石巻市内だが中心街の北東,北上川河口付近に行った.
多数の小学生が亡くなった大川小学校は北上川の堤防付近にあり,小学校からは北上川の様子は見えない.河口からも距離があり,海も見えない.まさか津波が堤防から溢れてくるとは想像できなかったのだろう.学校の裏山に登ったこどもだけが助かったようだが,筆者がこどもの頃から祖母に良く言われた言葉を思い出す.「大きな地震が起こったら,まっすぐ山に登れ.捜し物などしててはいけない.廊下や階段に物は置くな.足に引っかかって転べば,逃げ遅れて死ぬ.山に登るときは,山道を登っていては間に合わない.斜面の急な方向に,まっすぐ登れ.」
小学校の周囲には何も無かった.小学校は原則として小学生が徒歩で通う学校である.ということは,かつてはこの学校の周囲には学校1つ分の児童が通うに相応の集落があった.今は平らな荒れ地である.
さらに河口方向に向かうと湿地帯のような風景が広がる.野鳥が羽を休め,どう見ても湿地帯である.
ここはかつては陸であり農地が広がっていたが,大地震に伴う地形の変化で,土地が水面下に没してしまった.今は地図上でも海扱いになってしまっている.(→その後,「干拓」は進んでいる模様)
元々は海とは砂州のような地形で隔てられ,その内側の堆積平野のようなところが農地や集落になっていたようだ.津波で砂州のような部分が破壊されるとともに地盤が沈下して地形が変わり,海の一部のようになってしまっている.巨大地震ではこのような通常では考えられないようなことも発生することがあるという例である.
(2012年12月現在)