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都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第9話-東密西粗編)

最終回であり,結論である.
第1話-新幹線偉大なり編2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編第8話-後手必敗編

最初の出発点は以下の図であるが,新幹線は地域振興に資するという単純なメッセージの他に,目新しい交通機関が出現したときには早期整備する必要があるということが重要ということである.同時に地域整備そのものよりも交通整備の方が効果が大きいということであった.

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さてさて,大阪を取り巻く交通整備であるが,今から約10年ちょっと後の2027年頃の様子は次の図のようになる.東北新幹線は北海道新幹線につながり,北海道南部までは到達している.北陸新幹線は金沢から福井を経て琵琶湖の手前まで来ている.リニアも出来ているが名古屋まで.

東京からはミニ新幹線を含めて新幹線で行けない県は中部以東ではほとんどなく,近県の茨城と千葉だけである.

それに比べて大阪はどうだろうか.九州新幹線につながる山陽新幹線はあるものの,北陸新幹線もつながってなければリニアもつながっていない.山陰新幹線や四国新幹線は当面開通できる状況にない.

これで,東京に勝てるか,というと,はっきり言って絶望的である.

府市統合のような中心都市の行政効率を上げて(ほんとに効率が上がるのかという議論すら多いが),その分を地域整備に回すことで大阪の地位が向上するのかというと2を読んでのとおり,その方法では望み薄である.加えて,効率の上がった分が存在するとして,それを地域整備にどのように回すのかすら今ひとつわからない—市に集中投資するのか,それとも府下にばらまくのか—.(大阪市長は市に集中還元させるというようなことを言っているようだが,それだと府がこの統合に参加する意義が見いだせない.逆に府下にばらまくのなら,やはり市は割を食うのか? いずれにせよ,不明な点が多いまま話が進んでいる.)

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ちなみに,大阪を取り巻く高速鉄道網整備は下の図の緑色の線のようにかなりたくさん残されている.これらが完成すれば大阪を中心とするネットワークは東京を中心とするものに遜色がなくなって国土の二眼構造が復活する.

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だが,残念ながら大阪の人は自らが頑張りさえすれば何とかなると思い込んでいるわけで,大阪以外の地域とうまくやって行くという発想そのものが無いようなのが悲しいところ.(…と指摘したからと言って,逆ギレしないでね)

以上が市販本やwebで引用されている元図の背景である.大阪都構想(府市統合)という目立つ話の陰で,大阪の長期衰退は当に今,始まろうとしている.

#逆ギレしないでね.いちいち逆ギレしていると,大事なことを話す人が少なくなってしまうので,結局損するのは逆ギレした人,という状況になると思う.日本国憲法第21条とか,日本国憲法第23条って大事だよね.

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第8話-後手必敗編)

まだ続くが,そろそろ終盤が近い.
第1話-新幹線偉大なり編2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編

簡単におさらいすると,こうである.

  1. 現代の新幹線網と日本の大都市の配置が極めてよく似ているので,新幹線の威力は絶大だ
  2. 産業振興策と比べても影響が明確で,新幹線の威力は絶大だ
  3. 他の交通機関に比べても施設分布との関係は新幹線が最も明瞭で,新幹線の威力は絶大だ
  4. 旧街道の中山道沿いと東海道沿いを比べると,新幹線ができるまでは人口の推移の差が無いのに,新幹線後は差ができるので,新幹線の威力は絶大だ
  5. 新幹線駅は大都市圏をつくり出している可能性がある
  6. 新幹線に限らず鉄道駅がある方が無いよりも人口増が大きい
  7. 駅の有無による差が長期続くと明確な差を生むが最初の差は明治時代〜昭和初期に生じている

さて,このような広域的な交通利便性の差は明治〜昭和初期以外にも東海道新幹線以後の全国的新幹線ネットワーク形成期にもおいて生じている.そしてこの新幹線形成時期は航空ネットワークの形成時期でもある.

じゃぁ,全国の都道府県を,明治〜昭和初期の鉄道整備期において整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,また戦後の新幹線や航空路の整備期においても整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,これらの組合せ4種で人口の長期推移を見たらどうなるだろうか,という結果が下の図である.

