続・すずさんの嫁入り列車

先月のネタの続編である.

資料棚をよく見ると,すずさんの嫁入りの昭和19年2月により近い資料があるのに気がついた.

時刻表(昭和19年2号)4月

昭和19年前後の時刻改正は昭和18年10月と,昭和19年4月であり,今回書棚で「発見」されたものは昭和19年4月の改正分である.

さて,呉線はこうなっている.

広島駅11時5分発,大阪行き308列車,呉駅11時54分着.これが当該列車のようだ.

左上の改正関係の記述は「十九年四月一日訂補」つまり小修正だ.ということで,2月時点のダイヤもほぼこの通りだろうということになる.

この時期には呉線には「急行」は走っていなさそうである.大阪近郊区間に入ると,長距離列車は電車専用の小駅をすっ飛ばして運転していたと思うので,実質的にはそこでは急行のような運転だったと思うが,車体側面に「急行」の種別を表示して走っていたかどうだかはわからない.

…ということで,この件調査終わり.//

鉄道会社が減便始めたら「終わりの始まり」

乗客が減少している鉄道がしばしばとってしまう方策が「減便」

「経費節減で業績改善♥」

などと考えるのは事務屋さんのことが多いと思うが,乗客減の背景が理解されていないことが多い.

乗客が減る原因で多いのは,自動車と人口減だ.だがどちらへの対応であっても減便策は「終わりの始まり」である.きっかけはどちらでも結果は同じだ.

減便する(≒利便性低下)

自動車への競争力低下

乗客減(&沿線人口減)

減便する(≒利便性低下)

自動車への競争力低下

乗客減(&沿線人口減)

(以下,略)

死のスパイラルである.

「だって,関連事業の方が収益多いから大丈夫だもん♥」

などと考えているのは,その商業施設の客がどこから来ているのか考えていないことも多そう.鉄道ネットワーク上の客(や,その家族など)から収益を得ているのなら,鉄道事業の客数減は回り回って関連事業の長期収益減を意味する.

鉄道会社が減便始めたら「終わりの始まり」である.

#ちなみに道路側はというと,鉄道側が自滅してゆくので,人口減少の割には交通量は激減しない.

戦災孤児ヨーコちゃんの乗った汽車

ついでなので,先月の話題の続編である.何のことかわからない人は,イオン系列の映画館で再映しているみたいなので見に行くか,あるいは再び読み飛ばすかである.

先日出席した行政の会議の資料によると(交通関係の会議のはずだが,なぜかこの映画の上映会の案内のページがある…),無料上映会が3月にあるらしいので,京都府民なら行ってみるといいかも(要申込み).

 

さて,昭和21年1月にすずさんが妹を見舞うために広島市内西部の草津の親戚を訪れた後,広島市内中心部(爆心地付近?)で夫と待ち合わせ,その後,戦災孤児を呉に連れ帰る.その際,掘っ立て小屋のような改札口が映るのだが,そこにはいくつかの列車の発車時刻が書かれている.何とか読み取れるのは,この5本である.

  • 広行 17時44分発
  • 上郡行17時48分発
  • 門司行18時17分発
  • 広行 19時02分発
  • 東京行19時42分発

画面で目立つのは19時02分発の広行だが,17時48分や18時17分発がまだ案内されているようなので,山陽本線の列車ダイヤが大きく乱れていたか,あるいは,発車直前なので案内を次の列車に取り替えただけで,ヨーコちゃんは17時44分発の広行きに乗ったのかもしれない.直前の場面では西の空に薄明かりが残っているので,17時台の可能性の方が高いかな.

さて,この情報から戦災孤児ヨーコちゃんの乗った汽車は判明するだろうか.そもそも,この掘っ立て小屋はどこの駅?

広島市中心部から呉に行くには,横川駅か広島駅から汽車に乗車することになるが,5本の列車には「広行」が2本含まれている.山陽本線から呉線に直通し,広駅が終着という列車は皆無ではないものの短時間間隔で複数あることから,この「広行」は小運転列車,つまり近郊列車であると推測できる.とすると,横川駅ではなくて広島駅かな.直前に被災した広島駅の全景が映るので,広島駅だな.

