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モノレールはなぜ遅い?

再びモノレールの話である.

羽田空港に行くモノレールはそうでもないが,それ以外のモノレールはとっても遅い.鉄道の速度は主に曲線での遠心力による転倒とか,直線部分での蛇行動による脱線などが制約要因だったかと思う.だが,モノレールについては,この写真のように…

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…がっちり軌道をつかんでいるので,乗客の乗り心地の問題とか,高架のカーブで停止した際に傾いた状態でどうやって救出するかとかいった問題を解決しさえすれば,脱線するような事態は考えにくいのでもっと速度が出せても良さそうである.

少なくともカーブをゆるくしさえすれば,時速50km/hしか出せない,などということは避けられると思う.

ゴムタイヤによる制限,ということも考えられるが,中央新幹線用のリニアは時速160キロくらいまではタイヤ走行なので,タイヤの問題ではない.その程度の速度は出せそうである.

モノレールは,通称モノレール補助と呼ばれる道路財源を使った補助を得て作られることが多いが,このために原則として道路空間上であり,曲線は自動車道路の一般道レベルの曲線にならざるをえない.時速40キロ程度の低速交通機関を取り扱うのが基本である軌道法が適用されるので,あまり速い速度は想定しようとしていないかも.

そういうしがらみを解き放てば,交通システムとしては,もう少し対自動車競争力のある交通機関になると思うのだが,もうちっと何とかならんかな.

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第10話-リニア編)

一応第9話までで完結しているので,番外編である.第9話までは以下のリンク先をどうぞ.

第1話-新幹線偉大なり編第2話-産業振興vs交流編第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編第8話-後手必敗編第9話-東密西粗編編


2ヶ月ほど前に,こういう記事があった.

リニア延伸遅れに焦り 関西財界セミナー、京都誘致も影響 : 京都新聞.

この記事の中で,京大の藤井先生が「東京一極集中を是正するためにも同時開業が必要だ。実現できなければ大阪は18年間にわたって名古屋圏の地方都市になる」と説明したらしいが,私の感想としては…藤井さん優しいなぁ,である.

どういうことかというと,第7話-20年差が命取り編を思い出して欲しい.それまでに無かった新たな交通機関が出現するときには,20年ほどの整備時期の差がその後の盛衰に大きく影響して,後から追い付こうとしても差が縮まらなかった.

ということは,こういうことではないだろうかと思っている.

×:(同時開業が)実現できなければ大阪は18年間にわたって名古屋圏の地方都市になる
○:(同時開業が)実現できなければ大阪はたとえ18年後に開業しても半永久的に名古屋圏の地方都市になる

名古屋を再び追い越してぶっちぎるには,リニアだけでは足らなくて,新大阪駅を中心にして四方八方に高速鉄道が整備されるくらいの勢いでないといけない.単に追いつくだけでは,18年の差を埋めることはできない.


この記事の後半もなかなか興味深い.

京都がリニア誘致をあきらめない話が書かれている.リニア整備の時期が約20年差でも致命的な影響が生じる可能性があるわけなので,リニアの駅そのものの有無は未来永劫の盛衰を左右するレベルである.そりゃぁ,あきらめないだろう.

大阪の経済団体は「法律で奈良市付近を通るルートに決定しているという認識で統一されている」とのことだが,これもなかなか興味深い.

大阪は京阪神の中心,近畿一円の中心,関西の要である.(どうなるかどうかわからないが)道州制というような構想もあり,もしかしたら将来的には大阪が経ヶ岬から潮岬までについて我が事のように気を配らなければならない日がやってくるかもしれないのだが,現時点では隣の京都の盛衰は気にならないようである.かといって奈良がどうでもいいということでもない.

リニアの効果を最大限に近畿一円で受け止めながら,その全体に恩恵を巡らすような,全体合意可能な案が必要なのだが,そういったところには意識はいっていないようである.

