鉄道で国づくり」カテゴリーアーカイブ

東北に行ってみた(南三陸町編)

南三陸町の様子.
写真は気仙沼線陸前戸倉駅があった箇所であるが,路盤も駅施設も破壊され,そこが駅であるといわれなければわからない状態になっていた.
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当面の路線復旧は難しいようで,赤いバスが「BRT」と称して運行されている.
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北隣の志津川駅は南三陸町の中心街にあった駅であるが,周辺の市街地もろとも破壊されている.
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下の1枚目は志津川駅ホームからの市街地の様子.ほとんど何も残っていない.2枚目は同じくホームから見た南三陸町の防災対策庁舎.
IMG_5012IMG_5004(2012年12月現在)

東北に行ってみた(病院の上を越えた津波編)

石巻市雄勝に行った.
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写真の左側に小さく写っている観光バスは,震災後,中央の建物の屋根の上に乗っかっていたそうである.そのまま保存するかという話もあったようだが,それもどうだか,という話になり,バスを降ろしたらしい.グーグルマップのストリートビューでは,未だにバスが建物の上に乗っかっているようである.
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湾に面して病院があったが,今は廃墟になっている.津波は,この三階建ての病院の屋上を越えていったそうである.場所はここ.

(2012年12月現在)

東北に行ってみた(お寺は山の中腹編)

写真は大川小学校や長面とは北上川をはさんで北側対岸の地区である.こちら側も集落が消滅しており,破壊された小学校の校舎が残されている.現在は取り壊されているようである.
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校舎の三階部分も窓が破壊されており,津波がこの高さまで達したのではないかと思われる.時計が2時46分頃で停まっている.
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この校舎の左隣には体育館があり,その外壁も破壊されている(下の写真の右端)が,上部が一部残っている.この部分まで津波が上がってきたのであろう.写真のほぼ右端には長観寺というお寺が写っているが,よく見ると石段を上がったところにわざわざ建てられている.その高さが,ほぼ体育館の外壁が破壊されている高さと同じである.概ねこのあたりの高さまで確保して建築すれば大丈夫,という知恵であろうか.
IMG_4924(2012年12月現在)

東北に行ってみた(女川編)

石巻から北東方向に進むと,女川がある.原子力発電所がある地区だが,こちらは安全に停止している模様.

IMG_4478石巻から女川に向かう途中のJR石巻線が復旧工事中であった.写真は浦宿駅付近.復旧工事と言っても,路盤はともかく軌道部分についてはほとんど新設工事である.



IMG_4487女川に入る前,半島の付け根の谷を通る部分では,まだ海は見えないのに沿道の集落が破壊されて空き地になってしまっている.海まで約1km.


IMG_4514女川湾に面する山の中腹にある病院からみた湾岸の市街地の様子.中央に見えているのは鉄筋コンクリート造りの建物で,そのまま横転している.緑色に見えているのは,3-4階建ての建物の屋上の床である.


 
IMG_4621女川漁港から見た病院.山の中腹にあるにもかかわらず,この病院の1階部分までが津波で水没し,水に浮いたベッドを医師らが泳いで引っぱってつなぎ止めたらしい.想像を絶する波高である.

(2012年12月現在)

浜名湖を渡る鉄道(鉄橋観察編)

せっかく現地まで行ったので,浜名湖の鉄橋を観察してみた.舞阪-弁天島-新居町間には南から順に国道1号,在来線,新幹線,県道の橋が架かっている.ここがやられると,非常にまずい場所.戦時中には艦砲射撃をおそれて二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)を内陸側につくったという箇所.
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県道から新幹線を見ると,こんな感じだが,土木系なので,橋脚も気になるところ.
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歩道が橋の下をくぐっている部分にゆくと,こんな感じ.地盤は基本的には砂のようであり,川というよりは砂浜に近い.新幹線の橋梁の銘板を見ると,1962年に作られたもののようであった.足の長さは4.4メートル.その下はケーソン基礎(要するに,筒ですね)で14メートルの深さまで埋められているようである.「細砂」というのは地盤の種類のことか? 支持層まで達しているんだろうか? 荷重にNとPが書かれているので,旅客列車とともに貨物列車の荷重も考慮した設計になっているということであろうか.
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一部の橋脚には目盛りがついており,けた座面から水面までの距離がわかるようになっている.(ここに限らず,ほとんどの橋梁はそうなっている.)1枚目は新幹線,2枚目は在来線.この目盛りを参考にすると,いろいろとわかってくることもある.
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弁天島にある津波時の避難所.この程度の施設で大丈夫なんだろうか.
IMG_1555(2013年8月現在)

