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都構想の陰で進行する大阪長期衰退の始まり(第5話-新幹線駅が都市圏形成編)

以下の一連の話の続きである.
第1話-新幹線偉大なり編
第2話-産業振興vs交流編
第3話-他の交通機関編
第4話-東海道vs中山道編

新幹線開業以降,東海道(旧街道)沿いは中山道沿いに比べて人口の増え方が明らかに違っているという話までした.では,その東海道新幹線の駅ができた都市はどのように変化してきたのだろうか.今回の話は前半が15年くらい前のThe21の記事の話,後半は最近の講演会等で使うスライドである.

下の図は,1)東海道新幹線の駅のできた都市,2)その隣接市町村,3)それ以外,以上の3つに沿線府県の市町村を分類し,合計の推移を1920〜1990年について示したものである.そのままの実数を示してもわかりにくいので,東海道新幹線の開業した1964年における人口を基準に同年が1になるようにしたものである.数値が1.2なら1964年の1.2倍の人口ということだ.

赤色の線で示した「新幹線駅有」については,1920年以降人口が増え続けていたが,第二次大戦中に農村部などへの疎開で人口がいったん減る.戦後,再び人口が増え始めるが,東海道新幹線の開業時期にピークを迎え,その後微減に転じる.

オレンジ色の線で示した「隣接市町村」については,1920年以降ほとんど人口に変化はなかったが,戦時中に疎開等で人口が増えたが終戦後も人口は維持され,新幹線の開業時期あたりから比較的近年まで増加し続けている.

青色の線で示した「それ以外」については,1920年代以降人口が減少し続けていたが,戦時中に疎開等で人口が増える.戦後は再び人口が減少し始めるが,新幹線の開業時期以降は人口は横這いになる.

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この人口の推移は一体何を意味するのだろうか.新幹線駅のある中心都市の人口が微減で郊外が増加,すなわち都市圏が拡大して人口のドーナツ化が生じているということである.都心は業務地区,郊外は住宅という都市構造ができつつある,ということであろう.これも新幹線の影響かもしれない.新幹線は大都市圏をつくる,ということだろう.

さて,では最近開業した新幹線についてはどういう人口推移の特徴があるだろうか.整備新幹線で最も早く開業したのは北陸新幹線の高崎-長野間で,1997年の秋であった.

下のグラフは,長野県の都市(市町村合併前の旧区分)について,2005年からの5年間の人口増加率を示したものである.赤色になっているのは新幹線駅がある都市,青色は新幹線駅の無い都市,一番上の緑色は長野県全体である.

まず,県全体の人口増減という点だけについて言えば,人口は減である.つまり,新幹線の開業は長野県の人口減を食い止め,人口増をもたらした,とは言えないということである.だが,これだけで「新幹線のストロー効果ガー」と喧伝し始めるのは気が早い.

新幹線の駅ができた都市(赤棒)は長野県平均のグリーンのラインよりも増加傾向が強い.絶対的には減少していても,その程度が小さいわけである.駅が無い都市は人口減の都市が多い.これは何を意味するのだろうか.

この状態を長らく続けると,新幹線駅のある都市には人口集積が見られるものの,それ以外では人口がまばらになり,結果として新幹線駅周辺に長野県の人口分布が集約された形になる,ということだ.もし新幹線が人口を吸い出すのなら,新幹線駅周辺の人口で顕著に人口が減少しているはずだが,そうではない.減っているのは不便な都市だ.

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では,その次に開業した東北新幹線の盛岡-八戸間はどうだろうか.下のグラフは長野県と同じ作図方法での岩手県のものである.ただし,岩手県下では盛岡以南の東北新幹線が1982年に開業しているので,それらについてはオレンジ色にしている.

そうすると,まず1982年に開業した区間の影響については顕著であることがわかる.1982年開業区間で駅がある都市は岩手県の人口増加率上位である.(だが,県の人口減を完全に食い止めるところまでは至っていない)

さすがに2002年に開業してた区間については2005年以降の人口構造が大きく変化するところまでには至っていないものの,旧二戸はオレンジ色の棒を除くと比較的上位だ.

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青森県下でも,八戸は県全体を越えているが,県南部だけに新幹線が開通した状態なので,全般的な影響については明瞭でない.

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分析年次が2005年から2010年なので,これ以降開業の新幹線については開業からの期間が短く,影響が段々不明瞭になって行く.

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JREA-005ということで,新幹線は駅を中心とする都市圏をつくり出しているわかる.それと同時に,新幹線だけで完全に県人口の減少を食い止めることが難しいこともわかる.

