写真は大川小学校や長面とは北上川をはさんで北側対岸の地区である.こちら側も集落が消滅しており,破壊された小学校の校舎が残されている.現在は取り壊されているようである.
校舎の三階部分も窓が破壊されており,津波がこの高さまで達したのではないかと思われる.時計が2時46分頃で停まっている.
この校舎の左隣には体育館があり,その外壁も破壊されている(下の写真の右端)が,上部が一部残っている.この部分まで津波が上がってきたのであろう.写真のほぼ右端には長観寺というお寺が写っているが,よく見ると石段を上がったところにわざわざ建てられている.その高さが,ほぼ体育館の外壁が破壊されている高さと同じである.概ねこのあたりの高さまで確保して建築すれば大丈夫,という知恵であろうか.
(2012年12月現在)
「防災」タグアーカイブ
東北に行ってみた(女川編)
石巻から北東方向に進むと,女川がある.原子力発電所がある地区だが,こちらは安全に停止している模様.
石巻から女川に向かう途中のJR石巻線が復旧工事中であった.写真は浦宿駅付近.復旧工事と言っても,路盤はともかく軌道部分についてはほとんど新設工事である.
女川に入る前,半島の付け根の谷を通る部分では,まだ海は見えないのに沿道の集落が破壊されて空き地になってしまっている.海まで約1km.
女川湾に面する山の中腹にある病院からみた湾岸の市街地の様子.中央に見えているのは鉄筋コンクリート造りの建物で,そのまま横転している.緑色に見えているのは,3-4階建ての建物の屋上の床である.
女川漁港から見た病院.山の中腹にあるにもかかわらず,この病院の1階部分までが津波で水没し,水に浮いたベッドを医師らが泳いで引っぱってつなぎ止めたらしい.想像を絶する波高である.
(2012年12月現在)
浜名湖を渡る鉄道(鉄橋観察編)
せっかく現地まで行ったので,浜名湖の鉄橋を観察してみた.舞阪-弁天島-新居町間には南から順に国道1号,在来線,新幹線,県道の橋が架かっている.ここがやられると,非常にまずい場所.戦時中には艦砲射撃をおそれて二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)を内陸側につくったという箇所.
県道から新幹線を見ると,こんな感じだが,土木系なので,橋脚も気になるところ.
歩道が橋の下をくぐっている部分にゆくと,こんな感じ.地盤は基本的には砂のようであり,川というよりは砂浜に近い.新幹線の橋梁の銘板を見ると,1962年に作られたもののようであった.足の長さは4.4メートル.その下はケーソン基礎(要するに,筒ですね)で14メートルの深さまで埋められているようである.「細砂」というのは地盤の種類のことか? 支持層まで達しているんだろうか? 荷重にNとPが書かれているので,旅客列車とともに貨物列車の荷重も考慮した設計になっているということであろうか.
一部の橋脚には目盛りがついており,けた座面から水面までの距離がわかるようになっている.(ここに限らず,ほとんどの橋梁はそうなっている.)1枚目は新幹線,2枚目は在来線.この目盛りを参考にすると,いろいろとわかってくることもある.
弁天島にある津波時の避難所.この程度の施設で大丈夫なんだろうか.
(2013年8月現在)
浜名湖を渡る鉄道(村櫛伝説編)
浜松市の博物館に行ってみた.そこにある展示物には,かつての浜名湖の地形を示す地図がいくつかあった.下の2枚の写真はそれであるが,白い部分が昔の陸地,青い部分が昔の浜名湖,黒実線で縁取りされているのが現在の湖岸である.かつては浜名湖と太平洋は陸地で隔てられており,浜名湖南端からいったん西方向に伸び,太平洋(遠州灘)に注ぐ河川があったようである.東海道はこの陸地,つまり砂州上にあり,橋本という地区で河川を越えていたようである.
浜名湖の湖底にはいくつもの遺跡が沈んでいるようであり,地盤が沈下していることがわかる.現在は浜名湖と太平洋がつながっており,浜名湖の水面はさほど高くないが,かつては基本的に隔てられていたことを考えると,水面はおそらく現在よりも高かったと思われる.そうすると,地盤の沈下は水面の低下以上に進行したということであろう.
現在の新幹線等は,1枚目の図の浜名湖南部を通過しており,湖面の一部を埋め立てた飛び地状の陸地を橋で渡ってゆく形態になっている.
今切れ口(1枚目の地図の「今切」)付近から北東方向を見た様子.古い地図では湖面は見えなかったはずだが,明らかに水没している.宮城県石巻市の長面浦と似たような状況であろうか.この水没した地域にあった集落が2枚目の地図の「村櫛」に移転したという伝説があるらしい.室町時代の話.
