…の記念硬貨をゲット.(というか,換えてきてもらった)
東海道,山陽,東北,上越,北陸の各柄あり.
調べてみると,鉄道が記念切手になったことは過去に何度もあるけど,鉄道が記念硬貨になったのはこれが初めてかな?(瀬戸大橋とか,青函トンネルとかの記念硬貨はあったみたいだが)
全柄共通なのが反対側で,デザインとしては,これが一番カワイい.(昔の新幹線若返り工事のマークに似ていると思うのは私だけだろうか.)
尼崎の列車事故からちょうど10年である.このサイトの前身のサイトにも当時のことを記事として書いたが,今,内容を読み返してみてあんまり状況変わってないなぁと感じた.以下,その一部.
…ここの大学でも2名の学生が命を失い、10名近くがけがをした。件の列車は、事故がなければ私の自宅の横を午前10時に通過することになっていたのだが、来なかった。テレビには惨状が映し出されている。列車は確かに来ない。血の気が引いた。仕事柄、事故の規模は即座に察しがついた。それからしばらく、マスコミの方々から毎日のように取材の電話がかかってきたが、事故原因を説明させて、言葉尻を捕まえて「鉄道は危ない」と言わせたそうなものが多かった。結局、テレビ出演から記事や番組のコメント等々まで、すべて断ったのだが、鉄道事故の発生頻度についての基礎知識の少ない方が多そうであった。
自動車事故で亡くなる方は年間1万人前後である。2005年は飲酒運転の取り締まりなどが功を奏したのか、7,000人程度まで減ったようだが、それでも鉄道の乗客として事故死する方の数とは1~2桁違っている。運んでいる量が自動車の方が多いことを考慮してもかなり多い。(この大学でも毎年数名の学生が自動車やバイクの事故で命を失っている。事故でけがをする人数はもっと多くて、私のいる学科だけでも、各学年1~2人ずつ交通事故に遭っているようである。)マスコミの取材電話で、「今回の鉄道事故は確かに大惨事です。ですが、あなた方は、毎日毎日、新聞記事にもなっていない自動車事故が多数発生していることをご存じですよね? それでも鉄道の方が危ないですか?」と話すと、たいてい同意する。そして、つまらなさそうに電話を切る。確かにあれは大事故であって、まさに私が日々通勤に使っている電車(事故列車の運転士が運転する列車に私も日々乗っていたはず)が危険だったわけだが、だからといって電車通勤をやめて自動車で通勤しようというキャンペーンなど張っていただいては、かえって事故で死ぬ人の数が増えることになってしまう。100名以上の方が亡くなるような事故が発生したとしても、みんなが自動車に乗ればもっと事故死する人の数は増えてしまう。
だがやはり鉄道の事故は重大である。航空機や自動車は、鉄道に乗ることによって事故を避けることができる。だが、鉄道が危なくなっては、もはや代わりの交通機関がない。…
正しく安全面での規制が行われ,正しく設備投資していれば,防げた事故であった.後者は良く言われている話であるが,前者は今だ誰も指摘できていない.
かつて,大阪から北陸方面に特急に乗って行くと,近江塩津の手前(その後,敦賀を過ぎたあたり)での恒例行事があった.
頭上の架線から供給される電源を低圧の直流から高圧の交流に切り替えるために,いったん車内灯が切れ…
そして,再び点灯.モーターの音も少し変わった.車内灯は「電動発電機」なるもので走行用の電気から灯具用に変換されていたので,切り替え中はいったん発電機が止まったからだ.電源が切り替わって長いトンネルに入ると北陸に来たなと感じたものだ.たとえ夜でも電源は切り替えられるので,車内は真っ暗になる.
こういう古い電車ですね.
今は「電動発電機」ではなくてインバーターで低圧に変換した後はいったんバッテリーに充電して,それを使うようになっているようなので,北陸に突入したからといって車内が暗転したりはしない.
長距離列車に乗っていると,その地にやってきたことを実感させる「サイン」があるが,北陸新幹線になったら,なにがサインになるんだろうか.
#阪和線で和歌山に入る場合は「紀ノ川鉄橋」,東海道新幹線で東京に着く前には進行方向右なら「花キューピット」…etc.
今回も北海道である.下の写真の伊達市から洞爺湖の東側を経て倶知安に至る「胆振線」は比較的有名で,昭和新山の活動に伴って影響を受けたのは有名なお話.1986年に廃止されて30年近く経過するが,いい加減な地図上では切れ切れになりながらも,なぜか国鉄線?として存在している.
