をアホなことを言っているのかと言われそうだが,実際にそうしている街路は存在していて,中心街への余計な自動車進入を事実上阻止しながらも,荷物の搬出入等の用事のある自動車はほぼ問題なくアクセス可能な街路構造が出来上がる.
下の写真はスウェーデンのエーテボリという都市の街路であるが,細街路からメインストリートへ出る交差点では右折しかできない(日本の左折相当).ほぼ全ての中心街の交差点がこうなっており,道路としてはまっすぐ続いているのに,車はまっすぐ進ませない.
別の交差点.
どうしてもメインストリートの向こう側に行きたければ,いったんこういった自動車流の処理を主眼にした外周道路に出てから向こうの街区にアクセスし直すことになる.
話を元に戻すと,京都の四条通の渋滞は,「道路工事で渋滞」ではなくて,「車線を減らしたのが悪い」のでもなくて,バスを除く自動車を中心市街に近づけさせないための自動車サーキュレーションの基本設計のまずさに起因しているのでは無いかと思う.
#1 「工事で渋滞」よりも根が深いかも.
#2 とりあえず,20-30年前の川端通りの工事中の時のように,自家用車進入禁止にする方法もある.
沖縄の鉄軌道というと,これかな.ゆいレールこと沖縄都市モノレール.那覇空港から市街まで.長距離走っているような錯覚になるが,曲がりくねっているので,実は直線距離は大した距離ではなかったりする.
終点の首里駅のその先の本当の終点.延伸計画があるが,まだ実施に移ったという話は聞かない.
元々,沖縄にはいくつかの軽便鉄道があったが,無くなってしまった.モノレールを延伸したり,通常の鉄道として建設したり,路面電車として建設したりetc…幾つも案があるのだが,まだ実現していない.
沖縄以外の場合では,都市交通整備をする際には(補助金システムは様々あるが)概ね半分程度が公費から出てくるようになっている.一方,沖縄については地元負担が10%程度で済むような補助金システムになっているようで,実は建設のハードルはかなり低い.
沖縄というと小さな島のように思う人も多いかもしれないが,実際に行ってみると細長いので結構な距離がある.現在は自家用車かバスに頼らざるをえないので,特に那覇都市圏で渋滞にかかってしまうことも少なくない.便利な交通システムの沖縄への導入はいつかな?
ちょっと前にはもうすぐ実現しそう…なんて聞いたような気がするが,今はいろいろ揉めてるのでもうちょっと先になりそうかな.
名古屋都市圏は自動車社会であるとともに,公共交通に関しては変わった乗り物の宝庫である.
これだけいろいろあるのは,好意的解釈をするなら自動車社会に対して様々な対抗策を試してきた結果であるといえよう.悪意ある解釈をするなら,結構行き当たりばったり,都市交通システムの実験場と化しているといえよう.
今回は「リニモ」である.元々は日本航空が空港アクセス用交通機関としてHSSTの名前で開発していたものである.今や航空会社がわざわざ交通機関を開発するような力量はないが,当時はそれだけの力があり,そして航空路の泣き所が空港アクセスであることをよく知っていたともいえる.
低速タイプと高速タイプがあったかと思うが,リニモとして実用化されたのは前者である.
JRマグレブが超電導磁石による反発式であるのに対し,HSSTは常電導磁石による吸引式である.上海リニアと基本的には同じ方式であり,軌道が鉄製である.
勾配には強いと言えば強いが,鉄輪式リニアも勾配には強く,特段アドバンテージがあるかというと,そうでもなかったかも.
機械ものとしては面白いが,汎用性があるわけではなく,結局ここだけ.
地下鉄東山線延ばしておいた方が喜ばれたかも
海外にも売れたという話は聞かないので,万博の展示物以上の何物でもなかったか.
古いフォルダをほじくっていたら,ピーチライナーの写真が出てきたので見てみよう.
まずは,小牧駅.列車の運転席が片側にしかないタイプなので,折り返しはループ線をぐるっと回る.しかし,土地の狭い日本では残念ながらインフラのコストアップの要因でもある.
小牧駅の発車時刻表.減便のためだろうか,中途半端な運行間隔で,覚えにくい上に実際にも使いにくい.
一見電車風の,ゴムタイヤの新交通システム.この手の不思議な乗り物,最近は導入が減ったが,お役人様が好き好んで導入したがる.背景には補助金システムが関係している.高架式のレールタイプの軽量鉄道システム(ドックランズ・ライト・レールのようなシステム)の方がいいと思うのだが,補助金が対応していないのが悲しいところ.
ここは中央案内式.開発メーカーによって互換性のない様々なシステムが存在しており,規格化すればコストダウンしやすく,普及させやすい上に後々の維持コストも下がったのになと思うが,今さら,である.
終点の桃花台は高速道路沿いであり,クルマ好きのナゴヤンがわざわざ電車を乗り継いで名古屋都心に行くかというと,怪しいところ.ナゴヤンは,栄であってもクルマで乗り付けたがる(←日々の観察結果である).
終点もループ付.ここは延伸対応の準備工事済み.もちろん,使われず仕舞いで廃線.
車両は日本車輌製の模様.
でも,車内には三菱重工のプレートが…
もうちょっと汎用性のあるシステム作ろうよ.利益を囲い込んでいるつもりかもしれないけれど,結局普及しないんだよね.普及しないから儲けにならない.
ふと気がつくと,富山ライトレールが開業して,もうすぐ丸9年,そして10年目に突入しようとしている.開業直後に富山を訪れた際,富山駅の北側の電停で待っていると,沿線利用者が会話をしている.
聞き耳を立てると,次の電車まで30分ほど待つという.PORTRAMも夜間帯は本数が少ないので,小言も言いたくなるのが人の子というもの…と思ったら,どうやらそうではない.
30分待てば電車がやってくる,ありがたい,という話のようである.なーるほど「富山港線」は1時間に1本が当たり前で,終電も早かったのに対し,PORTRAMは30分も待てば電車に乗って家に帰れる,23時過ぎまで電車がある,ありがたい,という話のようだった.
これって,営業主体工夫すればJR系の小会社立ち上げても良かったのに,そういう発想はなかった模様.ちっこい仕事はいちいちしてられねえってか?
#でも,そういう小規模なビジネスから次の一手が見えてくることもあるんじゃないのかな>大会社殿