1931年の旅人の旅程3日目である.これまでの経路はこうであった.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
次はジュネーブ発の行程を探す.あった.
次の目的地はミラノだ.パリからの列車も印が付けられており,ジュネーブで乗り換えてミラノに深夜着の便か翌朝着の便も検討したのではないかと思われるが,結局はジュネーブを10時22分発の急行で約8時間.ミラノに夕方18時02分着という便をチョイスしたようだ.12時50分発のものには×印が付いているので,何らかの理由でこれも止めたようだ.
経路は,ジュネーブからローザンヌ,ブリーク(Brig),ドモドソーラ(Domo d’Ossola)経由でミラノに達しているので,どうやらシンプロントンネルを越えたようだ.1931年の旅人は当時の世界最長のトンネルも通過した.シンプロントンネルは1905年には開通しており,1921年には複線化もされている.
トンネルをはさむブリークからドモドソーラまでの25miles=約40kmに1時間ほどもかかっている.トンネルは約20kmなので,トンネルを通過するだけで30分ほどもかかっていたことになるから,今の感覚なら青函トンネルを在来線特急で通過するような感覚か?
3日目の行程はこうだった.今ならこんなルート.
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)