鉄道で国づくり」カテゴリーアーカイブ

1931年の旅人(ベルリン0843発)

1931年の旅人の放浪7日目である.以下がこれまでの推定経路だが,「乗り鉄」と断言してもいいのではないかと思う.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

次の行程はベルリン発だ.そろそろ帰路につくかと思いきや…あった.これだ.

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ん?
ワルシャワ?…あれ?…昨日ポーランドをわざわざ遠回りしてベルリンまで来たのに,ワルシャワに行くなら昨日の行程の途中で降りて乗り換えた方が早かったのでは???

ベルリンを朝8時43分に出て,ワルシャワには18時35分着.よく見ると左隣に急行(EXP)が似たような時間帯に走っているのに,わざわざ値段の高そうな贅沢(luxe)列車に乗るわけね.きっとこの旅人はお金持ちだったんだ.

途中経路はさほどめぼしいものはなくて,ほぼ真っ直ぐ東である.ベルリンに行くのが遠回りだったと思ったが,ベルリン自体が遠回りなのね.しかし,なぜワルシャワ?

そういえば,数年前にアムステルダムから乗った列車はベルリン経由で行き先はワルシャワだった.時間的にはアムステルダムが夕方発,ベルリンが翌朝だったので,この1931年の旅人が乗った列車の「末裔」の列車だった可能性が高い.

さらに,このアムステルダム発の列車に連結されていた一部の客車は,さらに東のミンスク(ベラルーシ)行きという列車だったが,上の時刻表に「Stolpce」という駅名が見え,これはミンスクの50-60kmほど手前の都市のようだ.(そして,終着駅のNiegorelojeという駅は,ロシアとの国境手前の駅のようだ.)ますます「末裔」の列車だった可能性が高い.

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ということで,行程はこうなった.今ならこんな経路

【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835 (今日は珍しく単純な移動)

 

1931年の旅人(ウィーン1010発)

1931年の旅人の欧州放浪の旅6日目である.これまでの推定経路はこうである.夜行便に乗っているので,実はすでに6日目に突入している.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)

ウィーンに朝着いた.次はどこへ行くのだろうか? あった.これだ.赤い印の列車の時刻は,下から上へと見てゆく.

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夜行列車でウィーンに着いたら,滞在もそこそこに,10時10分発の列車に乗っている.次の目的地はベルリンだ.ドイツの首都.まだ第二次大戦前なので,ドイツは分断されていない.

この列車の経路はやや複雑だ.ウィーン(Vienna)を出て,そのまま北に向かってプラハ経由でベルリンに向かうかと思いきや,5時間後の15時36分発になっているBohuminはウィーンの北東方向のチェコの都市であり,ポーランド国境の都市だ.もちろん,プラハ経由でベルリン行きの列車も走っているが,そういうチョイスではないようだ.

さらに進んで,18時6分着のBreslauは現在はポーランドの都市であり,ここでほぼ真西のドレスデン方面行きと北西方向のベルリン行きに列車が分割(あるいは乗換)される.この都市のある地方はドイツ領だったりポーランド領だったりしたところかな?ベルリン方面行きは18時13分に出発し,この後は北西方向に真っ直ぐ進んで22時47分着である.

ということで,6日目の行程はこうなる.都市での滞在がほとんど無く,乗ることだけが目的のような行程である.

【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

まだ,1931年の乗り鉄の旅は続く.

1931年の旅人(ローマ0010発)

1931年の旅人の旅程5日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315

次はローマ発の行程を探す.これだ.

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次はVienna,つまりウィーンだ.ローマを0時10分に出発,ウィーンに朝7時31分着.つまり再び夜行便だ.まともな宿泊をしようとしていない.正に「乗り鉄」の発想である.ボローニャを通過するのが翌朝,昼12時50分にはベニスに到達するが,ここで3時間ほどの間を開けて,乗り換えるようになっているようだ.Mestreで降りてもいいが,あんなところで降りても大したものもないので(今ならゴムタイヤトラムが走っているが),ベニスまで行っただろう.

ベニスを15時40分に出ると,進路を北西方向にとり,ウィーンに翌朝7時31分に着く.車中2泊目だ.体がかゆくならなかっただろうか.

この列車は別のページにも時刻が掲載されている.下から上にたどる.