(※厳密には「交流可能性指標値」を計算してその変化をもとに分類しているので,単純に建設の有無等で分類したものではない.くわしくは,この辺の資料を参照.4章6章

まずは,分類結果がこうなる.

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そして,各群の1890年以降の推移を示すと次のようになる.最初の1890年の人口シェア(全人口に対する比率)を計算して,1890年が1になるようにしたものである.

例えば,全人口が1890年に4000万人,1910年に5000万人と増えて行く過程で,ある地域の人口が400万人,750万人と増えたとする.そうすると,人口シェアは10%から15%に増えたことになり,1890年が1になるようにすると,1890年が1,1910年が1.5というわけである.

さて,その結果は…

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明治〜昭和初期の鉄道整備期と新幹線や航空路の整備期(高速交通整備)の両方が「早い」群が最も人口の伸びが大きく,両方とも「遅い」群はシェアを低下させ続けている.

片方だけ早かったという群については,鉄道整備だけ早かった群の方が高速交通整備だけ早かった群の方よりも人口の伸びが大きい(というか人口のシェアの低下の度合いがマイルド)であった.

つまり,明治〜昭和初期の鉄道,戦後の新幹線等のそれまでになかった高速な交通機関の出現期には,整備が早い方が勝ち,先手必勝だということである.同時に後手必敗でもある.

じゃぁ,明治に遅かった地域が昭和にがんばって早めに整備した場合はどうだったかというと,上の図の「高速交通整備だけ早い」のようにあまり芳しくない.つまり後から挽回するのは大変だということである.

さて,大阪はどうなんだろう.次回は今後に向けた結論である.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第7話-20年差が命取り編)

以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編

卒論-修論-博士論ベースの話が続く.前回のお話は,人口増加率がかなり昔から「駅アリ>駅ナシ」だという内容で,前々回はそれの新幹線版だった.

例えば,駅アリの都市の人口増加が年率1%で,駅ナシが年率0.1%だったとしよう.最初がもし10万人だったとして,1年後は10万1000人と10万100人,2年後は10万2010人と10万200人………100年後は27万481人と11万512人.長期の間には明らかな差が付く.

つまり,駅アリと駅ナシという有無の差が生じている期間が長ければ長いほど,その結果としての人口の差も大きくなるということなので,鉄道整備するなら,あるいは新幹線を整備するなら,速やかに全体計画を実現する方が国土構造への影響が少ないということなのである.

さて,下の図は再び近年の人口ベスト15+新しい政令指定都市の分布図であるが,書き込んである線は新幹線ではなくて1898年当時において開業していた幹線鉄道である.100年の時を超えて,なぜか明治の鉄道と現代の大都市分布が(新幹線ほどではないが)似ている.どういうこと?

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下の図は上のカラフルな図と全く同じである.明治期に日本全国に鉄道網を建設するにあたって,初期にできたのが下の図の太線の各線である.東京-大阪間を結ぶ鉄道は今でこそ海沿いの東海道本線が当たり前であるが,実は当初は外国艦船からの艦砲射撃が怖くて内陸の中山道経由で建設しようとしていた.

だが,案の定というか,難工事でそのルートはあきらめざるをえなくなり,比較的つくりやすかった東海道ルートになった.もし中山道経由ルートが先に実現していたら,日本の様子はかなり違っていただろう.

日本海側へのルートは信越線が直江津付近まで到達,西の方では北陸線がまずは敦賀まで開通,あとは船で各地を連絡というスタイルであった.東海道本線ですら琵琶湖沿岸は最後まで開通せず,一時は滋賀県下の長浜から大津まで船で連絡という時期があった.当然舟運が便利だった瀬戸内海は最大限活用され,四国方面は船が基本,山陽本線も途中から船で九州まで連絡という状況であった.

この「船+鉄道」というネットワーク形成が結果としては日本海側や瀬戸内海沿岸西部,四国,九州東側などの鉄道の整備を遅らせてしまった面があり,後々100年にわたって尾を引いてしまったわけである.そして舟運の要に位置したのが大阪であったわけで,江戸時代まではその恩恵を最大に受けて日本最大の経済圏を形成していた.

