まだ続くが,そろそろ終盤が近い.
第1話-新幹線偉大なり編,第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編,第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編,第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編
簡単におさらいすると,こうである.
- 現代の新幹線網と日本の大都市の配置が極めてよく似ているので,新幹線の威力は絶大だ
- 産業振興策と比べても影響が明確で,新幹線の威力は絶大だ
- 他の交通機関に比べても施設分布との関係は新幹線が最も明瞭で,新幹線の威力は絶大だ
- 旧街道の中山道沿いと東海道沿いを比べると,新幹線ができるまでは人口の推移の差が無いのに,新幹線後は差ができるので,新幹線の威力は絶大だ
- 新幹線駅は大都市圏をつくり出している可能性がある
- 新幹線に限らず鉄道駅がある方が無いよりも人口増が大きい
- 駅の有無による差が長期続くと明確な差を生むが最初の差は明治時代〜昭和初期に生じている
さて,このような広域的な交通利便性の差は明治〜昭和初期以外にも東海道新幹線以後の全国的新幹線ネットワーク形成期にもおいて生じている.そしてこの新幹線形成時期は航空ネットワークの形成時期でもある.
じゃぁ,全国の都道府県を,明治〜昭和初期の鉄道整備期において整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,また戦後の新幹線や航空路の整備期においても整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,これらの組合せ4種で人口の長期推移を見たらどうなるだろうか,という結果が下の図である.
(※厳密には「交流可能性指標値」を計算してその変化をもとに分類しているので,単純に建設の有無等で分類したものではない.くわしくは,この辺の資料を参照.4章,6章)
まずは,分類結果がこうなる.
そして,各群の1890年以降の推移を示すと次のようになる.最初の1890年の人口シェア(全人口に対する比率)を計算して,1890年が1になるようにしたものである.
例えば,全人口が1890年に4000万人,1910年に5000万人と増えて行く過程で,ある地域の人口が400万人,750万人と増えたとする.そうすると,人口シェアは10%から15%に増えたことになり,1890年が1になるようにすると,1890年が1,1910年が1.5というわけである.
さて,その結果は…
明治〜昭和初期の鉄道整備期と新幹線や航空路の整備期(高速交通整備)の両方が「早い」群が最も人口の伸びが大きく,両方とも「遅い」群はシェアを低下させ続けている.
片方だけ早かったという群については,鉄道整備だけ早かった群の方が高速交通整備だけ早かった群の方よりも人口の伸びが大きい(というか人口のシェアの低下の度合いがマイルド)であった.
つまり,明治〜昭和初期の鉄道,戦後の新幹線等のそれまでになかった高速な交通機関の出現期には,整備が早い方が勝ち,先手必勝だということである.同時に後手必敗でもある.
じゃぁ,明治に遅かった地域が昭和にがんばって早めに整備した場合はどうだったかというと,上の図の「高速交通整備だけ早い」のようにあまり芳しくない.つまり後から挽回するのは大変だということである.
さて,大阪はどうなんだろう.次回は今後に向けた結論である.