1931年の旅人の長い旅は終わろうとしているが,旅程の最後の部分がナゾである.この部分を当時の日本の時刻表で解き明かすと次のようになる.資料はこれだ.
鐵道省編纂汽車時間表(日本旅行協会)昭和5年(1930年)10月号.1931年ではないが,大きくは違わないはず.
まずは,哈爾浜から長春まで.寝台車食堂車つきの5列車というのがあり,哈爾浜を18日目の09時15分発で1931年の旅人の持っていた時刻表の表記と同じである.長春15時43分着.
続いて,長春16時20分発の急行14列車(右側の急行)が見つかった.*印が付いているので5列車とは乗換になっている.奉天22時25分着.
さらに,奉天22時50分発の釜山行き2列車(右端)が見つかった.この時代にはまだ「ひかり」の名称は付いていないようだ.安東という満州と朝鮮の国境の駅に翌19日目の07時00分着.
そのまま安東を08時50分に出発して,途中,平壌が14時18分着,京城(ソウル)が20時50分着である.(ここから先,太字は午後)
さらに,京城を21時05分に出て,終着駅の釜山には20日目の08時30分に着く.ここまで1931年の旅人の持っていた時刻表の時刻と完全一致である.
その後,上の時刻表の最下段に釜山-下関間の連絡船の時刻も載っており,釜山10時30分発,下関18時30分着となっている.ついに本州着.
そして旅人が最後に乗った列車はこれだ.
中央の下関 20時30分発,特別急行「富士」,東京は21日目の16時55分.着いた!
この1931年の旅人の特徴は…
- 鉄道好き…当時は日本郵船の欧州航路があった
- お金持ち…わざわざ一等車しかない列車を選んでいる
- 出入国自在…シェンゲン条約すら無い時代なのにいろんな国に出入りできる
- たぶん日本人
…ということで,1931年当時なら外交官あたりか?.なお,この1931年のトーマスクックの時刻表を手に入れたのは,山形県下の(山形市ではない)古書店である.東京に着いた後は山形に向かったかもしれないが,もはやそれを知るすべはない
最後に全行程を整理して,ミステリーツアーを終わろう.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)
【18日目】哈爾浜 0915 – 長春 1543(5レ)
…<乗換>…長春 1620 – 奉天 2225(急行14レ奉天行)
…<乗換>…奉天 2250 – (車中泊)(急行2レ釜山行)
【19日目】-(車中泊)- (平壌,京城経由)
【20日目】-(車中泊)- 釜山 0830
…<乗換>…釜山 1030 – 下関 1830(関釜連絡船)
…<乗換>…下関 2030 – (車中泊)(特別急行2レ「富士」東京行)
【21日目】-(車中泊)- 東京 1655 //
そろそろ冬休みも終わっているはずなので,お仕事お勉強を再開しましょう.