自ら前へ前へと出る事には長けているが,他地域とうまくやってゆくのはあまり得意ではない地域性が出てしまっているのかも知れない.大阪が真の地域圏のリーダーになるには,もうちょっと修行が必要かもしれない.(逆ギレしないでね.)


こんどこそ終わり.

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第9話-東密西粗編)

最終回であり,結論である.
第1話-新幹線偉大なり編2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編第8話-後手必敗編

最初の出発点は以下の図であるが,新幹線は地域振興に資するという単純なメッセージの他に,目新しい交通機関が出現したときには早期整備する必要があるということが重要ということである.同時に地域整備そのものよりも交通整備の方が効果が大きいということであった.

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さてさて,大阪を取り巻く交通整備であるが,今から約10年ちょっと後の2027年頃の様子は次の図のようになる.東北新幹線は北海道新幹線につながり,北海道南部までは到達している.北陸新幹線は金沢から福井を経て琵琶湖の手前まで来ている.リニアも出来ているが名古屋まで.

東京からはミニ新幹線を含めて新幹線で行けない県は中部以東ではほとんどなく,近県の茨城と千葉だけである.

それに比べて大阪はどうだろうか.九州新幹線につながる山陽新幹線はあるものの,北陸新幹線もつながってなければリニアもつながっていない.山陰新幹線や四国新幹線は当面開通できる状況にない.

これで,東京に勝てるか,というと,はっきり言って絶望的である.

府市統合のような中心都市の行政効率を上げて(ほんとに効率が上がるのかという議論すら多いが),その分を地域整備に回すことで大阪の地位が向上するのかというと2を読んでのとおり,その方法では望み薄である.加えて,効率の上がった分が存在するとして,それを地域整備にどのように回すのかすら今ひとつわからない—市に集中投資するのか,それとも府下にばらまくのか—.(大阪市長は市に集中還元させるというようなことを言っているようだが,それだと府がこの統合に参加する意義が見いだせない.逆に府下にばらまくのなら,やはり市は割を食うのか? いずれにせよ,不明な点が多いまま話が進んでいる.)

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ちなみに,大阪を取り巻く高速鉄道網整備は下の図の緑色の線のようにかなりたくさん残されている.これらが完成すれば大阪を中心とするネットワークは東京を中心とするものに遜色がなくなって国土の二眼構造が復活する.

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だが,残念ながら大阪の人は自らが頑張りさえすれば何とかなると思い込んでいるわけで,大阪以外の地域とうまくやって行くという発想そのものが無いようなのが悲しいところ.(…と指摘したからと言って,逆ギレしないでね)

以上が市販本やwebで引用されている元図の背景である.大阪都構想(府市統合)という目立つ話の陰で,大阪の長期衰退は当に今,始まろうとしている.

#逆ギレしないでね.いちいち逆ギレしていると,大事なことを話す人が少なくなってしまうので,結局損するのは逆ギレした人,という状況になると思う.日本国憲法第21条とか,日本国憲法第23条って大事だよね.

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第8話-後手必敗編)

まだ続くが,そろそろ終盤が近い.
第1話-新幹線偉大なり編2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編
第7話-20年差が命取り編

簡単におさらいすると,こうである.

  1. 現代の新幹線網と日本の大都市の配置が極めてよく似ているので,新幹線の威力は絶大だ
  2. 産業振興策と比べても影響が明確で,新幹線の威力は絶大だ
  3. 他の交通機関に比べても施設分布との関係は新幹線が最も明瞭で,新幹線の威力は絶大だ
  4. 旧街道の中山道沿いと東海道沿いを比べると,新幹線ができるまでは人口の推移の差が無いのに,新幹線後は差ができるので,新幹線の威力は絶大だ
  5. 新幹線駅は大都市圏をつくり出している可能性がある
  6. 新幹線に限らず鉄道駅がある方が無いよりも人口増が大きい
  7. 駅の有無による差が長期続くと明確な差を生むが最初の差は明治時代〜昭和初期に生じている

さて,このような広域的な交通利便性の差は明治〜昭和初期以外にも東海道新幹線以後の全国的新幹線ネットワーク形成期にもおいて生じている.そしてこの新幹線形成時期は航空ネットワークの形成時期でもある.