だが明治以降は,中途半端に便利な交通機関である舟運に頼りすぎたため,大阪のその後の悲劇の遠因にもなっている.

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どういうことかと言うと,鉄道はこの後20年ほどで全国展開が概ね完了し(下の図),大正時代には全国的な鉄道のレベルの差は無くなるのだが,この時期に至る20年間については鉄道の有無の差のある状態だった.しかも全国的な人口が大きく増加していた時期であったので,差が付きやすかった.

わずか20年,この期間に近代日本の大都市圏の基礎が形作られてしまったため,100年前の鉄道網と最近の大都市の分布が似ているという状況になってしまったのである.

なお,大正期に至っても四国や九州東側ではまだ鉄道が到達しておらず,差が開き続けるという状況である.

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大正以降も鉄道は整備され続けたが,細かな路線網が充実しただけで基本はあまり変わらず,整備が遅かった九州東部や四国がようやく鉄道でつながり始める.昭和初期になってほぼ完全に鉄道網が完成したが,完成したからといって遅れをキャッチアップして追い抜く,などということは無く,差が開いた状態が固定化されただけである.

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戦後になって新幹線が整備されるわけだが,新幹線による全国ネットワークの構想は未だ一部しか整備されておらず,明治〜大正〜昭和にかけての駅有り無しの差のある状態が続いているといえる.つまり,差が開き続けている状態.

東京一極集中についても,このあたりの状況が大きく影響し続けているわけだが,この偏在した状況が当然になってしまっており,「是正」しようという動きも鈍くなってしまっている.「是正」どころか,新たに超々高速鉄道のリニアが出現しようとしており,より高次なレベルでの駅アリ駅ナシの有無の格差状態が生み出されようとしている.

ということで,今の状況は日本の国土構造にとっては「当たり前の状態」ではないんですよ.ここでモタモタしていると,エライことになりますよ.リーダーの皆さん.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第6話-駅アリ>駅ナシ編)

以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編

今回の話は,新幹線だけでなく駅一般のお話しである.今ごろになって卒論-修論-博士論の話を説明することになるとは思わなかったが,今回の話は次の第7話への前振りである.

下の図は,国勢調査が開始されて以降の5年ごとの人口増加率を市町村ごとに計算して推移を示したものであり,鉄道駅がある市町村と,無い市町村とに分けて示したものである.両者とも各群の単純平均である.

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上の図は,見てのとおり,全期間を通じて人口増加率は「鉄道駅有>鉄道駅無」である.

最近は鉄道でなくても高速道路で十分に地域振興に役立つのではないかという話があるかもしれないので,駅の有無ではなく,高速道路に関して作成したものが下図である.図中に示したような分け方で推移を示しているが,1965年以降5年ごとの人口増加率が最も大きいのは「高速道路ICと駅の両方ある市町村」であり,人口増加が最も小さいのは「両方無い市町村」である.

やはり鉄道の駅があった方が優位である.

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前回の第5話の新幹線駅とも共通する話であるが,「駅アリ>駅ナシ」は,いったい大阪にとって何を語っているのだろうか.

単純な話ではあるのだが,「駅アリ>駅ナシ」の状況が長期間続くとどうなるだろう.こうなる.

「駅アリ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>駅ナシ」

もちろん,新幹線駅でも同じことになる.捕らぬ狸の皮算用が得意な人たちに「三流学者の論拠のない憶測だ」と言われてはいけないので,次回,その話を詳しくすることにしよう.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第4話-東海道VS中山道編)

以下の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編

今回は東海道新幹線の影響のお話しである.太平洋ベルト地帯に位置する都市や地域に住んでいる人にとっては,新幹線は当たり前の交通機関であり,それがどんな影響があるのか…なんて,ほとんど考えたことすらないと思う.あって当たり前の交通機関.それだけに,大阪および京阪神地域では新しい交通機関の整備については意識が薄いようで,気がついたときには手遅れになりそう(と言うか,既になっているかも—いちいち逆ギレしないでね).

さて,昔々,その昔,新幹線もなければ高速道路も鉄道もない時代.街道を自らの足で歩くか,お金があるなら駕籠,あるいは沿岸航路という時代.東京-大阪間2週間という時代が下の図.

