1931年の旅人の旅程5日目である.これまでの経路はこうであった.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
次はローマ発の行程を探す.これだ.
次はVienna,つまりウィーンだ.ローマを0時10分に出発,ウィーンに朝7時31分着.つまり再び夜行便だ.まともな宿泊をしようとしていない.正に「乗り鉄」の発想である.ボローニャを通過するのが翌朝,昼12時50分にはベニスに到達するが,ここで3時間ほどの間を開けて,乗り換えるようになっているようだ.Mestreで降りてもいいが,あんなところで降りても大したものもないので(今ならゴムタイヤトラムが走っているが),ベニスまで行っただろう.
ベニスを15時40分に出ると,進路を北西方向にとり,ウィーンに翌朝7時31分に着く.車中2泊目だ.体がかゆくならなかっただろうか.
この列車は別のページにも時刻が掲載されている.下から上にたどる.
これによると,ウィーンに到着する前に「Semmering」という文字が見える.どうやらこの列車は,今や世界遺産登録されているゼメリング鉄道を通過するようだ.(冬場の早朝なので,車窓はほとんど見えないかもしれないが…)
さて,経路を整理すると,下のようになる.今ならこんなルート.
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>
…Venice 1540 – (車中泊)(世界遺産センメリング鉄道経由)