じゃぁ,全国の都道府県を,明治〜昭和初期の鉄道整備期において整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,また戦後の新幹線や航空路の整備期においても整備が「早い」「遅い」の2つに分類し,これらの組合せ4種で人口の長期推移を見たらどうなるだろうか,という結果が下の図である.

(※厳密には「交流可能性指標値」を計算してその変化をもとに分類しているので,単純に建設の有無等で分類したものではない.くわしくは,この辺の資料を参照.4章6章

まずは,分類結果がこうなる.

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そして,各群の1890年以降の推移を示すと次のようになる.最初の1890年の人口シェア(全人口に対する比率)を計算して,1890年が1になるようにしたものである.

例えば,全人口が1890年に4000万人,1910年に5000万人と増えて行く過程で,ある地域の人口が400万人,750万人と増えたとする.そうすると,人口シェアは10%から15%に増えたことになり,1890年が1になるようにすると,1890年が1,1910年が1.5というわけである.

さて,その結果は…

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明治〜昭和初期の鉄道整備期と新幹線や航空路の整備期(高速交通整備)の両方が「早い」群が最も人口の伸びが大きく,両方とも「遅い」群はシェアを低下させ続けている.

片方だけ早かったという群については,鉄道整備だけ早かった群の方が高速交通整備だけ早かった群の方よりも人口の伸びが大きい(というか人口のシェアの低下の度合いがマイルド)であった.

つまり,明治〜昭和初期の鉄道,戦後の新幹線等のそれまでになかった高速な交通機関の出現期には,整備が早い方が勝ち,先手必勝だということである.同時に後手必敗でもある.

じゃぁ,明治に遅かった地域が昭和にがんばって早めに整備した場合はどうだったかというと,上の図の「高速交通整備だけ早い」のようにあまり芳しくない.つまり後から挽回するのは大変だということである.

さて,大阪はどうなんだろう.次回は今後に向けた結論である.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第7話-20年差が命取り編)

以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編第6話-駅アリ>駅ナシ編

卒論-修論-博士論ベースの話が続く.前回のお話は,人口増加率がかなり昔から「駅アリ>駅ナシ」だという内容で,前々回はそれの新幹線版だった.

例えば,駅アリの都市の人口増加が年率1%で,駅ナシが年率0.1%だったとしよう.最初がもし10万人だったとして,1年後は10万1000人と10万100人,2年後は10万2010人と10万200人………100年後は27万481人と11万512人.長期の間には明らかな差が付く.

つまり,駅アリと駅ナシという有無の差が生じている期間が長ければ長いほど,その結果としての人口の差も大きくなるということなので,鉄道整備するなら,あるいは新幹線を整備するなら,速やかに全体計画を実現する方が国土構造への影響が少ないということなのである.

さて,下の図は再び近年の人口ベスト15+新しい政令指定都市の分布図であるが,書き込んである線は新幹線ではなくて1898年当時において開業していた幹線鉄道である.100年の時を超えて,なぜか明治の鉄道と現代の大都市分布が(新幹線ほどではないが)似ている.どういうこと?

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下の図は上のカラフルな図と全く同じである.明治期に日本全国に鉄道網を建設するにあたって,初期にできたのが下の図の太線の各線である.東京-大阪間を結ぶ鉄道は今でこそ海沿いの東海道本線が当たり前であるが,実は当初は外国艦船からの艦砲射撃が怖くて内陸の中山道経由で建設しようとしていた.