和歌山や徳島,あるいは富山や金沢といった都市が全国屈指の大都市だった理由はここにある.つまり,沿岸航路沿いの都市だったということ.このころは瀬戸内海も(徒歩に比べて相対的に)高速大量輸送軌間の交通路として使われていたため,その奧にあった陸地との接点である大阪は正に交通の要衝.繁栄するだけの地の利を備えていた.その後の鉄道整備では,瀬戸内海が便利すぎて,四国や中国地方西側,九州東側の鉄道整備が遅れる遠因になってしまうわけだが,今回の本題は瀬戸内ではなくて東京-大阪間である.以下のお話しは,15年くらい前にThe21という雑誌に書いた記事内容ほぼそのままである.

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今でこそ東京と大阪を結ぶルートは東海道新幹線以外の選択肢が事実上無くなっているが,昔々,その昔,まだ徒歩移動が主体だったころは東海道ルートと中山道ルート(と,あとは海路)が主体であった.

そこで,旧東海道に沿った市町村と,旧中山道に沿った市町村とについて,人口を比べてみることにする.市町村人口は国勢調査開始の1920年以降なら正確なことがわかるので,その推移を図にしたものが下である.

棒グラフは沿線市町村人口の合計の実数で右側の軸で見る.オレンジ色の棒が旧東海道沿線の人口で,緑色の棒が旧中山道の沿線人口であり,両者に含まれる東京は抜いてある.東海道は途中から海路が含まれたりするので,岐阜県下に向けてのルートで計算し,集計対象は両者が合流する岐阜県下までである.

沿線の平地の広さに差があるので,棒グラフは最初から東海道ルートの方が大きく,沿線人口は多く,1920年以降増加し続けている.一方,中山道ルートについても人口は少なめであるが人口は増加している.

そこで,最初の1920年が1になるように,それぞれの人口を最初の1920年の人口で割った数字を計算して折れ線グラフをつくった.ピンク色が東海道ルートで若草色が中山道ルートである.

1920年以降,両者は増加しているが折れ線の推移に大きな差は無い.つまり,内陸だから人口の増え方が少ない,ということは無いということである.ただし,そのような差の無い状態はこの図の左半分についてである.

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さて,上の図の右半分はどうだろうか.オレンジ色の棒グラフは伸び続けているものの,緑色の棒グラフは頭打ちになる.折れ線グラフもグラフの半ばまでは差が無かったものが,段々と口を開き始める.これは何だろうか?

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そう,その開き始める時期こそが東海道新幹線の開業である.もちろん,高度経済成長も関係しているだろうが,高度成長はもう少し早く始まっている.

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あらためて全体を見てみると,この折れ線グラフの「開き始め」の時期には日本の国の形が大きく変化したことは明らかである.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第1話-新幹線偉大なり編)

ずいぶん人に知れることになってしまった下の図(あるいは,これの亜種).元々は10年以上前の市民講座用のスライドで,その後,授業用に転用.研究室のwebサイトには実は8年くらい前から掲載されている.

転載等を許した書籍や講演会等では,今日の第1話程度の内容しか書かれず,早々に「新幹線は重要」という結論に至っているが,詳しく話すと1時間ほどかかるような内容が裏にはある.大変重要な情報なので,大阪(および近畿一円)の方は,よーく説明を理解して欲しい.この手の予期せぬ指摘をすると,逆ギレする人が大阪には多いが,キレてないで早々に対処する必要がある話なので,早く頭を切り換えて欲しい.

日本国内での発展した場所というと,東京,名古屋,大阪etc…いろいろ具体的な地名が思い浮かぶと思うが,皆さんの頭の中では,それはごく当然のこととして受け止めていると思う.だが,今から140年近く前の日本の人口ベスト15は,このような都市であった.なお,人口ベスト15というと,現在の100万人クラス以上の都市数に近い.つまり,この下の図が,かつての日本の大都市とその配置なのである.

semi-031この図の都市には,今となっては少々違和感のある都市がいくつか含まれている.北海道では,札幌が大都市なのではなくて函館である.北陸の富山や金沢は全国屈指の大都市であった.近畿では和歌山が全国的大都市であり,四国にも徳島という大都市があった.九州の大都市は北九州でも福岡でもなく,熊本と鹿児島である.