浜名湖を渡る鉄道(今切れ口編)
新幹線や在来線,国道1号は,静岡県下の浜名湖付近で橋を渡っている.多くの人は川を渡っていると思っているが,この部分は川ではなくて,浜名湖の一部である.下の写真は新幹線が浜名湖にかけられた橋を通過しているところであるが,このサイトのバナーの元写真でもある.
新幹線が渡っている箇所の北側は「浜名湖」.では南側は?こっちも下の写真のように別の湖に見えるが,浜名湖の一部である.つまり列車は浜名湖の上を鉄橋で渡っているということである.橋の途中の陸地は埋め立て地である.
下の写真の赤い鳥居は観光用.ずっと奥には浜名バイパスの大きな橋が見えている.この南側の湖であるが,かつては陸地であり,今から約500年前の大地震(明応地震[1498年])で沈下してできた場所のようである.
上の写真左側から浜名大橋付近まで行ってみる.海岸が近づくと,まだ海が見えないにもかかわらず,防潮堤があらわれる.高潮対策であろう.陸地の海抜は4メートルほど.防潮堤は1.5メートルほどなので,せいぜい6メートル程度の波高を想定した設備のようである.
そして,浜名大橋.橋の下は川ではなくて,太平洋と浜名湖をつなぐ水路である.干満にあわせて潮が激しく出入りする.
今度はぐるっとまわって,浜名大橋の西側に来てみる.
こちらにも防潮堤があり,その高さは…
やはり6メートル程度の波高を想定している.下の写真は先ほどの「水路」の反対側からの写真である.太平洋と浜名湖を隔てていた陸地が地盤沈下や津波などで水没して繋がったことから,「今切れ口」というらしい.今まさに切れてつながった入口,という意味か.
橋の下はこんな感じなので,このバイパス道路が防潮堤として機能する…ということはあまり期待しない方が良さそうである.
今切れ口付近から,新幹線などが浜名湖を渡っている箇所を見ると,こんな感じ.特に遮るものは何も無い.外洋から大きな津波が来ると…
(2013年8月現在)
東北に行ってみた(水没した地区編)
石巻市内だが中心街の北東,北上川河口付近に行った.
多数の小学生が亡くなった大川小学校は北上川の堤防付近にあり,小学校からは北上川の様子は見えない.河口からも距離があり,海も見えない.まさか津波が堤防から溢れてくるとは想像できなかったのだろう.学校の裏山に登ったこどもだけが助かったようだが,筆者がこどもの頃から祖母に良く言われた言葉を思い出す.「大きな地震が起こったら,まっすぐ山に登れ.捜し物などしててはいけない.廊下や階段に物は置くな.足に引っかかって転べば,逃げ遅れて死ぬ.山に登るときは,山道を登っていては間に合わない.斜面の急な方向に,まっすぐ登れ.」
小学校の周囲には何も無かった.小学校は原則として小学生が徒歩で通う学校である.ということは,かつてはこの学校の周囲には学校1つ分の児童が通うに相応の集落があった.今は平らな荒れ地である.
さらに河口方向に向かうと湿地帯のような風景が広がる.野鳥が羽を休め,どう見ても湿地帯である.
ここはかつては陸であり農地が広がっていたが,大地震に伴う地形の変化で,土地が水面下に没してしまった.今は地図上でも海扱いになってしまっている.(→その後,「干拓」は進んでいる模様)
元々は海とは砂州のような地形で隔てられ,その内側の堆積平野のようなところが農地や集落になっていたようだ.津波で砂州のような部分が破壊されるとともに地盤が沈下して地形が変わり,海の一部のようになってしまっている.巨大地震ではこのような通常では考えられないようなことも発生することがあるという例である.
(2012年12月現在)
リニア新幹線整備の理由(昔の主張-南海トラフ編)
- リニア新幹線の昔の必要論の4つ目は,「南海トラフの大地震-東海地震-により東海道新幹線が途絶するので,バイパス路線が必要」というものであった.
これには一定の説得力があり,整備計画審議の段階でも論拠として示されているが,やはりいくつかの指摘ポイントが存在する.
- 大地震で新幹線が途絶したケースは山陽新幹線,上越新幹線,東北新幹線でそれぞれ各1回ずつあったが,いずれも3ヶ月以内で復旧している.もしもこの程度であるのならば,わざわざ新線建設をするほどでもない
- 数ヶ月程度であるのなら,やや所要時間はかかるが北陸新幹線を全通させておけば,少々我慢している間に復旧できるレベルなのかもしれない
- 名古屋以西は南海トラフ地震が発生しても,壊滅的被害になることは無さそうなので,例え北陸新幹線が一部区間を共通使用して重複していても,東西間交通は確保できる
- そもそも,名古屋駅(および近傍区間)は大丈夫か?
- 名古屋から西側区間の整備論拠も”南海トラフ大地震”なの?
リニア新幹線については無いよりはあった方が冗長性確保の観点から望ましいが,単に一時的な輸送確保なら別策で十分,ということである.それとも,やはり壊滅的な途絶が発生するのか?