だが,案の定というか,難工事でそのルートはあきらめざるをえなくなり,比較的つくりやすかった東海道ルートになった.もし中山道経由ルートが先に実現していたら,日本の様子はかなり違っていただろう.

日本海側へのルートは信越線が直江津付近まで到達,西の方では北陸線がまずは敦賀まで開通,あとは船で各地を連絡というスタイルであった.東海道本線ですら琵琶湖沿岸は最後まで開通せず,一時は滋賀県下の長浜から大津まで船で連絡という時期があった.当然舟運が便利だった瀬戸内海は最大限活用され,四国方面は船が基本,山陽本線も途中から船で九州まで連絡という状況であった.

この「船+鉄道」というネットワーク形成が結果としては日本海側や瀬戸内海沿岸西部,四国,九州東側などの鉄道の整備を遅らせてしまった面があり,後々100年にわたって尾を引いてしまったわけである.そして舟運の要に位置したのが大阪であったわけで,江戸時代まではその恩恵を最大に受けて日本最大の経済圏を形成していた.

だが明治以降は,中途半端に便利な交通機関である舟運に頼りすぎたため,大阪のその後の悲劇の遠因にもなっている.

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どういうことかと言うと,鉄道はこの後20年ほどで全国展開が概ね完了し(下の図),大正時代には全国的な鉄道のレベルの差は無くなるのだが,この時期に至る20年間については鉄道の有無の差のある状態だった.しかも全国的な人口が大きく増加していた時期であったので,差が付きやすかった.

わずか20年,この期間に近代日本の大都市圏の基礎が形作られてしまったため,100年前の鉄道網と最近の大都市の分布が似ているという状況になってしまったのである.

なお,大正期に至っても四国や九州東側ではまだ鉄道が到達しておらず,差が開き続けるという状況である.

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大正以降も鉄道は整備され続けたが,細かな路線網が充実しただけで基本はあまり変わらず,整備が遅かった九州東部や四国がようやく鉄道でつながり始める.昭和初期になってほぼ完全に鉄道網が完成したが,完成したからといって遅れをキャッチアップして追い抜く,などということは無く,差が開いた状態が固定化されただけである.

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戦後になって新幹線が整備されるわけだが,新幹線による全国ネットワークの構想は未だ一部しか整備されておらず,明治〜大正〜昭和にかけての駅有り無しの差のある状態が続いているといえる.つまり,差が開き続けている状態.

東京一極集中についても,このあたりの状況が大きく影響し続けているわけだが,この偏在した状況が当然になってしまっており,「是正」しようという動きも鈍くなってしまっている.「是正」どころか,新たに超々高速鉄道のリニアが出現しようとしており,より高次なレベルでの駅アリ駅ナシの有無の格差状態が生み出されようとしている.

ということで,今の状況は日本の国土構造にとっては「当たり前の状態」ではないんですよ.ここでモタモタしていると,エライことになりますよ.リーダーの皆さん.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第6話-駅アリ>駅ナシ編)

以下の一連の話の続きである.まだ続く.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編
第5話-新幹線駅が都市圏形成編

今回の話は,新幹線だけでなく駅一般のお話しである.今ごろになって卒論-修論-博士論の話を説明することになるとは思わなかったが,今回の話は次の第7話への前振りである.

下の図は,国勢調査が開始されて以降の5年ごとの人口増加率を市町村ごとに計算して推移を示したものであり,鉄道駅がある市町村と,無い市町村とに分けて示したものである.両者とも各群の単純平均である.

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上の図は,見てのとおり,全期間を通じて人口増加率は「鉄道駅有>鉄道駅無」である.

最近は鉄道でなくても高速道路で十分に地域振興に役立つのではないかという話があるかもしれないので,駅の有無ではなく,高速道路に関して作成したものが下図である.図中に示したような分け方で推移を示しているが,1965年以降5年ごとの人口増加率が最も大きいのは「高速道路ICと駅の両方ある市町村」であり,人口増加が最も小さいのは「両方無い市町村」である.

