山陽新幹線の起点はどこかというと,「新大阪」と答えるのが常識だろう.
ところが,小倉駅の新幹線乗場の線路際にはこういう小さな標識がある.
これは新大阪からの距離じゃなくて,東京駅からの距離だよね.下の写真の場所が基準.
営業上は「山陽新幹線」だが,施設管理や交通システム上は「東海道山陽新幹線」という1つの路線の西半分ということだね.
#時刻表等では東京から小倉までは1107kmあることになっているが,これは運賃計算用で,上の写真は実際の物理的な距離.
サンフランシスコの空港から市街まではBARTという鉄道に乗る.
この鉄道の券売機がくせ者であった.見かけは特に異常なし.
画面どアップ.
どやって使うんだ? とりあえず日本式に現金を入れてみるが,中心街までの切符はどうやったら発券されるのかわからない.どうやらテンキーで額を入力する方式のようではある.しかし,なかなか思うような切符を発券できるような状態にならない.試行錯誤してわかったその結果は…
…テンキーで「おつりの額を入力する」であった.
上の画面をよく見ると,「Max Change $4.95(=おつりは$4.95まで)」と書いてある.こんなところにヒントがあるとは.
わかんねぇよ.
#さらにその後,切符はチャージ式であることがわかった.
新下関駅には,将来のホーム増設用の構造物が一部存在している.
地上の山陽本線から見ると,新大阪方面の新幹線ホームのさらに西側にもう1線増設できるように準備されており,山陽本線との交差部分に橋桁を架けられるようになっている.
たぶん山陰新幹線分岐のための準備工事だと思う.「評論家」ならこれをネタに本の1章分くらいに膨らませて記事を書き上げるんだろうと思うが,実際問題としてはこの準備工事だけでは何ともならない.
昔の「とにかく新幹線を全国につくってしまえ」という時代ならともかく,今となっては山陰新幹線を建設するとしても,本当に新下関駅を分岐駅にして良いものかどうか,議論を要するんじゃないかと思われる.
情勢変化を織り込むための計画のPDCAって必要だよね.
日本の駅のホームで待っていると,ホームを貨物列車が通過して行くことがある.例えばこんな感じ.
この風景に慣れているとあんまり違和感ないのだが,フランスとかドイツの駅で待っていて,貨物列車が旅客ホームを通過して行く光景にあんまりお目にかかったことがない.もちろん,皆無ではないのだが,あまり旅客ホームを通過することは無いように思う.
旅客駅とは別線で貨物線があったり,駅の奥側に貨物用の留置線兼通過線があったりで,旅客の目の前を通過することはあまり無いような気がする.安全上の配慮だろうな.
#コンテナの台車だらけの回送列車なんかがホームに停まっていると,乗ってみたくなるよね.(でも,時々ほんとに乗って捕まってる人いるけど.)
以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編
今回の話は,新幹線だけでなく駅一般のお話しである.今ごろになって卒論-修論-博士論の話を説明することになるとは思わなかったが,今回の話は次の第7話への前振りである.
下の図は,国勢調査が開始されて以降の5年ごとの人口増加率を市町村ごとに計算して推移を示したものであり,鉄道駅がある市町村と,無い市町村とに分けて示したものである.両者とも各群の単純平均である.
上の図は,見てのとおり,全期間を通じて人口増加率は「鉄道駅有>鉄道駅無」である.
最近は鉄道でなくても高速道路で十分に地域振興に役立つのではないかという話があるかもしれないので,駅の有無ではなく,高速道路に関して作成したものが下図である.図中に示したような分け方で推移を示しているが,1965年以降5年ごとの人口増加率が最も大きいのは「高速道路ICと駅の両方ある市町村」であり,人口増加が最も小さいのは「両方無い市町村」である.
やはり鉄道の駅があった方が優位である.
前回の第5話の新幹線駅とも共通する話であるが,「駅アリ>駅ナシ」は,いったい大阪にとって何を語っているのだろうか.
単純な話ではあるのだが,「駅アリ>駅ナシ」の状況が長期間続くとどうなるだろう.こうなる.
「駅アリ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>駅ナシ」
もちろん,新幹線駅でも同じことになる.捕らぬ狸の皮算用が得意な人たちに「三流学者の論拠のない憶測だ」と言われてはいけないので,次回,その話を詳しくすることにしよう.
以下の一連の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
新幹線開業以降,東海道(旧街道)沿いは中山道沿いに比べて人口の増え方が明らかに違っているという話までした.では,その東海道新幹線の駅ができた都市はどのように変化してきたのだろうか.今回の話は前半が15年くらい前のThe21の記事の話,後半は最近の講演会等で使うスライドである.
下の図は,1)東海道新幹線の駅のできた都市,2)その隣接市町村,3)それ以外,以上の3つに沿線府県の市町村を分類し,合計の推移を1920〜1990年について示したものである.そのままの実数を示してもわかりにくいので,東海道新幹線の開業した1964年における人口を基準に同年が1になるようにしたものである.数値が1.2なら1964年の1.2倍の人口ということだ.
