1931年の旅人(ウィーン1010発)

1931年の旅人の欧州放浪の旅6日目である.これまでの推定経路はこうである.夜行便に乗っているので,実はすでに6日目に突入している.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)

ウィーンに朝着いた.次はどこへ行くのだろうか? あった.これだ.赤い印の列車の時刻は,下から上へと見てゆく.

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夜行列車でウィーンに着いたら,滞在もそこそこに,10時10分発の列車に乗っている.次の目的地はベルリンだ.ドイツの首都.まだ第二次大戦前なので,ドイツは分断されていない.

この列車の経路はやや複雑だ.ウィーン(Vienna)を出て,そのまま北に向かってプラハ経由でベルリンに向かうかと思いきや,5時間後の15時36分発になっているBohuminはウィーンの北東方向のチェコの都市であり,ポーランド国境の都市だ.もちろん,プラハ経由でベルリン行きの列車も走っているが,そういうチョイスではないようだ.

さらに進んで,18時6分着のBreslauは現在はポーランドの都市であり,ここでほぼ真西のドレスデン方面行きと北西方向のベルリン行きに列車が分割(あるいは乗換)される.この都市のある地方はドイツ領だったりポーランド領だったりしたところかな?ベルリン方面行きは18時13分に出発し,この後は北西方向に真っ直ぐ進んで22時47分着である.

ということで,6日目の行程はこうなる.都市での滞在がほとんど無く,乗ることだけが目的のような行程である.

【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

まだ,1931年の乗り鉄の旅は続く.