廃線せずに残しておけば観光路線になりそうな気がするが,国鉄末期ではそういう発想もなかっただろうな.
倶知安の西側にもナゾの路線が描かれている.予定線としては,函館本線の黒松内から寿都付近を経て岩内までが描かれており,このうち,黒松内から寿都方面には寿都鉄道という鉄道が開業していたようだ.
岩内で黒松内からの予定線は終わっているが,その右側の共和というところ付近に鉄道線を消した痕跡が残っている.実にいい加減な作図である.どうやらこれは岩内線という1985年に廃止になった路線のようであり,函館本線上の小沢から岩内を結ぶ15キロほどの路線で,上の予定線とあわせると函館本線のバイパス線のような経路が出来上がったようである.
まだこのいい加減な地図の探訪は続く.
古い地図はいろいろ面白い.
北海道の話は続く.名寄の西側にどこにもつながらないナゾの「予定線」が描かれている.朱鞠内湖付近から始まって,西は羽幌(のちょっと手前)までの路線である.これは何だ?
調べてみると,名寄から朱鞠内湖を経て羽幌までの路線が鉄道敷設法で予定されており,このうち,東の方の名寄と朱鞠内湖の間は実際に建設されて深名線の一部になったようだ.深名線は朱鞠内湖付近から南下し,函館本線の深川まで達していた.
未開業区間は名羽線と名付けられ,沿線には炭鉱があったようなので石炭輸送目的の路線と重複する羽幌付近の10㌔あまりが炭鉱鉄道として開業していたようだ.
深名線は1995年に廃止されており,この地図からも消されている.ということは,元々描かれていた深名線だけを消して予定線はそのまま地図に残したので,このような変な場所に予定線だけが残されたということのようだ(まぁ,作図がいい加減だということ).
同じく西側についても炭鉱鉄道が廃止されるとともに,接続されていた海岸沿いの羽幌線も廃止されてしまい,残ったのが地図の予定線というワケのようである.
おかげで,何かと興味深い地図になったわけだが,まだまだツッコミどころは多い.
なぜか普段の10倍もアクセスがあり,どうやらこの話が気になっている人が多そうなので,続きである.
京都・四条通、道路工事で渋滞慢性化 観光客「歩いた方が早い」 : 京都新聞.
京都・四条通は「道路工事で渋滞」じゃないよ
現在進行形の四条通の歩道拡幅事業は7年半前の「トランジットモール社会実験」が原点である.原点ではあるが,7年半前の「トランジットモール社会実験」は本物の「トランジットモール」とは似て非なるものなので,あれがトランジットモールだと信じてはいけない.別物である.
まずは,7年半前(2007/10/14)の最初の写真.烏丸通り側から河原町通り方向に歩いて行く.すでにこの写真の段階で,重大なヒントがある.説明は後ほど.
当時の交通規制内容がこれ.ここにもヒントが.
当時も左折レーンが準備されていたことがわかる写真.ただし,ここは四条烏丸交差点の東側部分で,細街路への左折レーンではない.
バス停部分.当時はバス停部分は「バスベイ」になっており,楽にバスが追い越せた.
さて,何が現在と違うか,おわかりいただけただろうか.
ということである.遠い北欧の都市街路も参考になるが,まずは原点がどうであったか再確認する価値はありそうである.
なお,当時はバスが「トランジットモール」には似つかわしくない高速度で四条通をびゅんびゅん突っ走っていた.
# 何度も言うが,本物の「トランジットモール」とは似て非なるものであり,別物である.
実家にあった古い地図.いろいろ面白い.
北海道の帯広の西側,狩勝峠付近.すでに新狩勝峠トンネル経由の新線になっているが,新得から足寄に向けて「国鉄の予定線」が描かれている.(よく見ると,今はなき士幌線と池北線も細い線で描かれている)
どうやら新得から上士幌までは北海道拓殖鉄道という路線で,戦前に開業し,昭和40年代に廃止になった路線のようであり,その先の足寄まではやはり予定線があったようである.
狩勝峠のさらに西側にも「なんだこれ」という予定線が見える.根室本線と石勝線をショートカットしている「予定線」がある.日本国有鉄道紅葉山線という路線名だったようだが,当然未完成である.