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1931年の旅人(ミラノ1950発)

1931年の旅人の旅程4日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)

次はミラノ発の行程だ.あった.

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次の目的地はローマか? ミラノを朝9時半発の列車と夜19時50分発の2つの列車に印が付けてある.さて,どっちに乗ったんだろうか.その答えは別のページにあった.これがそのヒントだ.

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ローマ朝9時5分発の列車に印がしてあり,ナポリ13時15分着.そしてナポリを18時33分発の列車でローマまでの部分を赤く塗っている.つまり,ミラノに宿泊して翌日の昼行便でローマに行くことも考えたが,そのまま夜行便に乗り継いで翌日ローマで乗り継ぎ,ナポリまで行って数時間過ごした後,ローマまで引き返したのではなかろうか.

3日目の行程を修正して,4日目の行程はこうなった.ジュネーブからミラノまでの列車の検討過程で×印を着けた列車があったのも辻褄が合う.×印の列車だとミラノ発の夜行便に間に合わない.ミラノからローマまでは,今ならこういうルート.ローマからナポリは今ならこういうルート

【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)

【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315

こりゃぁ,相当な「乗り鉄」だな.

 

1931年の旅人(ジュネーブ1022発)

1931年の旅人の旅程3日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)

次はジュネーブ発の行程を探す.あった.

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次の目的地はミラノだ.パリからの列車も印が付けられており,ジュネーブで乗り換えてミラノに深夜着の便か翌朝着の便も検討したのではないかと思われるが,結局はジュネーブを10時22分発の急行で約8時間.ミラノに夕方18時02分着という便をチョイスしたようだ.12時50分発のものには×印が付いているので,何らかの理由でこれも止めたようだ.

経路は,ジュネーブからローザンヌ,ブリーク(Brig),ドモドソーラ(Domo d’Ossola)経由でミラノに達しているので,どうやらシンプロントンネルを越えたようだ.1931年の旅人は当時の世界最長のトンネルも通過した.シンプロントンネルは1905年には開通しており,1921年には複線化もされている.

トンネルをはさむブリークからドモドソーラまでの25miles=約40kmに1時間ほどもかかっている.トンネルは約20kmなので,トンネルを通過するだけで30分ほどもかかっていたことになるから,今の感覚なら青函トンネルを在来線特急で通過するような感覚か?

3日目の行程はこうだった.今ならこんなルート
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)

1931年の旅人(パリ1100発)

1931年の旅人の1日目は,このようであった.
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)

次はパリから出発している列車の赤印を探すことにする.そうすると,見つかった.これだ.

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パリのリヨン駅08時05分発と11時ちょうど発との2つの列車に印がしてあり,左側にはパリとジュネーブに赤線が引いてある.次の目的地はジュネーブだ.

今ならTGVで東に向かってストラスブールへ,そこからバーゼルまで200km/h対応の高速在来線を南下し,そしてスイス国内を南下が最速か?.あるいはパリからリヨンまでTGVで南下し,そこからローカル線でジュネーブという経路だろうか.

旅人の経路は,パリからディジョンを経由しそのままPLM線(*)でBourg,東に向きを変えてCuloz,スイスに入ってジュネーブという経路のようだ.今なら半日もあれば十分到達できるが,この頃は1日がかりだ.

(*) PLM線…東海道新幹線に対する東海道本線の関係と,最初のTGVとPLM線の関係は,それぞれ高速鉄道と並行在来線.

リヨン駅08時05分発はEvian発着,11時発がジュネーブ行きで,両方に赤印がついているが,たぶん想像するに,早起きできたら08時05分発で出発し,どこかで途中下車して後続の11時発がジュネーブ行きに乗るつもりではなかったんだろうか.11時発の列車はスイスとの国境駅で約1時間の停車をしている.国境の検問があった時代だ.10時間あまりかけてジュネーブ着.

ということで,1931年の旅人の2日目は,このようだ.今ならこんなルート
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)

1931年の旅人(ロンドン1100発)

研究資料を集めていると,時として思いがけない出会いがある.今回は85年近く前の旅人の足跡と出会った.その足跡が残されていたのはこれである.

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おなじみ,トーマスクックの時刻表.ただし1931年11月号である.復刻版ではなくて本物だ.入手先を書いてしまうとミステリーツアーにならないかもしれないので,内緒である.なお,ここ1〜2年,世界中から古い時刻表を集めまくったので,今や古い時刻表はめぼしいものはほとんど手に入らなくなってしまった.「犯人」は私かもしれません.すいません.

この古い時刻表には所々に列車に印がしてあり,どうやら自分の旅程がわかるようにしてあるようだ.とすると,全ての印をつけた列車をつなぎ合わせると,1931年の旅人の移動経路がわかるはずである.

印のついた列車を端から端まで調べてみると,どうやらスタートはここのようである.

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ロンドンのビクトリア駅.午前11時ちょうどに出発する列車に赤字印がしてあり,この列車に乗ると,ドーバー桟橋に12時35分着.ここから船に乗る.

上の時刻表をよく見ると,左上に「THROUGH SERVICE」と書いてある.どうやら航送便だ.つまり,船に乗るのは客じゃなくて,列車ごと乗るということのようだ.ただし,夜行列車だけで,昼行便は乗換だった模様.

