1931年の旅人の1日目は,このようであった.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
次はパリから出発している列車の赤印を探すことにする.そうすると,見つかった.これだ.
パリのリヨン駅08時05分発と11時ちょうど発との2つの列車に印がしてあり,左側にはパリとジュネーブに赤線が引いてある.次の目的地はジュネーブだ.
今ならTGVで東に向かってストラスブールへ,そこからバーゼルまで200km/h対応の高速在来線を南下し,そしてスイス国内を南下が最速か?.あるいはパリからリヨンまでTGVで南下し,そこからローカル線でジュネーブという経路だろうか.
旅人の経路は,パリからディジョンを経由しそのままPLM線(*)でBourg,東に向きを変えてCuloz,スイスに入ってジュネーブという経路のようだ.今なら半日もあれば十分到達できるが,この頃は1日がかりだ.
(*) PLM線…東海道新幹線に対する東海道本線の関係と,最初のTGVとPLM線の関係は,それぞれ高速鉄道と並行在来線.
リヨン駅08時05分発はEvian発着,11時発がジュネーブ行きで,両方に赤印がついているが,たぶん想像するに,早起きできたら08時05分発で出発し,どこかで途中下車して後続の11時発がジュネーブ行きに乗るつもりではなかったんだろうか.11時発の列車はスイスとの国境駅で約1時間の停車をしている.国境の検問があった時代だ.10時間あまりかけてジュネーブ着.
ということで,1931年の旅人の2日目は,このようだ.今ならこんなルート.
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)