やはり鉄道の駅があった方が優位である.

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前回の第5話の新幹線駅とも共通する話であるが,「駅アリ>駅ナシ」は,いったい大阪にとって何を語っているのだろうか.

単純な話ではあるのだが,「駅アリ>駅ナシ」の状況が長期間続くとどうなるだろう.こうなる.

「駅アリ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>駅ナシ」

もちろん,新幹線駅でも同じことになる.捕らぬ狸の皮算用が得意な人たちに「三流学者の論拠のない憶測だ」と言われてはいけないので,次回,その話を詳しくすることにしよう.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第5話-新幹線駅が都市圏形成編)

以下の一連の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編

新幹線開業以降,東海道(旧街道)沿いは中山道沿いに比べて人口の増え方が明らかに違っているという話までした.では,その東海道新幹線の駅ができた都市はどのように変化してきたのだろうか.今回の話は前半が15年くらい前のThe21の記事の話,後半は最近の講演会等で使うスライドである.

下の図は,1)東海道新幹線の駅のできた都市,2)その隣接市町村,3)それ以外,以上の3つに沿線府県の市町村を分類し,合計の推移を1920〜1990年について示したものである.そのままの実数を示してもわかりにくいので,東海道新幹線の開業した1964年における人口を基準に同年が1になるようにしたものである.数値が1.2なら1964年の1.2倍の人口ということだ.

赤色の線で示した「新幹線駅有」については,1920年以降人口が増え続けていたが,第二次大戦中に農村部などへの疎開で人口がいったん減る.戦後,再び人口が増え始めるが,東海道新幹線の開業時期にピークを迎え,その後微減に転じる.

オレンジ色の線で示した「隣接市町村」については,1920年以降ほとんど人口に変化はなかったが,戦時中に疎開等で人口が増えたが終戦後も人口は維持され,新幹線の開業時期あたりから比較的近年まで増加し続けている.

青色の線で示した「それ以外」については,1920年代以降人口が減少し続けていたが,戦時中に疎開等で人口が増える.戦後は再び人口が減少し始めるが,新幹線の開業時期以降は人口は横這いになる.

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この人口の推移は一体何を意味するのだろうか.新幹線駅のある中心都市の人口が微減で郊外が増加,すなわち都市圏が拡大して人口のドーナツ化が生じているということである.都心は業務地区,郊外は住宅という都市構造ができつつある,ということであろう.これも新幹線の影響かもしれない.新幹線は大都市圏をつくる,ということだろう.

さて,では最近開業した新幹線についてはどういう人口推移の特徴があるだろうか.整備新幹線で最も早く開業したのは北陸新幹線の高崎-長野間で,1997年の秋であった.

下のグラフは,長野県の都市(市町村合併前の旧区分)について,2005年からの5年間の人口増加率を示したものである.赤色になっているのは新幹線駅がある都市,青色は新幹線駅の無い都市,一番上の緑色は長野県全体である.

まず,県全体の人口増減という点だけについて言えば,人口は減である.つまり,新幹線の開業は長野県の人口減を食い止め,人口増をもたらした,とは言えないということである.だが,これだけで「新幹線のストロー効果ガー」と喧伝し始めるのは気が早い.

新幹線の駅ができた都市(赤棒)は長野県平均のグリーンのラインよりも増加傾向が強い.絶対的には減少していても,その程度が小さいわけである.駅が無い都市は人口減の都市が多い.これは何を意味するのだろうか.

この状態を長らく続けると,新幹線駅のある都市には人口集積が見られるものの,それ以外では人口がまばらになり,結果として新幹線駅周辺に長野県の人口分布が集約された形になる,ということだ.もし新幹線が人口を吸い出すのなら,新幹線駅周辺の人口で顕著に人口が減少しているはずだが,そうではない.減っているのは不便な都市だ.