じゃぁ,広島駅の時刻を調べてみよう.手元にあるのは,昭和20年1号(9月号),昭和21年2号(2月号),昭和22年特集号(12月)である.昭和20年9月以降21年1月までに昭和20年11月改正が挟まっているため,またもや完全ぴったりな資料は手元にない.

-**–**–**-

そもそも時刻表通りに列車が走っていたかという問題は存在するのだが,まずは昭和20年の9月改正時点の呉線の夕方の列車はこういう時刻である.

★昭和20年9月改正,広島駅発呉線方面(上り)

  • 広行 16時44分発 920列車
  • 広行 17時11分発 922列車
  • 糸崎行17時30分発 616列車
  • 糸崎行18時23分発 618列車
  • 広行 19時04分発 926列車

…ということで926列車が最も近そうなので,これか?と思ったが,沼は結構深かった.17時44分頃の広行きが存在しないばかりか,山陽本線の時刻がまるで違う.この時期の山陽本線下り門司行きは16時20分発,上り東京行きは14時ちょうどか未明の1時20分発だ.姫路行きはあるが上郡行きは存在しない.

-**–**–**-

じゃぁ次は昭和21年2月改正のものを見てみよう.

★昭和21年2月改正,広島駅発呉線方面(上り)

  • 糸崎行16時20分発 614列車
  • 広行 16時59分発 920列車
  • 広行 17時26分発 922列車
  • 糸崎行18時29分発 618列車
  • 三津内海行19時52分発 620列車

ありゃ,17時台に広行きは存在するが,19時過ぎの広行きが無くなってしまった.山陽本線の下り門司行きは16時10分発だ.

ところが,上り東京行きは19時42分発の門司始発32列車があるし,上郡行き17時48分発の門司始発224列車がある.ただし上郡行きはこの時点では岡山-上郡間が運転休止になっている.

んんー,よくわからない.

-**–**–**-

さらに昭和22年12月のものを見てみよう.

★昭和22年11月改正,広島駅発呉線方面(上り)

  • 糸崎行16時39分発 614列車
  • 広行 17時44分発 922列車
  • 広行 19時02分発 618列車

ということで,広行きの列車はこの時期のものがぴったりである.ところが,山陽本線下りの門司行きはこの時期のダイヤでは夕方には存在せず,上り東京行きは17時08分発の次は深夜の夜行急行になるので時刻が合わない.上郡行きも存在しない.

-**–**–**-

昭和21年1月ぴったりの時刻表が手元にないので,映画中のようなダイヤで運転されていた可能性は否定できないものの,いくつかの資料のキメラという可能性がありそう.

  • 呉線の時刻は昭和22年11月改正のもの
  • 山陽本線(上り)の時刻は昭和21年2月改正のもの
  • 山陽本線(下り)は不明

結論は,「よくわからない」

なお,この映画,夜空が描かれている場面ではその時点で見えていた星座が描かれていると思しきものもある(*)ので,他にも手がかりがありそうだ.

(*)すずさん夫婦が夏頃に呉市内の橋の上で語り合っている場面では,背後は南の空だと思うが,たぶん星の配置がサソリ座.

すずさんの嫁入り列車

久々の記事更新である.だが,今回のネタは大半の人には意味不明だろうと思う.映画ネタ系である.タイトルを読んでピンとこない人は読み飛ばした方が無難である.

広島県呉市というと最近は大和ミュージアムなどで知られているが,元々は海軍の軍港である(今も海上自衛隊の基地).webmasterの祖父も戦時中は呉の工場で大砲を作っていたらしいので,円太郎さんと似たような仕事を近くでしていたということだ.灰ヶ峰の大砲を作っていたのか,はたまた戦艦の大砲を作っていたのかは今となってはわからない.

祖父はあまり多くは語ろうとしなかったが,ひどい空襲が複数回あったこと,隣の広にも空襲があったこと,戦艦ヤマトを見たことがあること,そして原爆のキノコ雲が立ち上るのを見たことがあることなどを話していた.これらの歴史的出来事は映画の中でも描かれており,祖父はすずさんと同じ光景をリアルタイムで見たということのようだ.