さて,近年の人口ベスト15の地図を作ってみると,下のようになる.そうすると,明治の人口ベスト15からは函館,富山,金沢,和歌山,徳島,熊本,鹿児島が「落選」する.100年以上の間に,何かが起こったわけである.

ここに新幹線の路線を書き込んでみる.そうすると,何と,「落選」した都市は新幹線から外れた都市ばかりではないか.熊本と鹿児島への新幹線はごく最近出来たので事実上は新幹線が無かった都市として考えて良い,新幹線の効果絶大なり,と言っても過言ではない.唯一の例外は札幌だけではないか.

semi-032さらに,この図にベスト15から漏れている,最近政令指定都市になった箇所を書き込んでみると…新潟,静岡,浜松,岡山,熊本いずれも新幹線上である.例外は相模原だが,ここにはもうすぐリニアの駅ができる.これは,もう,新幹線の効果は間違いない.

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というのが,基本的筋書きなのだが,かなり「途中略」になっている.その「途中略」の部分を説明してみよう.なかなか講演会等でも省略せずに話せる機会はないくらい,話が長い.全9話の予定である.

大阪が府市統合(都構想)を実現させれば大阪の衰退に歯止めがかかるのではなかろうか,と考えている人が多いものの,実は上に触れた「途中略」はそれを超えるかなり大事な話の可能性が高いと思っている.もしかしたら府と市をくっつけて都を名乗ればそれで解決できるようなレベルではないような構造的な問題が現時点で既に発生してしまっており,数十年単位でこの先,大阪(および近畿一円)が苦しみ続けることになるのではないかと心配している.

が,残念ながらこの手の話よりも内向きの議論ばかりされているのが悲しいところ.

つづく

#逆ギレしないでね.いちいち逆ギレしていると,大事なことを話す人が少なくなってしまうので,結局損するのは逆ギレした人,という状況になると思う.日本国憲法第21条とか,日本国憲法第23条って大事だよね.法律家なら知ってると思うけど.

北陸新幹線のバージョンアップ

北陸新幹線は,この先,金沢から福井方面に延伸されて敦賀までは約8年後に開業する.ルートはまだ決まっていないが,最終的には大阪に達する.

一方,速度については整備新幹線の最高速度は260km/hと法律に書かれてしまっているので,一応それにあわせて律儀に260km/h運転されているが,整備新幹線の基本的な線形は山陽新幹線などと同じく,半径4000メートルの曲線で構成されている.勾配は山陽新幹線などの15‰程度よりずいぶん急な30‰が採用されているが運転速度のネックになりやすいのは曲線である.

つまり,(一部の急勾配などを除き)北陸新幹線は山陽新幹線なみの速度(つまり300km/h)まで将来的にバージョンアップできるだけの基礎的な設計がされているとも言える.

山陽新幹線については実現はしなかったが,320km/h以上での運転が構想されていた時期もあることから,北陸新幹線についても320km/h運転というのはあながち夢物語ではない.

なお,この手の話をすると「北陸新幹線用車両は急勾配対応なので…」という話が出やすいが,ドイツのICE用の最近の高速新線では40‰の勾配に対応しながら300km/h運転しているところもあるので,それ用の車両を車両メーカに発注すればいいだけではないだろうかと思う.

#関係法令の改正,保安装置のバージョンアップ,架線設備の更新……が必要かな

北陸新幹線がガラガラ…早合点するなって

開業したばかりの北陸新幹線がガラガラだという.そりゃそうだろう.新幹線が出来たからといって即日,北陸の人が東京方面に用事が発生したり,知人が出来たりするわけじゃない.数年〜数十年かけて移動構造が変化してゆく.

今回開業した区間は長野〜富山〜金沢であるが,このルートはかつては越後湯沢乗り換えのはくたか号の経路であった.

首都圏からなら越後湯沢で乗り換えて…

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笹団子とお茶買って…

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乗って,くつろぐ.