赤色の線で示した「新幹線駅有」については,1920年以降人口が増え続けていたが,第二次大戦中に農村部などへの疎開で人口がいったん減る.戦後,再び人口が増え始めるが,東海道新幹線の開業時期にピークを迎え,その後微減に転じる.
オレンジ色の線で示した「隣接市町村」については,1920年以降ほとんど人口に変化はなかったが,戦時中に疎開等で人口が増えたが終戦後も人口は維持され,新幹線の開業時期あたりから比較的近年まで増加し続けている.
青色の線で示した「それ以外」については,1920年代以降人口が減少し続けていたが,戦時中に疎開等で人口が増える.戦後は再び人口が減少し始めるが,新幹線の開業時期以降は人口は横這いになる.
この人口の推移は一体何を意味するのだろうか.新幹線駅のある中心都市の人口が微減で郊外が増加,すなわち都市圏が拡大して人口のドーナツ化が生じているということである.都心は業務地区,郊外は住宅という都市構造ができつつある,ということであろう.これも新幹線の影響かもしれない.新幹線は大都市圏をつくる,ということだろう.
さて,では最近開業した新幹線についてはどういう人口推移の特徴があるだろうか.整備新幹線で最も早く開業したのは北陸新幹線の高崎-長野間で,1997年の秋であった.
下のグラフは,長野県の都市(市町村合併前の旧区分)について,2005年からの5年間の人口増加率を示したものである.赤色になっているのは新幹線駅がある都市,青色は新幹線駅の無い都市,一番上の緑色は長野県全体である.
まず,県全体の人口増減という点だけについて言えば,人口は減である.つまり,新幹線の開業は長野県の人口減を食い止め,人口増をもたらした,とは言えないということである.だが,これだけで「新幹線のストロー効果ガー」と喧伝し始めるのは気が早い.
新幹線の駅ができた都市(赤棒)は長野県平均のグリーンのラインよりも増加傾向が強い.絶対的には減少していても,その程度が小さいわけである.駅が無い都市は人口減の都市が多い.これは何を意味するのだろうか.
この状態を長らく続けると,新幹線駅のある都市には人口集積が見られるものの,それ以外では人口がまばらになり,結果として新幹線駅周辺に長野県の人口分布が集約された形になる,ということだ.もし新幹線が人口を吸い出すのなら,新幹線駅周辺の人口で顕著に人口が減少しているはずだが,そうではない.減っているのは不便な都市だ.
では,その次に開業した東北新幹線の盛岡-八戸間はどうだろうか.下のグラフは長野県と同じ作図方法での岩手県のものである.ただし,岩手県下では盛岡以南の東北新幹線が1982年に開業しているので,それらについてはオレンジ色にしている.
そうすると,まず1982年に開業した区間の影響については顕著であることがわかる.1982年開業区間で駅がある都市は岩手県の人口増加率上位である.(だが,県の人口減を完全に食い止めるところまでは至っていない)
さすがに2002年に開業してた区間については2005年以降の人口構造が大きく変化するところまでには至っていないものの,旧二戸はオレンジ色の棒を除くと比較的上位だ.
青森県下でも,八戸は県全体を越えているが,県南部だけに新幹線が開通した状態なので,全般的な影響については明瞭でない.
分析年次が2005年から2010年なので,これ以降開業の新幹線については開業からの期間が短く,影響が段々不明瞭になって行く.
ということで,新幹線は駅を中心とする都市圏をつくり出しているわかる.それと同時に,新幹線だけで完全に県人口の減少を食い止めることが難しいこともわかる.
県人口はともかく,沿線都市は新幹線によって成長してくる可能性が高いため,「そんな田舎に新幹線などいらぬ」と高をくくっていると,何十年後かに立派な都市に育ってバカにできなくなる可能性がある.インフラの有り難みがわかっていない都市圏在住の方々は要注意である.
さて,大阪市内で本屋に行ったりなんかして用事を済ませ,わざわざ振り替え輸送の時間帯に帰路についてみた.
北新地駅の電光掲示…あぁあ,宝塚方面で人身事故があったようで,遅れている.想像するに,現場は非常時の訓練のような状態かも…
片町線区間ではたまに発生するが,地下線区間では大変珍しい「快速京橋行」.側面も「東西線経由」入り.
京橋到着後は,入替信号機を使って引き上げ線へ.普段の京橋止めの列車とは逆方向なので,珍しい.
ここから先は,環状線で森ノ宮,地下鉄で高井田,おおさか東線で放出という経路で迂回する.要所要所で巨大なカードを持った案内係の方が誘導するが,京橋駅での「本日の学研都市線の運転は終了しました」の声に「ええぇぇぇ…」という悲鳴に似た反応も.
地下鉄に乗る前に振り替え輸送票をもらって…降車駅で回収.
おおさか東線に1駅間だけ乗って,放出着.
そこから臨時ダイヤの学研都市線で東方面へ.
放出西側の引き上げ線を使って折り返す学研都市線の列車あり,いったん電車区に引き上げてから出庫してくる列車あり,急遽行き先を変更する列車あり,大変そうである.
普段よりも終電の時刻が1時間ほど遅く設定されており,午前1時半過ぎに長尾に着く列車が走って行って,臨時輸送体制は無事(?)終了.お疲れ様です.
次は5月らしい.