浜名湖を渡る鉄道(村櫛伝説編)

浜松市の博物館に行ってみた.そこにある展示物には,かつての浜名湖の地形を示す地図がいくつかあった.下の2枚の写真はそれであるが,白い部分が昔の陸地,青い部分が昔の浜名湖,黒実線で縁取りされているのが現在の湖岸である.かつては浜名湖と太平洋は陸地で隔てられており,浜名湖南端からいったん西方向に伸び,太平洋(遠州灘)に注ぐ河川があったようである.東海道はこの陸地,つまり砂州上にあり,橋本という地区で河川を越えていたようである.
浜名湖の湖底にはいくつもの遺跡が沈んでいるようであり,地盤が沈下していることがわかる.現在は浜名湖と太平洋がつながっており,浜名湖の水面はさほど高くないが,かつては基本的に隔てられていたことを考えると,水面はおそらく現在よりも高かったと思われる.そうすると,地盤の沈下は水面の低下以上に進行したということであろう.
現在の新幹線等は,1枚目の図の浜名湖南部を通過しており,湖面の一部を埋め立てた飛び地状の陸地を橋で渡ってゆく形態になっている.
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今切れ口(1枚目の地図の「今切」)付近から北東方向を見た様子.古い地図では湖面は見えなかったはずだが,明らかに水没している.宮城県石巻市の長面浦と似たような状況であろうか.この水没した地域にあった集落が2枚目の地図の「村櫛」に移転したという伝説があるらしい.室町時代の話.

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浜名湖を渡る鉄道(今切れ口編)

新幹線や在来線,国道1号は,静岡県下の浜名湖付近で橋を渡っている.多くの人は川を渡っていると思っているが,この部分は川ではなくて,浜名湖の一部である.下の写真は新幹線が浜名湖にかけられた橋を通過しているところであるが,このサイトのバナーの元写真でもある.
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新幹線が渡っている箇所の北側は「浜名湖」.では南側は?こっちも下の写真のように別の湖に見えるが,浜名湖の一部である.つまり列車は浜名湖の上を鉄橋で渡っているということである.橋の途中の陸地は埋め立て地である.
下の写真の赤い鳥居は観光用.ずっと奥には浜名バイパスの大きな橋が見えている.この南側の湖であるが,かつては陸地であり,今から約500年前の大地震(明応地震[1498年])で沈下してできた場所のようである.
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上の写真左側から浜名大橋付近まで行ってみる.海岸が近づくと,まだ海が見えないにもかかわらず,防潮堤があらわれる.高潮対策であろう.陸地の海抜は4メートルほど.防潮堤は1.5メートルほどなので,せいぜい6メートル程度の波高を想定した設備のようである.
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そして,浜名大橋.橋の下は川ではなくて,太平洋と浜名湖をつなぐ水路である.干満にあわせて潮が激しく出入りする.
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今度はぐるっとまわって,浜名大橋の西側に来てみる.
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こちらにも防潮堤があり,その高さは…
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やはり6メートル程度の波高を想定している.下の写真は先ほどの「水路」の反対側からの写真である.太平洋と浜名湖を隔てていた陸地が地盤沈下や津波などで水没して繋がったことから,「今切れ口」というらしい.今まさに切れてつながった入口,という意味か.
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橋の下はこんな感じなので,このバイパス道路が防潮堤として機能する…ということはあまり期待しない方が良さそうである.
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今切れ口付近から,新幹線などが浜名湖を渡っている箇所を見ると,こんな感じ.特に遮るものは何も無い.外洋から大きな津波が来ると…
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(2013年8月現在)

リニア新幹線整備の理由(昔の主張-施設老朽化&まとめ編)

  • リニア新幹線整備に関する昔の主張の最後は,「東海道新幹線の施設が老朽化しているので,新線が必要」というものである.