乗車したことがある人ならわかるが,はくたか号の最混雑区間は,越後湯沢から直江津までである.席が確保できなくても,直江津を超えると空席が多くなる.そういう列車が毎時1本程度走っていた.そんなわけで元々,北陸三県下ではやや座席が供給過剰であった.

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首都圏と新潟県からから北陸三県への鉄道利用は北陸三県東側で一日約8000人である.

これが12両編成の28往復計56本,概ね毎時2-3本になった.全列車に均等に分けると1本あたり142人.1両あたり平均12人ほどになるので,「ガラガラ」は最初からわかってのことであって,徐々に客を増やしてゆく作戦であろう.

まずは,ターゲットは航空.航空による首都圏からの利用は約6600人.先の8000人と合わせると合計14600人の利用である.全部鉄道に移転すると1本あたりの客は260人,1両平均20人あまり.新幹線化すると客は2-3割増えることが多いので,そうなると1本あたりの客は325人くらい,1両平均27人になる.

忘れている人が多いが,大阪まで開通すると,今度は近畿および中京,それから首都圏から米原回りで北陸三県へは約22500人の利用者がある.8年後の敦賀開業時点でほぼこの数字は確定である.さらに客が2-3割増えることを想定すると約28000人.同じ列車本数だとすると1本あたりの客は500人くらい,1両平均42人.これだと概ねそんなものかという混み具合.

つまり,東京から金沢行きだけで北陸新幹線プロジェクトが終わるなら6両編成でも充分であるが,「ガラガラ」でも12両もつないでいるのは,そう遠くない将来に西側区間が開業することを想定しており,そのための輸送力を,現時点で確保したからであろう.

そう騒ぐなって.

新幹線との対面乗り換えが注目されて10年以上経過したんだが

九州新幹線が鹿児島付近の先っぽだけ営業していた時代,新八代で新幹線と在来線特急が対面で乗り換えできていたのは有名な話.これは便利だということで,同様の取り組みをしようと結構あちこちで盛り上がっていたんじゃないかと思うが,あれから約10年.大した設備ではないはずなのだが,1つも実現しない.

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システムの違う鉄道をホームの両側に乗り入れなければならないので,取り付け線の整備程度などはいるがフル規格新幹線建設などに比べて大幅に簡便なはずだったのだが…

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いや,べつに軌間可変装置を付けなければならないということはないんですよ.車両と装置が開発できたら後付けで付ければ良いだけで,FGTが実現するまで在来線と新幹線を接続してはいけないということはないんですよ.出来そうなところはやりましょうよ.

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長野駅から南方面とか,名古屋やリニア三重県駅から三重県南部とか,新大阪から日本海側各地とか和歌山とか,岡山を起点に各方面とか,小倉から大分・宮崎とか,鹿児島中央から宮崎とか・・・

新潟駅はいつ出来るんだったっけ?

#こういった小技についても,「整備計画」認定できるようにしようよ>国交省殿

…で,北陸新幹線の行き先表示はどうなってる?

今は九州新幹線は鹿児島中央から博多までつながっているが,新八代で乗換の時期が数年あり,その時期のか鹿児島中央駅の電光掲示は下のようであった.

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新幹線は鹿児島中央駅を出ると新八代まで運転し,そこで在来線特急に乗り換えであったが,客への案内上は「博多行き」であったというわけである.列車の側面の行き先表示も博多行きだったかと思う.列車の一体性を前面に押し出した方法であった.

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同じく,東海岸を走る特急にちりんであるが,宮崎空港駅から別府駅に向かう列車の側面の表示はこのようになっていた.

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別府で乗換だが,博多までは実質つながってますよ,ということである.

さて,北陸新幹線が開業し,JR西日本のサンダーバードは都市間連絡列車としては金沢までの運転となった.富山まで行く人は金沢で乗り換えることになるのだが,サンダーバードと北陸新幹線は客への案内上,つながっているだろうか.逆に,富山から西に向かう北陸新幹線は「金沢止まり」になってないか.

京都や大阪の人にとって「富山」は消滅してしまっていないか?
あるいは,富山の人にとって「京都」や「大阪」は消滅してしまっていないか?

気分の問題と言えばそれまでだが,けっこう重要かもしれない.