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これによると,ウィーンに到着する前に「Semmering」という文字が見える.どうやらこの列車は,今や世界遺産登録されているゼメリング鉄道を通過するようだ.(冬場の早朝なので,車窓はほとんど見えないかもしれないが…)

さて,経路を整理すると,下のようになる.今ならこんなルート

【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>
…Venice 1540 – (車中泊)(世界遺産センメリング鉄道経由)

 

大阪は副首都になれるか(かつての首都機能移転候補地との比較編)

副首都のロケーションのお話,今回が最終回である.

今回は,かつての首都機能移転候補地との比較である.副首都ということは,首都機能のバックアップを行う機能であるので,かつての首都機能移転候補地がそれに適している可能性が高い.すでに全国で数カ所が選定されるところまでは話が進んだ.

チェックポイントは東京都の同時被災の可能性がないか,単独での被災の可能性はどの程度か,新たに都市機能一式を1からそろえなくても既存の都市集積の機能を活用できるか,近傍の既存の都市の肥大化を招かないか,広域的なアクセスに不便はないか,などである.


【ロケーション】

具体的には「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」が既に選ばれ,リニア新幹線を想定した交通整備を条件に「三重・畿央地域」も選ばれている.

栃木・福島地域は、概ね栃木県大田原市、黒磯市、那須町、西那須野町、塩原町、福島県白河市、須賀川市、表郷村、東村、中島村、棚倉町、石川町、玉川村、平田村、浅川町にわたる地域である。

つまり,東北新幹線沿線のこの範囲あたり,塩原盆地から白河盆地あたりである.

岐阜・愛知地域は、概ね岐阜県多治見市、瑞浪市、恵那市、土岐市、可児市、御嵩町、笠原町、愛知県豊田市、藤岡町、小原村、足助町、旭町にわたる地域である。

つまり,愛知県東部〜岐阜にかけてのかなり広範囲な地域である.

三重・畿央地域は、概ね三重県津市、上野市、鈴鹿市、名張市、亀山市、関町、河芸町、伊賀町、島ヶ原村、阿山町、大山田村、青山町、滋賀県水口町、土山町、甲賀町、甲南町、信楽町、日野町、京都府南山城村、奈良県月ヶ瀬村、山添村にわたる地域である。

つまり,三重県中央の山間部〜京都府南部の山間部にかけての広範囲な地域である.


【地震リスク】

いずれも密集地帯ではないので用地確保はできるとして,まずは災害,特に地震の面である.今回も,以前に参照したこのファイルを見ながら話をしよう.詳しい震度については,こちらのサイトの方が便利である.

栃木福島地域は,首都機能移転地の議論をしていた当時はともかく,今となってはここを移転先にしなくて良かった感が無いではないが,現状における今後の状況を見ると,震度6弱以上の地震が30年間に発生する確率は,3から6%の範囲が比較的多く,大阪周辺の各地と比べると京阪奈丘陵の西側区域が同程度であり,それ以外の大阪近辺の地区よりもこっちの方がマシである.

岐阜愛知地域については,首都機能移転候補地選定をしていた時代に比べて東海地震の想定震源区域が名古屋市に近い場所までかかるようになったことも影響して,震度6弱以上の地震が30年間に発生する確率は,6%を越えており,26%超の区域も多い.今となっては首都機能移転候補地としては地震の面では今ひとつである.大阪周辺の各地と比べると,大阪湾の埋め立て地は論外として,多くの選定地と同程度の危険度である.京阪奈丘陵がややマシである.

三重畿央地域については,伊賀市付近でややリスクが高く,全般的に伊勢湾に近い地域でのリスクが高いが,それ以外については京阪奈丘陵と同程度になっている.伊勢湾岸に近い地域は大阪周辺の多くの選定地と同程度の危険度である.

ということで,概ねであるが,安全な順に…

栃木福島≧京阪奈西≒畿央>京阪奈東≧大阪周辺各地≒岐阜愛知≒畿央東>大阪湾


【首都との同時被災】

東京都の同時被災の可能性については,首都圏直下地震との同時被災の可能性自体は各地ともほとんど無い.だが,南海トラフ地震については首都圏直下地震と大きな間を置かずに連続して発生する可能性が否定できないため,実質的に同時被災になる可能性がある.そうすると,栃木福島地域を除いて地震のリスクの高い地区(リンク先のサイトでの地震カテゴリーⅠ)は,それはすなわち首都圏と同時被災の可能性が高い地区ということになる.そうすると,概ね上に書いた順はあまり変わらない.