さて,映画の中ではいくつかの交通機関が登場するが,いずれも結構描写が詳しい.このうち,昭和19年2月にすずさんが広島市内の江波から呉市内へと嫁入りする際に乗車した列車が気になったので,ちょっと調べてみた.

原作では,さらっと江波から路面電車で横川へ,そしてそこから汽車で呉へという経路が描かれているだけである.映画では広島駅のホームの様子と途中駅,そして走行中の列車の様子,呉駅到着時の様子が描かれている.

走行中の列車の様子からは32系客車編成された大阪行きの急行で,すずさん一行は三等車に乗車していること,呉駅のホームの時計はお昼前の11時55分頃を指していることがわかる.列車の特定できるかな.

昭和19年2月ジャストの時刻表は持っていないが,昭和17年11月号と昭和19年5号(12月号)なら参照可能だ.まずは昭和17年11月号から.

昼頃に呉駅に到着する列車としては,徳山発京都行き318列車(各停)の11時10分着,広島発大阪行き320列車(各停)の12時55分着,鹿児島発東京行き4列車(急行)の13時25分着が見える.このほかにも広島駅発呉行き918列車(小運転列車)の12時14分着がある.だが,大阪行きの急行列車は無さそうだ.

鹿児島発東京行き4列車は起終点間を乗り通すと車中2泊になる超長距離列車で洋食堂付きの寝台列車であり,「櫻」「富士」を名乗っていた優等列車の名残である.当時は呉市は全国的に見ても重要な大都市だったので,山陽本線ではなく呉線経由であったようだ.

さて,この後,すずさんの嫁入りまでには昭和18年2月と10月の2度ダイヤ改正がある.さらに昭和19年4月と10月に改正があった後の昭和19年12月のダイヤはこうなっている.(厳密には昭和19年5号掲載の時刻は昭和20年1月25日付け改正後のものであるが,呉線に関しては改正ではなく訂補となっており,小修正のみのようだ.)

昼頃に呉駅に到着する列車としては,広島発大阪行き312列車(各停)の11時46分着,広島発発東京行き6列車(急行)の12時30分着が見える.またこの表には無いが広島駅発呉行き914列車(小運転列車)の11時31分着がある.だがやはり,大阪行きの急行列車は無さそうだ.

改正を挟んでいるので,この間に呉線経由の大阪行き急行列車があった可能性は捨てられないものの,上の2つの時刻表では大阪行き各停と東京行き急行が昼頃に呉駅に発着している点は共通しており,昭和19年2月当時も実際はそうであったのではないかと思う.

ということで,すずさんの嫁入り列車としてはほぼ次の二択ではないかと思う(前者かな?).

(1)広島発大阪行き各停312列車(映画中での「急行」が間違い)
(2)広島発東京行き急行6列車(映画中での「大阪」が間違い)

#約30年前に神田の古本屋で見た昭和18年の時刻表を買っておけば良かった.(当時の売価1万8千円也)

新型新幹線−停電時に自力走行

【名古屋】JR東海は2020年度に運行開始予定の東海道新幹線の新型車両「N700S」に、停電時に自力走行できる機能を導入する。床下にリチウムイオン電池を搭載し、地震発生による長時間停電時にトンネルや橋梁から自力で走行して脱出。乗客を避難させやすくする。3月に完成する確認試験車に搭載し、実用化に向けて試験する。

情報源: JR東海、新型新幹線車両の床下にリチウム電池搭載−停電時に自力走行 | 商社・流通・サービス ニュース | 日刊工業新聞 電子版

似たようなシステムは既に地下鉄にもあったかと思うが,地下鉄車両が停電時に自力走行するのと新幹線が大地震時に自力走行するのとでは安全性が大きく異なる.

新幹線は大地震発生時に架線の電気を止めることで非常停止することになっており,まずはこの段階で被害を軽減できる.その後,停電が続いた際に電池で自力走行して適切な場所に移動させようということだろうと思う.

ところが,停電が長く続くような大地震の場合には走行しようとしている線路自体の安全性が保証されていないと考えられるので,場合によっては新幹線が動いたがために地震後の線路が二次的に壊れるという事態もありうる.

