鉄道で国づくり」カテゴリーアーカイブ

青函に200km/h貨物新幹線検討

最近の記事.「青函トンネル貨物列車問題」に対して,コンテナ貨物電車を青函間に運転し,トンネルの前後でコンテナを積み替えるというお話.

情報源: 青函に時速200キロ「貨物新幹線」検討 新幹線は東京へ最速3時間台 | どうしんウェブ/電子版(経済)

たぶん,みんな考えてると思うけど…

そのまま東北新幹線走って 首都圏とか,北陸新幹線使って 大阪とかまで走っちゃえよ.

碓氷峠がきついって? 後押し機関車付ければいいじゃん.

碓氷峠は,重たい200系新幹線でもゆっくりなら登れた実績があるので,後押し機関車ナシでも行けるかも.

まじめにコメントすると,整備新幹線のインフラはP荷重にしか対応してない高架橋もあるから5トンコンテナを積んだ本格的な重量級貨物列車は無理かな.P荷重に適合するような構造,つまり現行の新幹線のボディーに航空コンテナを積み込んで荷重が旅客列車と同等程度に収まるなら,新幹線貨物列車もあり得そう.郵便TGVみたいな奴ね.

#八戸駅北方の高架橋はN荷重にも対応している模様.P荷重だけってどこだったけなぁ.

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#金沢駅は旅客列車想定っぽいなぁ.

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どの程度まで耐えられるかは,構造力学の演習レベルでラフ検討できそうだが,いかんせん20年以上計算したことないので,何とも.

1931年の旅人(トキオ1655着)

1931年の旅人の長い旅は終わろうとしているが,旅程の最後の部分がナゾである.この部分を当時の日本の時刻表で解き明かすと次のようになる.資料はこれだ.

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鐵道省編纂汽車時間表(日本旅行協会)昭和5年(1930年)10月号.1931年ではないが,大きくは違わないはず.

まずは,哈爾浜から長春まで.寝台車食堂車つきの5列車というのがあり,哈爾浜を18日目の09時15分発で1931年の旅人の持っていた時刻表の表記と同じである.長春15時43分着.

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続いて,長春16時20分発の急行14列車(右側の急行)が見つかった.*印が付いているので5列車とは乗換になっている.奉天22時25分着.

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さらに,奉天22時50分発の釜山行き2列車(右端)が見つかった.この時代にはまだ「ひかり」の名称は付いていないようだ.安東という満州と朝鮮の国境の駅に翌19日目の07時00分着.

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そのまま安東を08時50分に出発して,途中,平壌が14時18分着,京城(ソウル)が20時50分着である.(ここから先,太字は午後)

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さらに,京城を21時05分に出て,終着駅の釜山には20日目の08時30分に着く.ここまで1931年の旅人の持っていた時刻表の時刻と完全一致である.

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その後,上の時刻表の最下段に釜山-下関間の連絡船の時刻も載っており,釜山10時30分発,下関18時30分着となっている.ついに本州着.

そして旅人が最後に乗った列車はこれだ.

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中央の下関 20時30分発,特別急行「富士」,東京は21日目の16時55分.着いた!

この1931年の旅人の特徴は…

  • 鉄道好き…当時は日本郵船の欧州航路があった
  • お金持ち…わざわざ一等車しかない列車を選んでいる
  • 出入国自在…シェンゲン条約すら無い時代なのにいろんな国に出入りできる
  • たぶん日本人

…ということで,1931年当時なら外交官あたりか?.なお,この1931年のトーマスクックの時刻表を手に入れたのは,山形県下の(山形市ではない)古書店である.東京に着いた後は山形に向かったかもしれないが,もはやそれを知るすべはない

最後に全行程を整理して,ミステリーツアーを終わろう.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)
【18日目】哈爾浜 0915 – 長春 1543(5レ)
…<乗換>…長春 1620 – 奉天 2225(急行14レ奉天行)
…<乗換>…奉天 2250 – (車中泊)(急行2レ釜山行)
【19日目】-(車中泊)- (平壌,京城経由)
【20日目】-(車中泊)- 釜山 0830
…<乗換>…釜山 1030 – 下関 1830(関釜連絡船)
…<乗換>…下関  2030 – (車中泊)(特別急行2レ「富士」東京行)
【21日目】-(車中泊)- 東京 1655 //

そろそろ冬休みも終わっているはずなので,お仕事お勉強を再開しましょう.