栃木福島≧京阪奈西≒畿央西>京阪奈東≧大阪周辺各地≒岐阜愛知≒畿央東>大阪湾


【都市機能活用】

近隣の都市機能を活用できるかという観点では,栃木福島地域は,首都圏まで結構遠く,そもそも首都圏が機能しない場合に活躍しなければならない都市なので,あまり期待できない.郡山が比較的近いが,高度な都市機能の活用という点では課題がありそうである.

岐阜愛知地域については,名古屋がさほど遠くなく,活用できる.しかし,前述のように名古屋は東海地震の想定震源域上になってしまっており,首都圏との実質的な同時被災の可能性を否定できず,やはり課題が残る.

三重畿央地域については,東部については名古屋依存,西部については京阪神圏依存である.名古屋依存については岐阜愛知と同様の課題があるが,西部については南海トラフ系の地震による京都の壊滅的な被災はないと思われるので幾分マシである.

都市機能活用という点では,こうではなかろうか.

大阪周辺各地≧大阪湾>京阪奈西≒畿央西>京阪奈東≧≒岐阜愛知≒畿央東>栃木福島


【広域アクセス】

栃木福島地域は,東北新幹線や東北自動車道沿線であり,一応高速交通は整備されているが,日本海側には出にくく,西日本へのアクセスも課題が多い.空港は福島空港まで1時間ちょっとといった距離であるが,国際便が多数発着できるような空港ではない.

岐阜愛知地域については,リニアができれば沿線になるとともに,中央自動車道もある.中部国際空港も1時間ちょっとである.だが,首都直下地震と南海トラフ地震がほぼ同時に発生した場合を考えると,名古屋を経由してのアクセスが難しくなる可能性があり,長野方面にしか出られなくなる可能性がある.

三重畿央地域については,リニアの沿線になる可能性があるとともに,新名神高速もある.東部については名古屋依存で中部国際空港が近く,西部については京阪神圏依存で関西空港が近い(が,いずれもやや遠く,程度問題).名古屋依存については岐阜愛知と同様の課題がある.

ということで,広域アクセスについては,こういう感じだろうか.

大阪周辺各地≧大阪湾>京阪奈西≒畿央西≒栃木福島>京阪奈東側≧≒岐阜愛知≒畿央東


…ということで,大阪以外ならリニア前提で畿央地区の西側,大阪周辺なら関空アクセス整備前提で京阪奈丘陵あたり,という結論になるかな.


1931年の旅人(ミラノ1950発)

1931年の旅人の旅程4日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)

次はミラノ発の行程だ.あった.

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次の目的地はローマか? ミラノを朝9時半発の列車と夜19時50分発の2つの列車に印が付けてある.さて,どっちに乗ったんだろうか.その答えは別のページにあった.これがそのヒントだ.

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ローマ朝9時5分発の列車に印がしてあり,ナポリ13時15分着.そしてナポリを18時33分発の列車でローマまでの部分を赤く塗っている.つまり,ミラノに宿泊して翌日の昼行便でローマに行くことも考えたが,そのまま夜行便に乗り継いで翌日ローマで乗り継ぎ,ナポリまで行って数時間過ごした後,ローマまで引き返したのではなかろうか.

3日目の行程を修正して,4日目の行程はこうなった.ジュネーブからミラノまでの列車の検討過程で×印を着けた列車があったのも辻褄が合う.×印の列車だとミラノ発の夜行便に間に合わない.ミラノからローマまでは,今ならこういうルート.ローマからナポリは今ならこういうルート

【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)

【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315

こりゃぁ,相当な「乗り鉄」だな.

 

1931年の旅人(ジュネーブ1022発)

1931年の旅人の旅程3日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)

次はジュネーブ発の行程を探す.あった.

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次の目的地はミラノだ.パリからの列車も印が付けられており,ジュネーブで乗り換えてミラノに深夜着の便か翌朝着の便も検討したのではないかと思われるが,結局はジュネーブを10時22分発の急行で約8時間.ミラノに夕方18時02分着という便をチョイスしたようだ.12時50分発のものには×印が付いているので,何らかの理由でこれも止めたようだ.

経路は,ジュネーブからローザンヌ,ブリーク(Brig),ドモドソーラ(Domo d’Ossola)経由でミラノに達しているので,どうやらシンプロントンネルを越えたようだ.1931年の旅人は当時の世界最長のトンネルも通過した.シンプロントンネルは1905年には開通しており,1921年には複線化もされている.