この点に関しては,現行計画の審議の段階でも論拠として示されている.東海道新幹線が開業して(当時)40年(そして今年は50年),施設が老朽化しているので改修が必要であり,そのためにも新線が必要というものである.
しかし,これについても改修のための資金積立の制度も創設され,現行線の改修が進められつつある.大規模な改修も東海道新幹線の運行を止めること無く進める方針が出されており,じゃぁ,どうして新線が必要なの?という素朴な疑問は解消されていない.


ということで,10年以上前には様々な必要論が展開されていたものの,実際に残った論としては以下の項目だけではなかろうかと思われる.

  1. 巨大かつ効率的な経済圏の形成
  2. 冗長性確保(南海トラフ巨大地震)

付け加えるならば,いったん引っ込めた理由ではあるものの,その後の情勢変化により復活させた方が良いもの,あるいは修正した上で主張した方が良いものとしては以下の3つ.

  1. 首都機能移転時における新首都機能のサポート
  2. 全国の皆様の移動時間短縮のためには東西大都市間の輸送能力の大幅な向上が必要
  3. 東京-大阪間に限らず,全国的鉄道ネットワーク全体の強化による都市間移動のCO2削減(モード転換の促進)

このような整備の必要論の再定義をした上で,路線整備の是非を議論した方が良かったはずだが,なんだかまるでローカル新幹線のような議論をして整備計画をつくってしまった感がある(まぁ,基本計画自体がローカル新幹線なんだけど).

リニア新幹線整備の理由(昔の主張-施設老朽化&まとめ編)

  • リニア新幹線整備に関する昔の主張の最後は,「東海道新幹線の施設が老朽化しているので,新線が必要」というものである.

この点に関しては,現行計画の審議の段階でも論拠として示されている.東海道新幹線が開業して(当時)40年(そして今年は50年),施設が老朽化しているので改修が必要であり,そのためにも新線が必要というものである.
しかし,これについても改修のための資金積立の制度も創設され,現行線の改修が進められつつある.大規模な改修も東海道新幹線の運行を止めること無く進める方針が出されており,じゃぁ,どうして新線が必要なの?という素朴な疑問は解消されていない.


ということで,10年以上前には様々な必要論が展開されていたものの,実際に残った論としては以下の項目だけではなかろうかと思われる.

  1. 巨大かつ効率的な経済圏の形成
  2. 冗長性確保(南海トラフ巨大地震)

付け加えるならば,いったん引っ込めた理由ではあるものの,その後の情勢変化により復活させた方が良いもの,あるいは修正した上で主張した方が良いものとしては以下の3つ.

  1. 首都機能移転時における新首都機能のサポート
  2. 全国の皆様の移動時間短縮のためには東西大都市間の輸送能力の大幅な向上が必要
  3. 東京-大阪間に限らず,全国的鉄道ネットワーク全体の強化による都市間移動のCO2削減(モード転換の促進)

このような整備の必要論の再定義をした上で,路線整備の是非を議論した方が良かったはずだが,なんだかまるでローカル新幹線のような議論をして整備計画をつくってしまった感がある(まぁ,基本計画自体がローカル新幹線なんだけど).

リニア新幹線整備の理由(昔の主張-環境編)

  • リニア新幹線整備の昔の主張の5つ目は,「エネルギー環境問題への対応」である.つまり,乗用車や航空機に頼るよりは鉄道の方が良い,という主張であった.

しかし,リニアは乗用車や航空機よりはマシだが,鉄輪式の新幹線よりもエネルギー効率が劣るのが実情であり,リニア新幹線計画が実際に建設されようかという昨今でも,環境保護団体等から突っ込みを入れられている.
ということで,あまり積極的な理由では無かったが,これについても,「確かにリニア単体ではエネルギー効率はさほど良くないが,鉄道ネットワーク全体を強化するものであり,自家用車や航空から鉄道ネットワークへのシフトが起こりやすくなることで,全体としてはエコ」などと主張しても良かった.だが,そういった視点で調査が行われた形跡も無ければ主張が行われたという話も聞いたことが無い.多分に自線沿線にしか目が行っていないことの表れであろうか.「幹線の中の幹線」ならば,もっと広い視野があっても良いのだが,実際はそうでも無いようである.
リニアに関するエネルギー効率に関する批判についても,東京-大阪間のエネルギー効率に関するものばかりで,リニア導入による対航空機の競争力強化によって,モードがシフトすることで都市間交通全体としてのエネルギー効率向上,という点についてはほとんど考えが及んでいない.