1931年の旅人(ハルビン0915発)

1931年の旅人はとうとうソ連も通過して満州国まで来てしまった.もはや日々の旅程を整理するだけでも大変だ.いいなぁ,シベリア鉄道.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)

次は…もうこうなったら,そりゃぁそうだよね.

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哈爾浜を朝9時15分に出て,途中Changchun(長春)が15時43分,22時25分にMukden(奉天),今の瀋陽に着く.哈爾浜-長春間が満州国国有鉄道京浜線,長春-奉天間は南満州鉄道連京線と言ったようだ.ご存じのように,この時代の中国北東部は満州国だった.

下の方に目をやると,その先の経路も赤印がある.最終行程はこうだ.

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奉天からChosen Manchuria Express (朝鮮満州急行?)という列車に乗っている.この時代の優等列車としては「大陸」「興亜」があるが,これらは1930年代後半の設定であり,1931年当時に走っていたのは「ひかり」か?

そして最終目的地は,Tokioつまり東京だ.この旅人は21日目の夕方に東京に着いたわけである.

【18日目】哈爾浜 0915 – (車中泊)
【19日目】-(車中泊)-(ひかり号で朝鮮半島南下?)
【20日目】-(車中泊)- 釜山 0830
【21日目】釜山- ??? – 東京 1655

最終日の経路は,この時期の日本の時刻表を見ればわかるはずなので,次回はその解き明かしと,全体行程の再確認をしてみよう.

初夢鉄道2016(西日本大震災編)

こんな夢を見た.

やはり起きてしまった.大中小の順番でやってくると言われている南海トラフ系の地震,今回は300年ぶりの「大」の番のようである.紀伊半島沖を震源として大規模な震源域がまず東に広がり,次いで東海地震が間髪を置かずして発生,M8クラス後半のようだ.そして数分後,揺れが収まりかけたその瞬間,今度は紀伊半島から西側へと震源域が広がり,さらに日向灘,沖縄方面へと岩盤破壊が進んだ.全部あわせてM9クラスか?紀伊半島の各市町村とは連絡が取れない.四国方面の太平洋岸も同じようだ.

何とか,リニアの東京-名古屋間は開業していたので,迂回ルートの確保はできた.だが,太平洋岸の発電所が停まっているところが多く,所定の本数が走らせられない.捌けない旅客は北陸新幹線経由で移動しているようだ.東海道新幹線は,やはり浜名湖付近の被害が大きい.砂地盤なので,津波と大振動のために地形そのものが変化してしまっている.こうなる可能性は1964年の新幹線開業時からだいたいわかっていたので,国鉄時代に無理をしてでも対策をしておけばという後悔があるが,今さら言っても仕方がない.

この西日本の震災発生から2ヶ月ほどして,何年か前から活発化していた富士山がついに噴火しそうである.大方の予想に反して山頂や宝永火口や南東の側火山ではなくて北東側の側火山が怪しい.リニアが通っている都留市付近まではやや距離はあるので火砕流は大丈夫だが,降灰がどの程度あるか楽観できるような状況ではない.多量の場合は火山灰除去のためにリニア求めなくてはならないかもしれない.

地域振興を裏目的として制定された副首都は結局大阪になっていた.震災前は順調に機能し,関西活性化に役立っていた.だが,今般の南海トラフ地震に伴う大津波は太平洋岸各地を襲うだけでなく,紀伊水道から大阪湾まで入り込み,淀川や大和川流域まで入ってきた.もちろん,大阪の中心街にも入ってきた.

もとより海抜の低かった大阪平野の海岸沿いでは浸水被害が大きく,大阪市内の主要な地下街は水没している.遮水対策はしていたが,全ての浸水経路を防ぎ切れていなかったため,当分地下施設は使えなさそうである.地下変電所もやられたので,大阪市内のかなりの部分で電気が使えない状態になっている.オフィスが機能しないので,市内に立地した副首都機能も満足に動いていない.地域活性化ばかりに目を奪われて,国土のリダンダンシーのことを後回しにしたツケが回ってきた.日本はぼろぼろの東京首都圏でなんとかしなくてはならなくなってしまった.

首都もぼろぼろ,主要国土軸もぼろぼろ,瀕死の状態になってしまった.国籍不明の偵察機が頻繁に上空を横切っているが,もはやそれをなんとかする力も残っていない.一寸先しか見ずに先見の明の無い指導者に導かれた結果がこれであった.