ということで,使えるのは大した地震動がなかった区間であるが停電が復旧しない場所や,たとえ線路が崩れるリスクがあってもその場に居続ける方が危険が大きい場所—例えばこんなところかな—からの脱出という使い方になるんだろうと思う.

なお,電池積むなら起動時の大電力を一時的に電池からも供給するようにすれば,時折やらかしてしまう「運転中止から運行再開時における変電所のブレーカー落としちゃいました事故」を防げる可能性なきにしもあらず,かも.

 

琵琶湖疎水と湖西線

琵琶湖疎水というと,京都の(そして明治期の)一大インフラ事業であり,琵琶湖から導水トンネルを使って水を琵琶湖から京都盆地に導くとともに,高低差を利用して水力発電が行われた.

電力は日本初の路面電車の動力源として使われたことは有名である.

さて,その琵琶湖疎水を使った観光開発が京都市で進みつつあり,お試しツアーに参加させていただいた.

琵琶湖側の疎水はこんな感じ.

そして,琵琶湖側の水路トンネルの入り口はこんな感じ.

ここを小さな船で川下り,ならぬ疎水下りをするわけだ.

行程のかなりの部分はトンネルで,ほとんどこんな風景.

案内のお兄さんの説明が楽しいので,退屈はしない.

この琵琶湖疎水ができたのは明治なので,後から出来た湖西線が一部でルートが交錯する.このため,湖西線建設時に疎水には新しいトンネルが掘られている.

https://www.google.co.jp/maps/@34.9944013,135.8231731,17z

山沿いの疎水公園というところが旧水路跡地であり,南端部分で湖西線の線路と重なっている.

…とまぁ,ここまでは案内のお兄さんが教えてくれるお話.

実は疎水と湖西線はもう一カ所でも交差している.地図の上で確認すると…

直線で結んでいるのが琵琶湖側からの最初の疎水のトンネルで,トンネル内で湖西線と交差している.水には動力源はないので,導水トンネルはほぼ水平であり,湖西線と疎水の高低差もあまりないはずなので,トンネル内でごく近接した状態で立体交差しているはず.

ということで,トンネルの内壁をよーく観察してみると…

小さなプレートがあった.おそらくこの直下を線路が走っているはずだ.

インフラ整備って既存インフラへの影響を最小限に抑えながら整備するので,結構面倒なことも多そうだな,と感じた瞬間である.

なお,お試し乗船客でこんなことに気づいている人は他にはいなさそう.

琵琶湖通船事業は,今のところ関係者だけしか参加できないが,そう遠くない将来に一般参加も出来るようになる模様.

新幹線台車亀裂(続^2・ハインリッヒの法則)

「亀裂は走行中にできた可能性」…運行中止なければ脱線の恐れもあった JR西日本

情報源: 【新幹線台車亀裂】「亀裂は走行中にできた可能性」…運行中止なければ脱線の恐れもあった JR西日本(1/2ページ) – 産経WEST

……ほらな.やっぱり.

14両編成(続・ハインリッヒの法則)

ハインリッヒの法則

○○トラブル

「名古屋駅+のぞみ号」の映像が映るので,JR東海の出来事のように見えるが,原因はJR西の方.

種籾食っちゃえキャンペーン

予算編成の時期になると,「無駄な」公共事業は止めてしまえ,というキャンペーンが在京マスコミによって繰り広げられる.

「無駄な」という枕詞がミソで,多くの人に「そうそう,必要なことだけして,無駄なことをするのは止そう」と考えさせるとともに,「公共事業は無駄だ」という印象操作に成功してしまうことが少なくない.

そういった報道では,本当に無駄なのかそれとも有効なのかという適切な調査や検討無しに「公共事業は無駄だ」と言わんばかりな内容が垂れ流されている.日々困っていることがあるからそっちに回せと.無駄じゃない公共事業の方が多いのにね.

さてさて,よくよく考えてみるとインフラ投資は各種活動を長期にわたってしやすくするものなので(あるいは補修費用なら今の機能を将来も維持することなので),いわば種籾(たねもみ)である.今,種をまいて,未来で収穫する.これがインフラ投資のはずだ.