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では,その次に開業した東北新幹線の盛岡-八戸間はどうだろうか.下のグラフは長野県と同じ作図方法での岩手県のものである.ただし,岩手県下では盛岡以南の東北新幹線が1982年に開業しているので,それらについてはオレンジ色にしている.

そうすると,まず1982年に開業した区間の影響については顕著であることがわかる.1982年開業区間で駅がある都市は岩手県の人口増加率上位である.(だが,県の人口減を完全に食い止めるところまでは至っていない)

さすがに2002年に開業してた区間については2005年以降の人口構造が大きく変化するところまでには至っていないものの,旧二戸はオレンジ色の棒を除くと比較的上位だ.

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青森県下でも,八戸は県全体を越えているが,県南部だけに新幹線が開通した状態なので,全般的な影響については明瞭でない.

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分析年次が2005年から2010年なので,これ以降開業の新幹線については開業からの期間が短く,影響が段々不明瞭になって行く.

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JREA-005ということで,新幹線は駅を中心とする都市圏をつくり出しているわかる.それと同時に,新幹線だけで完全に県人口の減少を食い止めることが難しいこともわかる.

県人口はともかく,沿線都市は新幹線によって成長してくる可能性が高いため,「そんな田舎に新幹線などいらぬ」と高をくくっていると,何十年後かに立派な都市に育ってバカにできなくなる可能性がある.インフラの有り難みがわかっていない都市圏在住の方々は要注意である.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第4話-東海道VS中山道編)

以下の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編

今回は東海道新幹線の影響のお話しである.太平洋ベルト地帯に位置する都市や地域に住んでいる人にとっては,新幹線は当たり前の交通機関であり,それがどんな影響があるのか…なんて,ほとんど考えたことすらないと思う.あって当たり前の交通機関.それだけに,大阪および京阪神地域では新しい交通機関の整備については意識が薄いようで,気がついたときには手遅れになりそう(と言うか,既になっているかも—いちいち逆ギレしないでね).

さて,昔々,その昔,新幹線もなければ高速道路も鉄道もない時代.街道を自らの足で歩くか,お金があるなら駕籠,あるいは沿岸航路という時代.東京-大阪間2週間という時代が下の図.

和歌山や徳島,あるいは富山や金沢といった都市が全国屈指の大都市だった理由はここにある.つまり,沿岸航路沿いの都市だったということ.このころは瀬戸内海も(徒歩に比べて相対的に)高速大量輸送軌間の交通路として使われていたため,その奧にあった陸地との接点である大阪は正に交通の要衝.繁栄するだけの地の利を備えていた.その後の鉄道整備では,瀬戸内海が便利すぎて,四国や中国地方西側,九州東側の鉄道整備が遅れる遠因になってしまうわけだが,今回の本題は瀬戸内ではなくて東京-大阪間である.以下のお話しは,15年くらい前にThe21という雑誌に書いた記事内容ほぼそのままである.

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今でこそ東京と大阪を結ぶルートは東海道新幹線以外の選択肢が事実上無くなっているが,昔々,その昔,まだ徒歩移動が主体だったころは東海道ルートと中山道ルート(と,あとは海路)が主体であった.

そこで,旧東海道に沿った市町村と,旧中山道に沿った市町村とについて,人口を比べてみることにする.市町村人口は国勢調査開始の1920年以降なら正確なことがわかるので,その推移を図にしたものが下である.

棒グラフは沿線市町村人口の合計の実数で右側の軸で見る.オレンジ色の棒が旧東海道沿線の人口で,緑色の棒が旧中山道の沿線人口であり,両者に含まれる東京は抜いてある.東海道は途中から海路が含まれたりするので,岐阜県下に向けてのルートで計算し,集計対象は両者が合流する岐阜県下までである.

沿線の平地の広さに差があるので,棒グラフは最初から東海道ルートの方が大きく,沿線人口は多く,1920年以降増加し続けている.一方,中山道ルートについても人口は少なめであるが人口は増加している.