…というところで目が覚めた.

1931年の旅人(モスクワ1755発)

ロンドンを出発して9日目,とうとうソ連に突入してしまっている.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow 1025

さすがに,もう帰るよね.次は…

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うぉぉぉぉ,キターーーーーーーーーーーー.シベリア鉄道!!!

ベルリンが火曜,ワルシャワが水曜,モスクワには木曜に着いてその日の17時50分に出発すると,そこから先は金曜13時13分にViatka(現在のキーロフ),土曜08時04分にSverdlovsk(現在のエカテリングブルグ),日曜03時46分にOmsk,月曜10時35分にKrasnoyarsk,火曜12時50分にIrkutsk,水曜14時39分にKarymskaya,この駅はシベリア鉄道と満州方面への鉄道との分岐地点のようだ.そして木曜02時35分にManchuriaつまり国境の満州里,ここで8時間半も停車している.国境検問と台車交換だろう.金曜08時35分にHarbinつまり哈爾浜(ハルビン)に着く.国境から哈爾浜までは満州鉄道浜洲線,満鉄だ.

所要時間は1週間と14時間45分.銀河鉄道999みたいな表記だな.カナダの大陸横断鉄道に3日3晩乗ったことがあるが,それをはるかに超えるモスクワ発シベリア鉄道経由哈爾浜行き.(今ならシベリア鉄道のボストーク号か?)

【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)

ユーラシア大陸を横断してしまった.ということは…?

初夢鉄道2016(平成東京地震編)

こんな夢を見た.

東京オリンピックに浮かれていた熱もさめやらぬ20xx年,悪夢の一つ目が起きてしまった.首都直下地震である.大量の帰宅難民が出たことはもちろん,地盤の軟弱な密集市街地で発生した火災が猛威をふるい,大災害になってしまった.

比較的近年に建設したビルなどは持ちこたえたものの,首都東京には多数の古いビルや家屋があり,倒壊,火災等おびただしい.地震の規模は阪神淡路大震災程度あろうか.中心部の官庁街をはじめとするオフィス街そのものは助かったが,古くから更新されていなかったインフラ類——上下水道や初期の地下鉄・高架鉄道など——は倒壊したり致命的な破損が起きたりで使えなくなったものが多い.住宅を失った人も多く,仕事どころではない.住宅が残った人も通勤手段が限られていて,日々の生活が著しく非効率になってしまった.知人親類等が被災した人も多く,直接の被災を逃れた人々も仕事が手に着かない.

あれほど首都機能の移転やバックアップについて検討してきたものの,ほとんど実行されていないので日本全体が機能不全になってしまおうとしている.オリンピックに浮かれている場合ではなかった.今さら言っても仕方がないが.怪しい国籍不明の艦船や航空機が近海をウロウロしている.

東京駅へ達する在来線や地下鉄が機能しないので,東北上越北陸新幹線は大宮で折り返し運転である.東海道新幹線も小田原で本線を引き上げ線にしながら折り返している.リニアはかろうじて開通した直後で,インフラそのものは被害が少なかったが,電気系統や通信系統が不十分で満足に運転できない状態になっている.そもそも,アクセス交通が動いていない.

道路も首都高速の何カ所かで落橋があり—防止装置があったはずだが不良品があったようだ—ネットワークが十分機能していない.国道等の一般道は大渋滞だ.

結局,阪神淡路大震災の教訓はどれほど活かされただろうか.復旧復興作業に入り始めたその時,泣きっ面に蜂の事態が起きた.

専門家の大方の予想どおり,紀伊半島沖を…

ここで目が覚めた.

1931年の旅人(ワルシャワ0710発)

ついに放浪8日目である.1931年の旅人はどこへ向かっているのか.1週間の経路は北から南,南から北,そして東へとどう見ても放浪しているようにしか見えない.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835

さて,次はワルシャワ発の経路で印が付いているものを探すと,えっ,これだ.行けるのか?

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実質左端の1本しか列車がない.ワルシャワ朝7時10分発,モスクワ翌日10時25分着の急行列車だ.国境のNegorelojeという駅で中央ヨーロッパ時間から東ヨーロッパ時間に切り替わるとともに,3時間近くもの停車になっている.ロシアの入り口でもある.1931年だと既にベラルーシはソ連に加盟していたと思うので,国境検問が厳しいのはもっと手前のはずだが,どうしてこんなに長時間停車しているんだろうか.

