忠節橋通りから西にそれて,併用軌道から専用軌道へ.
専用軌道だが,溝付きレールが使われている.
そして忠節駅.結局,岐阜駅前からここまで,路面区間にはまともな電停は無かったということ.そりゃぁ,客減るわ.冷遇されまくり.
この駅,今はスーパーの駐車場の一部か?
ここから電車は専用軌道で黒野へ.
いささかしつこいシリーズだが,半分意地なので続ける.
この辺まで来ると道路幅員にも余裕が出てくるのだが,特段路面電車に優先的な地位が与えられているわけではない.走りたければ自動車は軌道敷内を通行しても良い状態である.
そして,忠節橋へ.今やこの橋は連節バスが走っていることはご存じのとおり.
この橋についても,優先的取り扱いはしてもらえない.
空いていればわざわざ軌道を走るクルマは少ないと言えばそうなのであるが,問題は込んできた場合である.
こういう光景,岐阜が地元の人には懐かしいかも.
そして,ここのも「命がけの電停」.徹底して冷遇されていた.
こりゃぁ,廃止になるわな.今や名古屋でもLRT導入検討する時代なんだけどな.先見の明が無かった,と言うことで.
運賃は,路面区間が170円であり,昨今の都市内交通としては比較的リーズナブルであった.
郊外区間に単線部分があるので,完全に均等間隔では無いが,毎時4本あり,まぁ,何とか使えるレベル.
だが,軌道敷内への自動車の進入が許されており,定時性には影響が出そう.このへんが公共交通に理解の無いところ.
路面電車を邪魔者扱いする前に,中心市街地の道路で交通「量」を捌かなければならない都市構造を考えた方が良かったかもしれない.(今さら,だが.)
そして再び,問題のある電停.左に写っているのはバス停.電停は,中央に写っているハッチバックの自動車の真下.カラー舗装部分.まさに命がけの電停.もちろん,ここで電車を待つことは出来ない.
電停の案内及び駅名標は,歩道際にバス停然として設置されており,ここで待て,ということだろう.
電車が来たら,車の間をすり抜けて,この緑色の部分から乗り降りしろと言うことか.命をかけてまで電車には乗らないので,これは「電車には乗るな」というメッセージと同然.安全地帯の設置が認められなかったんだろうな.
先ほどの新岐阜駅前の電停がかわいく見えてくると言う錯覚.
岐阜の市内軌道線が廃線になってから間もなく10年になろうとしている.「コンパクトシティ」のキーワードが出始めていた時期だけに,残念至極.
行政があまり協力的ではなかったという話も良く聞くので,手元のフォルダをそういった視点から検証してみよう.散策は2005年の1月である.
出発は,JR岐阜駅前から.当時は岐阜駅の高架化工事中で,駅前広場もそれに合わせて整備中.JR駅前から名鉄駅前までの区間は,このとき既に運行休止であったが,復活すること無く廃線になった.
この部分から先がJR駅前乗り入れ部分であるが,アスファルトで埋め込まれている.復活させるつもりがあるのなら,綺麗に取り外したり,準備工事をしていたりしそうなものだが,最初から復活させるつもりがなかったのかも.
この当時の市街地側のターミナル電停.名鉄駅前であるが,電停のホームは無く,路面にカラー舗装されているだけである.
ここで乗り降りしろ,と言うんでしょうか.乗るなと言わんばかりの電停であった.でも,これはマシな方であった.安全地帯の道路標識があるとともに,ポールとロープで自動車走行部分と分離はされている.
軌道線を都市交通として活用させる方策はいくらもあったが,電停がこれでは乗ってもらえない.今なら補助金で綺麗な電停が整備できるんだが,そういう都市政策は採っていなかった模様.
改築前の名鉄駅の出口から見た様子.出て右に行って,横断歩道を渡って電停へ.
悲しい廃線の知らせ.電車は邪魔者扱い.
布団に入れば一瞬で寝る特技があったはずなのだが,振替休日だった1995年1月16日の夜は一睡もできず,当時住んでいた京都市山科区の賃貸マンションから,妙に明るい満月を1時間おきくらいに眺めていた.