カレーから大陸に上陸し,夕方18時10分には,パリの北駅に着くようだ.列車名にGolden Arrow号も見える.赤印はここまで.列車はそのまま今はあまり使われていない短絡線を使ってリヨン駅まで行くが,旅人は北駅までのようだ.今なら,こんなルート

ここで1931年の旅人の1日目が終わった.明日はどこへ?
【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)

日本の公共交通政策が欧州と真逆な件

欧州では,都市間交通は自由化されて競争状態に置かれているが,都市内交通は運輸連合が組織されるなど保護状態&需給調整状態にある.ローカル線も地域経営が当たり前.

日本では逆に,都市内交通は2000年以降は自由競争状態が原則に置かれて,運輸連合を組織しようとすると「談合組織だ!」と言われてしまうというガラパゴス状態.ローカル線も「自由競争」の元に放置状態.

都市間交通についても,航空はともかく,新幹線については地域独占(路線独占)が許されて,公設民営の整備新幹線であっても形式的な入札すらせずに最初から運営事業者が決まっているという需給調整状態.これもガラパゴス状態.

これでええんか?

 

例の「Liège」駅のデザイン

車窓から見たまま.

例の「Liège」というベルギーの都市.無知な方はどこの田舎の小都市だ,などと言っていたが,ちゃんとフランス-ドイツ間の国際特急の停車する都市である.

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駅舎までは確認できなかったが,ホームの大屋根の構造が他駅とは明らかに違っており,デザインは凝っているようである.

そりゃぁ,怒るわな.

フランスの鉄道博物館の収蔵物(パリ発ロンドン行編)

古い欧州の時刻表を見ていると,パリ発ロンドン行きとかそういった列車が存在していることに気がつく.1990年代後半の話ではなく,1950年代とかそういった時代の話である.

パリ→鉄道→連絡船→鉄道→ロンドン

こういった乗り継ぎルートを「パリ発ロンドン行き」として一括表示しているのだと思っていたが,どうやらそうではなかった.本当に「パリ発ロンドン行き」という列車があったようである.

ミュールーズにある鉄道博物館の展示物にこういうものがあった.まずは,古い機関車.これは「パリ発ロンドン行き」に使われていたもののようである.

IMG_4034そして,その傍らにあるヘッドマーク,これが答え.

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さらにこんな模型展示もあった.

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なるほど,「パリ発ロンドン行き」である.日本にも鉄道連絡船は存在したが,基本は乗換であったかと思う.欧州では現在もデンマークがらみの列車の一部に,旅客列車をそのまま航送している列車が存在する.

 

 

 

北陸新幹線に荷物置き場…訪日観光客らに対応

ちょっと前に,こういう新聞記事があった.

 JR東日本とJR西日本は、北陸新幹線にスキーや大型のスーツケースなどを置くことができる荷物置き場を設置すると発表した。

情報源: 北陸新幹線に荷物置き場…訪日観光客らに対応 : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

こんなことで新聞で話題になるとは,実は情けないお話.

もちろん,車端部にはこういったバゲージスペースがあることが多いのだが…

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独仏あたりだと,こういうローカル列車でも…

IMG_3529こういう海外旅行で使うようなスーツケースが…

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そのまま,普通に頭上の荷棚に収まる.

IMG_3526というわけで,空港でもないのに,欧州の駅の客はスーツケースゴロゴロ転がしている人が多い.

いっぽう,日本の新幹線の荷棚は車体がデカい割に荷棚が小さく,小型のスーツケースしか荷棚には収まらない.車体の基本設計の問題やね.

 

 

ダブルスリップ×10以上

またまたバーゼル駅である.この写真にヨーロッパの駅の独特の構内配線が写っている.便利でもあり,遅れの原因でもあり.

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この線である.端っこから端っこまで斜めにゴリゴリと全線路を横切る渡り線.そして横切る際にはご丁寧に全箇所ダブルスリップスイッチ,つまりどちらから進入してもどちらにでも出て行けるという便利な分岐器が設置されている.この駅は左手前から右奥方向だけだが,駅によっては右手前から左奥方向にも設置されていることがある.

IMG_3315便利な分,高価であり,複雑である.そしてなによりも,これを使って端から端までゴリゴリと列車が駅に出入りしている最中は,他の路線の列車の発着が一切できなくなるので遅れの原因にもなる(高価でメンテが大変で遅れの原因になるので,日本ではまずやらない使い方らしい).

でも,これ見るとヨーロッパに来たなという実感があるよね.

 

 

欧州9か国鉄道の国際路線での検査強化で合意

こういう記事があった.

 【パリ=本間圭一】オランダからパリに向かっていた高速鉄道「タリス」車内でモロッコ国籍の男が発砲したテロ事件を受け、英仏独など欧州9か国の内相や運輸相は29日、国境を越える路線で乗客の身分証明書や手荷物の検査を強化することで合意した。

情報源: 欧州9か国、鉄道の国際路線での検査強化で合意 : 国際 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

DSCN4903このThalysという列車,再来週乗るんだが…ひえぇ

元々,パリ北駅のコンコースなどには仏軍の兵士が警戒していることが多く,日本には無い緊張感があった.国際便であっても気軽に乗れるのが鉄道の利便性の一つであったんだが,だんだんとそうも言ってられなくなってきたか.

どうぞ,何事もありませんように.