東北に行ってみた(石巻市街編)
大震災から2年弱経過した頃,いっぺん見に来ないかという声をかけていただいたので,行ってみた.2012年の暮れのお話し.
まずは,石巻の中心市街.石巻駅付近.もともとシャッター街化しつつあったと思われるが,津波で壊れた店舗の部分が歯抜けになり,アーケードも壊れたままで復旧していない.所々に仮面ライダーの等身大の人形が飾られている.
中心街から川を越えて東側の石巻漁港付近は,市街地に空き地が目立ち,いや目立つと言うよりはほとんど空き地であり,個々がかつて住宅地であったことを想像するのは難しいほど破壊され,そしてきれいさっぱり無くなっている.比較的強固だった建物も,1階部分が破壊され,骨組みだけになっているものも多い.
日和山公園から海沿いをみると,かつての市街地がほぼ消滅している.もともと石巻の旧市街地は,海岸から一段上がった段丘上の地形の上側にあったそうだが,市街地が拡大する際,それまであまり人が住んでいなかった海岸沿いの浜辺が市街地化されたそうだ.上の写真はその浜辺の市街地だった場所.市街地が消滅している.
(2012年12月現在)
リニア新幹線整備の理由(昔の主張-新首都編)
- リニア新幹線の必要論として,かつて主張されていた項目の2つ目は,「首都機能移転時における新首都機能のサポート」である.
首都機能移転に関しては何十年も前から議論があり,以下の三点が主な理由になっている.しかし,移転費用が概ね10兆円と見積もられた経緯もあり,国会で決議されたものの,実質立ち消えになろうとしていた.
- 国政全般の改革の促進
- 東京一極集中の是正
- 災害対応力の強化
間もなく国土交通省の担当部署も取り扱いをやめようかというまさにその時,東北〜関東の大震災が発生し,首都直下地震も近いのではという話になり,首の皮一枚で存続になっている.
さて,リニア新幹線との関係であるが,首都機能をリニアの沿線に配置し,機能を相互に結べば東京一極集中を緩和できるのではないか.既存の大都市圏とも短時間で結ばれれば新首都を成立させやすくなる.そのためにもリニアは必要である,という主張であった.現時点でもその議論の結果の一部を確認することができる.
この観点は2014年時点で存在してもいいはずなのであるが,上に書いたように費用の問題で立ち消えになった.再度議論しても良いはずである.いや,首都直下地震がいつ発生しても不思議ではない昨今,是非とも早急に議論すべきであるが,その割には議論は低調である.そんなに時間はないはずであるが,当事者として東京でお仕事されている政治家,官僚の皆様は茹で蛙状態に陥っているのであろうか.
現在の日本の国土構造は,東京におんぶにだっこ状態である.東京終われば日本も終わり.緊急地震速報が鳴るのは今日か,明日か,明後日か?
リニア新幹線整備の理由(昔の主張-経済圏形成編)
中央新幹線計画については,1973年に基本計画が立てられながらも長らく整備計画になることはなかったが,今から10年くらい前はまだ整備計画には格上げされておらず,プロジェクト実現に向けていくつかの必要性の論点が展開されていた.
- 最初の必要論は,「巨大かつ効率的な経済圏の形成」である.
それぞれが世界でも有数の大都市圏である首都圏,中京圏,京阪神圏を端から端まででも1時間程度で結び,巨大都市圏をつくり出し,経済的な効果を引き出そう,という構想である.この機能こそがリニア最大の効果であるが,いくつかの課題が存在していた.
現時点では若干方向が修正されつつあるものの,10年前の時点では効果の話がリニア新幹線沿線ばかり主張され,まるで整備新幹線5線(北海道,東北,北陸,九州(鹿児島と長崎))と同じような視点が持たれていた.これでは議論が広がるはずも無かった.沿線で友好団体が結成されていたが,これではまるでローカル新幹線であった.
ちょっと計算してみればわかる話であるが,東京-名古屋-大阪間にリニア新幹線が整備されると,都市間の所要時間が短くなるのは三大都市圏沿線相互間だけではなく,接続される「遅い新幹線」沿線にもおよび,全体の効果は沿線相互間だけに比べて数倍はある.リニア新幹線は「男の中の男」「女の中の女」じゃなくて「幹線の中の幹線」である.全国ネットワークの中の位置づけに関しての議論が必要であった.
残念ながら,リニア新幹線の全国ネットワークの中の位置づけに関しての議論は整備計画のための審議の中でも十分に行われることはなく,整備計画が策定された後の最近になってようやく国土計画の中で位置づけられつつあるようである.議論の手順が全く逆で,これではリニア新幹線の整備意義も整備方法も整備内容も満足に検討されるわけがない.実際,現行のリニア新幹線計画には幹線鉄道ネットワーク計画としては不十分な点がいくつか見られる状態にある.