もうすぐ夜が明けそうだなと思いながら,うつらうつら眠気が差したその時,カタカタカタ・・・あ,地震だ.
カックン,カックン,カックン・・・これ,マズいやつや.和歌山県北部育ちなので,直下の地震の様子はよくわかる.震度大きめでも小刻みに揺れて,割と短時間で終わる.希に遠くで大きな地震があったときには揺れは小さいながらもユッサユッサとゆっくり揺れて長い.で,この揺れはユッサユッサで,しかも揺れが大きい.これ,マズいやつや.遠くで大きな地震が起きてる.
揺れが収まると同時にテレビをつける.テレビ台の上のうっすら積もった埃のせいで,10cmほどテレビがずれ動いているのがわかった.後は皆様の知るとおり.
3日後に阪急電車が西宮北口まで動いたというので,そこから徒歩で神戸に向かった.
#上から三段目右端のシュプール号は,直前にキャンセルした乗車予定列車だったことが,後に判明(京都で降車予定だったが).ひぇーっ.
ここに限った話ではないが,実質的な乗換拠点なのに,鉄道の駅が異なっていて接続していることが分からないというケースが少なくない.
大阪市内の福島区の駅.地下鉄千日前線の駅が「野田阪神」で,阪神電車の駅が「野田」,そしてJR東西線の駅が「海老江」.すべて「野田阪神前」交差点に面しているか,その地下である.「野田阪神」駅は単に「野田」と通称されることもあり,「野田」駅は「阪神野田」と呼ばれることもある.併設のバスターミナルは「野田阪神」である.
そしてヤヤコシイことに,この地図の下側(南側)にあるのがJR大阪環状線の「野田」駅であり,その駅との乗換駅は地下鉄千日前線の「玉川」である.
それぞれ事由があって,それぞれの駅名を名乗っているとは思うが,もうちょっと何とかならんかな.
#なお,阪堺電車では「南霞町」から「新今宮駅前」に改名した模様.
夢で見たことなので,ツッコミ無用である.
こんな夢を見た.その夢の中では,リニアの東京-大阪間はもちろん完成している.使いにくいと言われた品川駅はサブターミナル化し,リニアは東京駅に乗り入れている.あまりの所要時間の差があったため,東海道新幹線を使う人が少なくなり,東京駅には14-19番線の6線も必要なくなった.そこで14-15番線だけ残して残りはリニア用ホームに改造されている.14-15番線も東北新幹線と直通できるように配線変更されて首都圏内はスルー運転されており,もはや東京行きあるいは上野行きなどと言った新幹線は珍しくなっている.
致命的な被害はなかったものの,首都圏でM6クラスの直下地震が発生したことを機に首都機能の本格的な受け皿を関西に求めることになり,ある程度まとまった土地が探された.その影響もあり,リニアの名古屋以西ルートは京都と奈良で揉めていたが,京都でも奈良でもない場所にリニア駅ができることになり,同時に副首都駅になった.副首都機能の稼働開始間もなくして大地震と大津波が太平洋岸を襲い,静岡県下の東海道新幹線の海岸に近い区間では復旧に数年以上の期間を要する被害が出ている.新幹線の線路を内陸に付け替えるべきかどうかで議論が出ているようだが,結論は出ていない.
終点は大方の予想どおり新大阪駅になった.関西空港への延伸の要望はあったものの,空港アクセス客を運ぶほど線路容量に余裕がなるわけではないことが分かってきたため,関空アクセスの改善は別の方法が採用されることになった.航空ネットワークと鉄道ネットワークの結合政策の影響もある.
リニアは500km/h運転で営業開始されたが,開業後も数々のデータやノウハウが蓄積し,もう少しスピードアップできることが分かってきた.東京-大阪間67分であったものをほんとうに1時間で結ぶべく,600km/hでの営業運転が検討され始めており,試験運転では700km/hも記録されている.
リニアの完成により三大都市圏のリニア駅の拠点性が高まったので,全国的な幹線鉄道網の再編の気運が盛り上がってきており,同時に便利な鉄道網と航空ネットワークの結合も実現しそうである.
・・・と,ここまで見たところで目が覚めた.あけましておめでとうございます.