県人口はともかく,沿線都市は新幹線によって成長してくる可能性が高いため,「そんな田舎に新幹線などいらぬ」と高をくくっていると,何十年後かに立派な都市に育ってバカにできなくなる可能性がある.インフラの有り難みがわかっていない都市圏在住の方々は要注意である.

つづく

線路切替えなので振替えられてみた(振替輸送編)

さて,大阪市内で本屋に行ったりなんかして用事を済ませ,わざわざ振り替え輸送の時間帯に帰路についてみた.

北新地駅の電光掲示…あぁあ,宝塚方面で人身事故があったようで,遅れている.想像するに,現場は非常時の訓練のような状態かも…

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片町線区間ではたまに発生するが,地下線区間では大変珍しい「快速京橋行」.側面も「東西線経由」入り.

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京橋到着後は,入替信号機を使って引き上げ線へ.普段の京橋止めの列車とは逆方向なので,珍しい.

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ここから先は,環状線で森ノ宮,地下鉄で高井田,おおさか東線で放出という経路で迂回する.要所要所で巨大なカードを持った案内係の方が誘導するが,京橋駅での「本日の学研都市線の運転は終了しました」の声に「ええぇぇぇ…」という悲鳴に似た反応も.

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地下鉄に乗る前に振り替え輸送票をもらって…降車駅で回収.

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おおさか東線に1駅間だけ乗って,放出着.

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そこから臨時ダイヤの学研都市線で東方面へ.

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放出西側の引き上げ線を使って折り返す学研都市線の列車あり,いったん電車区に引き上げてから出庫してくる列車あり,急遽行き先を変更する列車あり,大変そうである.

普段よりも終電の時刻が1時間ほど遅く設定されており,午前1時半過ぎに長尾に着く列車が走って行って,臨時輸送体制は無事(?)終了.お疲れ様です.

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次は5月らしい.

京阪神JRの色使いが破綻している件-その後

京阪神のJR線の色使いが破綻している件について,ちょっと前に書いたが,3/14にダイヤ改正があった後,ちょっと色使いの方針が変わったようである.

以前は,いくつかの路線にまたがって運転されている電車の行き先表示の下線の色は,路線のラインカラーに合わせようとしていながらもどういう方針なのかイマイチわかりにくかった.

先日のこのコラムで「乗客としては行き先側路線の色に合わせるのが案内上は分かりやすいと思うのだが」と書いたが,どうやらその方針になったようである.

ただし,確認したのは片町線,いやもとい,学研都市線だけなので他路線がどうなっているのかはよくわからない.

従前の電車側面の行き先表示部分の列車種別下のアクセントカラーは…

快速宝塚快速木津普通西明石普通京橋,普通四條畷普通松井山手

最近は…

快速宝塚快速木津普通西明石普通京橋,普通四條畷,普通松井山手

ということで,若干改善した.ただ,学研都市線内の駅が行き先の場合は全てピンク色なのだが,駅名標のカラーは若草色のままでピンクではないのだが.

#鴫野駅の新しいホームの駅名標がピンク系になっているので,そのうち全駅ピンク系に変更するのかな.

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PORTRAM開業後の沿線民の会話

ふと気がつくと,富山ライトレールが開業して,もうすぐ丸9年,そして10年目に突入しようとしている.開業直後に富山を訪れた際,富山駅の北側の電停で待っていると,沿線利用者が会話をしている.

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聞き耳を立てると,次の電車まで30分ほど待つという.PORTRAMも夜間帯は本数が少ないので,小言も言いたくなるのが人の子というもの…と思ったら,どうやらそうではない.

30分待てば電車がやってくる,ありがたい,という話のようである.なーるほど「富山港線」は1時間に1本が当たり前で,終電も早かったのに対し,PORTRAMは30分も待てば電車に乗って家に帰れる,23時過ぎまで電車がある,ありがたい,という話のようだった.

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これって,営業主体工夫すればJR系の小会社立ち上げても良かったのに,そういう発想はなかった模様.ちっこい仕事はいちいちしてられねえってか?

#でも,そういう小規模なビジネスから次の一手が見えてくることもあるんじゃないのかな>大会社殿

新幹線との対面乗り換えが注目されて10年以上経過したんだが

九州新幹線が鹿児島付近の先っぽだけ営業していた時代,新八代で新幹線と在来線特急が対面で乗り換えできていたのは有名な話.これは便利だということで,同様の取り組みをしようと結構あちこちで盛り上がっていたんじゃないかと思うが,あれから約10年.大した設備ではないはずなのだが,1つも実現しない.