文教関係費用や科学技術開発も種籾だ.今,種をまいて,未来で収穫する.同じだ.

インフラ投資も文教予算も技術開発も無駄だとキャンペーンすることは,いわば「種籾食っちゃえ」と言っているようなものだ.目先の利益に流されて,後々大変困ることを主張しているのかもしれない.

気をつけよう,甘い言葉と「種籾食っちゃえ」キャンペーン.

#貴重な技術を易々と外国に売り渡す企業とか,ブランドを簡単に売り渡す企業とかも後々後悔しそう.(その頃には,消滅しているかも)

30年で全国新幹線網を実現する方法

全国新幹線鉄道整備法に基づく新幹線ネットワークの基本構想(基本計画)に示されている新幹線を全て建設するには,整備計画路線の未完成区間を含めて概ね3000kmあまりの工事をしなければならない.

一方,毎年の建設費の確保状況は結構厳しい状況にあり,国費700億円台半ば,いろいろくっつけて工事費ベースで2000〜3000億円程度になっている.

工事単価は場所や時期によって違っており,㎞あたり50〜100億円程度という実績だ.年間の整備延長は30kmあまりといったところだ.

ということで,全幹法の残路線を建設するには,約100年を要するということになる.これでは時間がかかりすぎだ.これを何とか約30年で完成できないもんだろうか.

全幹法が定められてから40年以上経過し,もうしばらくすると50年にもなろうとしている.これほど放置され続けたインフラ計画は他に無いと思う.ということは,計画が定められてから時代が変化してしまっており,本来なら計画を抜本的に見直してもいい頃である.

さて,(どこをどう見直すかで,かなり揉めると思うが)計画を見直して,上記の約3000kmの路線のうち,1/3を新幹線以外の方法で利便性向上させることにすると,整備完成までの期間が100年から約67年に短縮される.

これから建設される新幹線は,毎時片道15本処理できるような新幹線は求められておらず,安くて速い,某チェーン店の牛丼のような路線が求められる.ウナギを注文したらドジョウやアナゴが出てきた,ではなく,牛丼が出てきた,である.建設単価を35%ほど安価にできたとすると,約67年の整備期間が43年ほどになる.

毎年の国費は700億円台半ばであるが,国家予算の750ppmとあまりにも小さいので倍増!…と言いたいところだが財政が厳しいのは確かだ.そこで,国費毎年1000億円,つまり+33%ほど,建設費ベースでも同程度の増額にすると,整備期間は約43年から33年弱になる.

これならば,現実的な全国レベルのインフラ整備の実行計画にならないだろうか.どうかな?

再び札幌駅を観察

またまた札幌に行く機会があったので,札幌駅を観察してみる.

相変わらず終着始発便が多く,この駅を出発してゆく列車の半分くらいは「回送列車」ではないかと思うくらい多い.長距離特急は致し方ないとしても,快速列車や普通列車までこの駅を終点にする理由はあんまり無いように思う.

ホームの利用効率は悪そうだが,もはやそれを改善できる人材もいないのではないかという話もあるようだ.

回送列車はともかく,このディーゼル機関車1両だけで一体何をしに来たのだろう.昭和時代ではないので客車列車は存在しないし,札幌駅を通過する貨物列車もなかったと思うし…

ううううぅぅ〜ん.

さて,札幌駅観察の目的は,今回は1番線2番線である.前回訪問時は主に西側からの観察だったが,今回は対面の3番線の東側からの観察だ.

1番線2番線を新幹線に転用する場合,建築限界の関係からそのまま転用するのではなく,いったん取り壊して新幹線用の効果を建設し直すことになっているらしい.

2番線と3番線の両方に在来線列車が停車した状態ですでに車両間隔にさほど余裕は無く,ここに幅が40cmも大きな車両が入るのは無理がありそう.
(回送列車のツーショット ↓ )

1番線2番専用ホームは高架橋上の台座のような上に乗っかっているだけなので,ホーム自体は幅の縮小が可能そうに見えるが,ホームに立っている鉄柱の上には屋上駐車場が乗っかっているので,それがやっかいだ

1番線の上には現時点でいろいろはみ出している模様で,作り替えるのも面倒そう.

困ったもんだね.