そこで,最初の1920年が1になるように,それぞれの人口を最初の1920年の人口で割った数字を計算して折れ線グラフをつくった.ピンク色が東海道ルートで若草色が中山道ルートである.

1920年以降,両者は増加しているが折れ線の推移に大きな差は無い.つまり,内陸だから人口の増え方が少ない,ということは無いということである.ただし,そのような差の無い状態はこの図の左半分についてである.

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さて,上の図の右半分はどうだろうか.オレンジ色の棒グラフは伸び続けているものの,緑色の棒グラフは頭打ちになる.折れ線グラフもグラフの半ばまでは差が無かったものが,段々と口を開き始める.これは何だろうか?

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そう,その開き始める時期こそが東海道新幹線の開業である.もちろん,高度経済成長も関係しているだろうが,高度成長はもう少し早く始まっている.

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あらためて全体を見てみると,この折れ線グラフの「開き始め」の時期には日本の国の形が大きく変化したことは明らかである.

つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第3話-他の交通網編)

以下の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編

地域間のつながりが非常に重要だというのが前回までのお話しであるが,残念ながら大阪はこの点についてはあまり得意でない印象を受ける.つまり,自らが前へ前へと出ようとすることにはたけているのだが,大阪以外の地域とうまくやって行くのはあまり得意ではない地域性のように思われる.北陸方面で何度も何度も大阪に対する恨み節を聞かされた.(…と指摘したからと言って,逆ギレしないでね)…そういえば,四国でも聞いたっけ.

さて,地域間交流のハードウェア的装置と言えば,まず最初に浮かぶのが新幹線よりも高速道路網であろう.産業政策と高速道路整備は切っても切れない関係にあり,自動車を円滑に通すための道路は,バイパス整備なども含めて他のインフラに先んじて整備されてきた.

ならば,高速道路整備状況は地域の発展に直結しているはずである.そうして作ってみたのが次の図.だが…

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高速道路整備が直結しているのなら,もう20年以上前につながっている北陸自動車道沿いの富山や金沢の地位はもう少し向上していそうなものであるが,そうでもない.和歌山への高速道路も,関空整備の時点ではつながっていたが,今や和歌山市の商店街は全国的にも寂れた商店街の典型のようにテレビで取り上げられる始末である.徳島はどうした,鹿児島は? 貨物トラックが円滑に走れるようになったからといって,新幹線のような明瞭な関係があるわけではなさそうである.

じゃぁ,次は飛行機だ.プロペラ機じゃ遅いので,ジェット機の発着だ.空港のジェット化は長らく地方空港の主要課題であった.新幹線が無くても飛行機でひとっ飛びすれば,問題ないはずであった.だが…

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全国あちこちに飛行場が整備され,大都市と結ばれたはずだったが,やはり新幹線ほどのインパクトはないように見える.

いやいや,重厚長大産業こそ基幹産業だ.そのためには大規模な港湾が必要だ.港湾整備は産業振興に重要なので,公費を投入だ.だが…

重要港湾程度では,あまり関係はなさそうである.特定重要港湾の状況は高速道路や空港よりは関係がありそうだが,やはり新幹線のインパクトには欠ける.

じゃぁ,あらためて新幹線について見てみると…

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やはりこれかな. だが…まだ第3話.まだまだ話は続く.

 つづく

都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第2話-産業振興VS交流編)

第1話-新幹線偉大なり編の続きである.

「地域の発展」というと,昔は富国強兵,殖産興業だが,比較的最近なら全国的な発展度合いを均衡化しようとしていた,つまり国土の均衡ある発展を目指していた一連の全国総合開発計画が思い浮かぶ.

全総関係のプロジェクトはいろいろあるが,大きく分けて交通系の大規模なプロジェクトと,地域開発系の大規模なプロジェクトとがある.地域開発系のもので有名なのは社会科の教科書にも出てくる「新産業都市」である.