ポーランドは軌間1435mmの標準軌,ベラルーシとソ連は軌間1520mmの広軌なので,どこかで乗換えさせるか客車の台車交換をしているはずなのだが,この時刻表だけではよくわからない.Negorelojeで台車交換しているのではと考えてみたが,この国境はベラルーシとソ連の間の国境である.ベラルーシは1800年頃までにロシア帝国の占領下に入り,1871年にワルシャワ〜(ベラルーシ)〜モスクワの鉄道が完成した後,第一次世界大戦でドイツの占領,独立などを経て1922年にはソ連に加盟しているので,最初からベラルーシは広軌鉄道だろう.ということで,単なる厳しい国境か?

ついに社会主義国のソ連に突入してしまった.この旅人は自由に国境を出入りできるような人だったのか?

スパイ?
スパイにしては足跡残しすぎだが…

【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow 1025

#2017/4/9追記
Negorelojeはベラルーシとソ連の間の国境ではなく,Minsk郊外の地区名のようである.Minskまでは標準軌で走行し,Minskで台車交換をするらしいと言う話もあるし,国境のブレスト中央駅構内で交換するという話もあるし,イマイチ正確な情報は不明.

初夢鉄道2016(地方創生編)

こんな夢を見た.

2015年春に北陸新幹線が出来た後,ずいぶん金沢が注目されてにぎわったせいもあり,地方創生に新幹線は有効だという社会的認識が形成されるきっかけとなった.翌年,北海道新幹線が函館市の北方まで出来た際も,函館まで新幹線で行って道南観光をした後,千歳空港アウトという観光ルートが一般的になり,こちらもそこそこにぎわった.

妙なプロジェクトに金を出すよりはこっちに出した方が確実だという話になり,財務省の査定は新幹線とそれがらみの案件は通りやすくなった.いわゆる整備新幹線も残工事の完成は時間の問題と言うことがわかってきたため,「新」整備新幹線の策定,つまり基本計画線のうち,有望な路線や区間を新たに整備計画にしようかという話になってきていた.

ある程度地域バランスをとりながら,数路線区が取り上げられ,整備計画になるとともに具体的な工事の段取りについても着手された.これまでの整備5線は昭和40年代策定で半世紀以上かかって完成していたため,時間のかかりすぎだと言うことを反省し,現実的な時期に完成できるように資金計画が練られた.新たな整備計画線は,そこそこ客数が多い区間や大都市部における区間など,沿線開発も重視しながらも実際の利用客数がある程度見込める区間が選定されている.

一方,リニア新幹線については相変わらず各種の申し出—名古屋以西の区間について何らかの公的資金を投入して早期全線完成するための各種の案など—については,断り続けていた.東京大阪間の鉄道の影響は非常に大きいので,このような態度を受け,企業の大阪からの流出は大きくなり,東海道新幹線の客数の名古屋を境に多段落ちが激しくなってきており,東海道新幹線の客単価が下がり始めていることが幹部の気になり始めていた.

北陸新幹線の敦賀以西のルートについては,一時期大幅な遠回りの提案もなされたりしたが,いわゆる小浜ルートの変形である京都経由案が現実視され,実際にそのようなルートで実現した.東海道新幹線へ京都から乗り入れる件についても例のごとく運営会社から突っぱねられたため,京阪間は淀川の南側を経由して大阪に達するルートとなり,山陽新幹線との直通運転が実現した.あれほど北陸新幹線とのシステム統合の費用ガーと叫んでいた割には,あっさりと東海道山陽新幹線と北陸新幹線系統のシステム統合が行われた.これにより,東海道新幹線経由の客はさらに減少することになってしまい,悩ましさを増した.あまり急がない客や北関東の客は,大地震をおそれてなるべく北回りで移動しようとする人が増えている.山陽新幹線沿線と直通することで北陸新幹線沿線への移転を考える企業も増えている.