トンネルをはさむブリークからドモドソーラまでの25miles=約40kmに1時間ほどもかかっている.トンネルは約20kmなので,トンネルを通過するだけで30分ほどもかかっていたことになるから,今の感覚なら青函トンネルを在来線特急で通過するような感覚か?

3日目の行程はこうだった.今ならこんなルート
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)

1931年の旅人(パリ1100発)

1931年の旅人の1日目は,このようであった.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)

次はパリから出発している列車の赤印を探すことにする.そうすると,見つかった.これだ.

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パリのリヨン駅08時05分発と11時ちょうど発との2つの列車に印がしてあり,左側にはパリとジュネーブに赤線が引いてある.次の目的地はジュネーブだ.

今ならTGVで東に向かってストラスブールへ,そこからバーゼルまで200km/h対応の高速在来線を南下し,そしてスイス国内を南下が最速か?.あるいはパリからリヨンまでTGVで南下し,そこからローカル線でジュネーブという経路だろうか.

旅人の経路は,パリからディジョンを経由しそのままPLM線(*)でBourg,東に向きを変えてCuloz,スイスに入ってジュネーブという経路のようだ.今なら半日もあれば十分到達できるが,この頃は1日がかりだ.

(*) PLM線…東海道新幹線に対する東海道本線の関係と,最初のTGVとPLM線の関係は,それぞれ高速鉄道と並行在来線.

リヨン駅08時05分発はEvian発着,11時発がジュネーブ行きで,両方に赤印がついているが,たぶん想像するに,早起きできたら08時05分発で出発し,どこかで途中下車して後続の11時発がジュネーブ行きに乗るつもりではなかったんだろうか.11時発の列車はスイスとの国境駅で約1時間の停車をしている.国境の検問があった時代だ.10時間あまりかけてジュネーブ着.

ということで,1931年の旅人の2日目は,このようだ.今ならこんなルート
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)

1931年の旅人(ロンドン1100発)

研究資料を集めていると,時として思いがけない出会いがある.今回は85年近く前の旅人の足跡と出会った.その足跡が残されていたのはこれである.

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おなじみ,トーマスクックの時刻表.ただし1931年11月号である.復刻版ではなくて本物だ.入手先を書いてしまうとミステリーツアーにならないかもしれないので,内緒である.なお,ここ1〜2年,世界中から古い時刻表を集めまくったので,今や古い時刻表はめぼしいものはほとんど手に入らなくなってしまった.「犯人」は私かもしれません.すいません.

この古い時刻表には所々に列車に印がしてあり,どうやら自分の旅程がわかるようにしてあるようだ.とすると,全ての印をつけた列車をつなぎ合わせると,1931年の旅人の移動経路がわかるはずである.

印のついた列車を端から端まで調べてみると,どうやらスタートはここのようである.

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ロンドンのビクトリア駅.午前11時ちょうどに出発する列車に赤字印がしてあり,この列車に乗ると,ドーバー桟橋に12時35分着.ここから船に乗る.

上の時刻表をよく見ると,左上に「THROUGH SERVICE」と書いてある.どうやら航送便だ.つまり,船に乗るのは客じゃなくて,列車ごと乗るということのようだ.ただし,夜行列車だけで,昼行便は乗換だった模様.

カレーから大陸に上陸し,夕方18時10分には,パリの北駅に着くようだ.列車名にGolden Arrow号も見える.赤印はここまで.列車はそのまま今はあまり使われていない短絡線を使ってリヨン駅まで行くが,旅人は北駅までのようだ.今なら,こんなルート

ここで1931年の旅人の1日目が終わった.明日はどこへ?
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)

整備新幹線国費2016年度は780.6ppm

 国土交通省は22日、2016年度予算案で、整備新幹線の地方負担を含めた建設事業費を15年度比450億円増の2050億円とする方針を固めた。

情報源: 整備新幹線事業費、16年度は2050億円

平成28年度の一般会計予算は96.72兆円.これに対して整備新幹線の事業費のうち,純粋な国費は755億円なので,比率を計算すると.

755÷967200=0.0007806
パーセント表記すると,0.07806%
まだわかりにくいのでppm(百万分率)表記にすると,780.6ppm

おぉ,だいぶ濃くなったと思ったあなた,昨年度の状況は下のようだった.つまり,濃度はやや低下傾向にあるので,念のため.

【祝】濃度上昇,新幹線が787PPMに!