新たに工業都市を設置して,それを核に地域開発しようというのが新産業都市であり,主として地方部に配置された.よく似た「工業整備特別地域」の方は,新産業都市が新規設置であったのに対して,こちらは既にある程度開発が進んでいた地区を指定して工業促進を図ったものである.

その全国的な分布の概略が下の図であり,緑色の星印が新産業都市で基本的には地方部に位置する.黄色の星印が工業整備特別地域であり,太平洋ベルト地帯に多い.

semi-041a均衡ある発展を目指したプロジェクトだったはずなので,成功すれば地方部にも人口が張り付いて,例えば人口ベスト15から落選した都市にいくつか返り咲きが生じても不思議じゃぁ無かったわけだが,そうでもなかった.

結局は緑色の星の配置よりは,新幹線の配置の方がしっくりくるという結果になる.つまり,産業を意識的に配置するよりは,新幹線の方が影響が大きかったということだろう.

つまり,大阪(および近畿一円)の発展のためには,自地域における産業を直接的に活性化するという視点だけでは長期的な繁栄はおぼつかないということである.とかく大阪の人は自らが頑張れば何とかなると思いがちなのだが,こういった地域間の連携につながる策が必要なのだが…(…逆ギレしないでね.)

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経済学が専門の人に「簡単すぎる」と叱られるのを覚悟で簡便化して説明すると次のような話になる.地域というのは,全国的に金太郎アメなワケでは無くて,場所場所によって得手不得手がある.

例えば,甲地域は商品Aを生産するのが得意で,100円という安価で生産できる(別に商品でなくてもサービスでも良いが,あまり細かい話は置いておく).でも商品Bを生産するのはあまり得意ではなくて,200円かかる.

一方,乙地域では商品Aの生産は得意ではなくて200円かかるが,商品Bの方は得意であり,100円で生産できる.

このとき,甲地域も乙地域も,それぞれ商品Aを100個,商品Bも100個必要だったとして,お互いの交流が全くなく,必要なものは自地域で全て生産したとしよう.そうすると,全体で必要な生産費用は下の図のように60,000円になる.

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さてさて,ここでお互い得意なものを交換できるようになったとしよう.得意でない方の商品は生産を止めて,甲地域は商品Aを200個,乙地域は商品Bを200個生産して,それぞれ100個ずつ交換する.交換の際に相手側に渡す際の値段を100円ではなくて150円にしたとしよう.

そうすると,お互い交換する商品については,値段と量が同じなので(輸送費等の話を脇に置いておくと)相殺できたとして,全体で必要な生産費は40,000円になる.先ほどの場合と比べると全体の生産費は下がった.必要なものはそれぞれの地域で必要な個数確保できている.

地域間交流ばんざい,なのかもしれない.いわゆる「選択と集中」の基礎だろう.自由貿易の基本概念だろう.交通整備が必要な基礎的背景はここにあるといえる.(同時に自由な取引を阻害すべきでないという基礎もここにある)

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ただし,このシステムは必ず成功するとは限らない.自由貿易論者が隠している別のシチュエーションが存在しているので要注意である.

Give & Takeの関係が成功してWin-Winの関係が構築できるのは,それぞれの地域が必ず他地域に差し出せるだけのレベルと量の「得意なもの」を持っているという暗黙の前提がある.

例えば,下のように甲地域は商品Aも商品Bも生産が得意でない場合,甲と乙を結んでしまうと全体の生産コストは下がって効率化が進むが甲では何も生産できずにただ買うばかりになってしまい,地域の経済が破綻する.それでも交流が開始された地域間では効率化が進むので,全体としては何もしていない地域群に比べると強い地域圏が形成される.新幹線はそういった地域圏を形成する効果があるといえる.

give-take.027 が…まだ第2話である.これだけで話は終わらない.

つづく