リニアの工事は事前から言われていたように,南アルプスで難工事になったが,何とか当初予定通りの完成にはこぎ着けた.2027年秋には名古屋まで開業したが,東京側のターミナルが品川,西側が名古屋のため,北関東から関西に至るには東京駅と品川駅と名古屋駅で計3回もの乗換が必要になり,少なからぬ客が乗り換え無しの北陸新幹線に流れている.東海道新幹線での収益で名古屋開業時の借入金を返済し,大阪延伸工事をするつもりだったが,厳しい状況になりつつある.大阪の企業が中京圏に移転する例があるのが多少の救いであった.

「新」整備新幹線の検討がなされた際,その他にも多数の新幹線建設の要望があったが,現実的な期間内に建設可能な路線だけが選ばれたために幹線鉄道改良をどうするのかが課題になっている.フリーゲージトレインを当て込んでいたが,なかなか使い勝手の良い設計にすることができなかったため,FGT特急が走っている区間はかなり限定的であり,結局在来線改良もしなければFGT特急を走らせることも出来ないという話になった.このような背景もあり,全幹法の暫定整備手法の規程を台車の重いFGTをも考慮した枠組みに改正されることとなり,暫定整備手法の適用条件もかなり緩和されることになった.

…というところで目が覚めた.新年おめでとうございます.

1931年の旅人(ベルリン0843発)

1931年の旅人の放浪7日目である.以下がこれまでの推定経路だが,「乗り鉄」と断言してもいいのではないかと思う.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

次の行程はベルリン発だ.そろそろ帰路につくかと思いきや…あった.これだ.

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ん?
ワルシャワ?…あれ?…昨日ポーランドをわざわざ遠回りしてベルリンまで来たのに,ワルシャワに行くなら昨日の行程の途中で降りて乗り換えた方が早かったのでは???

ベルリンを朝8時43分に出て,ワルシャワには18時35分着.よく見ると左隣に急行(EXP)が似たような時間帯に走っているのに,わざわざ値段の高そうな贅沢(luxe)列車に乗るわけね.きっとこの旅人はお金持ちだったんだ.

途中経路はさほどめぼしいものはなくて,ほぼ真っ直ぐ東である.ベルリンに行くのが遠回りだったと思ったが,ベルリン自体が遠回りなのね.しかし,なぜワルシャワ?

そういえば,数年前にアムステルダムから乗った列車はベルリン経由で行き先はワルシャワだった.時間的にはアムステルダムが夕方発,ベルリンが翌朝だったので,この1931年の旅人が乗った列車の「末裔」の列車だった可能性が高い.

さらに,このアムステルダム発の列車に連結されていた一部の客車は,さらに東のミンスク(ベラルーシ)行きという列車だったが,上の時刻表に「Stolpce」という駅名が見え,これはミンスクの50-60kmほど手前の都市のようだ.(そして,終着駅のNiegorelojeという駅は,ロシアとの国境手前の駅のようだ.)ますます「末裔」の列車だった可能性が高い.

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ということで,行程はこうなった.今ならこんな経路

【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835 (今日は珍しく単純な移動)

 

1931年の旅人(ウィーン1010発)

1931年の旅人の欧州放浪の旅6日目である.これまでの推定経路はこうである.夜行便に乗っているので,実はすでに6日目に突入している.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)

ウィーンに朝着いた.次はどこへ行くのだろうか? あった.これだ.赤い印の列車の時刻は,下から上へと見てゆく.

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夜行列車でウィーンに着いたら,滞在もそこそこに,10時10分発の列車に乗っている.次の目的地はベルリンだ.ドイツの首都.まだ第二次大戦前なので,ドイツは分断されていない.

この列車の経路はやや複雑だ.ウィーン(Vienna)を出て,そのまま北に向かってプラハ経由でベルリンに向かうかと思いきや,5時間後の15時36分発になっているBohuminはウィーンの北東方向のチェコの都市であり,ポーランド国境の都市だ.もちろん,プラハ経由でベルリン行きの列車も走っているが,そういうチョイスではないようだ.

さらに進んで,18時6分着のBreslauは現在はポーランドの都市であり,ここでほぼ真西のドレスデン方面行きと北西方向のベルリン行きに列車が分割(あるいは乗換)される.この都市のある地方はドイツ領だったりポーランド領だったりしたところかな?ベルリン方面行きは18時13分に出発し,この後は北西方向に真っ直ぐ進んで22時47分着である.

ということで,6日目の行程はこうなる.都市での滞在がほとんど無く,乗ることだけが目的のような行程である.

【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

まだ,1931年の乗り鉄の旅は続く.