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システムの違う鉄道をホームの両側に乗り入れなければならないので,取り付け線の整備程度などはいるがフル規格新幹線建設などに比べて大幅に簡便なはずだったのだが…

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いや,べつに軌間可変装置を付けなければならないということはないんですよ.車両と装置が開発できたら後付けで付ければ良いだけで,FGTが実現するまで在来線と新幹線を接続してはいけないということはないんですよ.出来そうなところはやりましょうよ.

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長野駅から南方面とか,名古屋やリニア三重県駅から三重県南部とか,新大阪から日本海側各地とか和歌山とか,岡山を起点に各方面とか,小倉から大分・宮崎とか,鹿児島中央から宮崎とか・・・

新潟駅はいつ出来るんだったっけ?

#こういった小技についても,「整備計画」認定できるようにしようよ>国交省殿

北陸新幹線の設備を観察

Youtubeで北陸新幹線の運転席からの映像を見ることができるが,なかなか興味深い(画質がイマイチなのがちょっと残念).


まず長野駅を出発した直後(1:34)に差し掛かる分岐器である.長野駅は現時点では全列車停車であるので,長野駅構内の分岐器は高速運転仕様である必要はなく,他の新幹線路線でも全列車停車の駅は通常タイプの分岐器が標準である.ところが,長野駅の分岐器はわざわざノーズ可動式にしているように見える.分岐器を通過する際にも,ガタゴトという音は記録されていないようだ.将来的には長野駅通過列車が設定されることも考慮してあるのだろうか.しばらくして差し掛かる両渡りの分岐器(2:27)も高速通過対応である.車両基地への出入り口(4:48)は,もちろん高速通過対応の分岐器になっている.

トンネルに入ると,雪で見えなかった軌道構造がわかるが(6:40),九州新幹線あたりから採用されているローコストタイプの梯子形のようだ.映像だとずいぶんゆっくりに見えるが,長野-金沢間の映像が68分なので,ほぼ「かがやき」と同程度の運転のようだ.


飯山駅(10:38)は棒線駅でホームがあるだけ.そういえば,ずいぶん前に卒業生が,ただいま飯山駅付近軌道敷設中,と言ってたっけ.この附近は連続する急勾配があるが,特に遅くなるわけでもなく,淡々と走行.トンネル長いな.そして,East-iとすれ違い(14:27).

トンネルを出ると雪景色なのに軌道に雪は無く(16:33),このあたりは温水の融雪装置が付いているのかな.民家に近い区間では防音壁が一段高くなるが(17:37),透明で景色が見えるタイプ.これも九州新幹線にあったかと思う.


そして,新潟県知事が通過することを前提に設計していることについて激怒したという例の上越妙高駅にさしかかるが,駅の手前の両渡り分岐器は(17:51),もちろん高速通過に対応したものになっている.そして,通過後の片渡り(18:05)も高速対応.
そして再びトンネルだが,短い明かり区間は覆いで次のトンネルと連結されてしまっている(19:17).なぜか,断面が四角のトンネルと,丸のトンネルが接続されている(20:59).四角部分は雪覆いか?


糸魚川駅(27:01)も棒線駅.列車の運転本数が少なく,速達便を各停形が待避する必要が少ないため,設備の簡略化が行われているようだ.


トンネルを抜けて,黒部宇奈月温泉駅が近づくと,複線の軌道間の「谷」が深いようだ(34:56).ここに雪を貯める構造かな(貯まった雪はどうするんだろう).側壁が二重になっており,この間に雪を飛ばして下に落とす構造かな.そして高速通過対応の片渡り(36:23)を過ぎて,黒部宇奈月温泉駅を通過.ここも棒線駅.
しばらく走って入るトンネルの土被りが異様に浅い(38:21).


富山平野を突っ切って,富山駅へ.よく見ると,ちゃんと勾配標あるのね(43:35).それから,風速計(43:38).
新幹線にしては結構急な曲線をとおり(43:58)進路を南へ.減速しながら再び西へ.駅手前の分岐器はノーズ可動式ではなく(46:35),低速運転が前提のようであり,長野駅と違って通過は想定していないか,もしくは低速通過しかできないようである.富山駅を出た直後の分岐器には覆いがしてあるが,これは雪覆いというよりは左隣にマンションがあるため,分岐器や新幹線そのものに起因する騒音対策ではないかと思われる.富山駅の金沢方の両渡り(49:13)は長野や上越妙高とは異なり,フランジウェイのある切欠き付き通常タイプであり,高速走行は想定外.


さらに西へ.新高岡駅(55:06)も棒線駅.この設備は何だ?保守基地?(56:30)
そして,富山石川県境へ.このトンネルは計画変更に伴って掘り直したトンネルだったっけ(59:00).入ってしばらくは雪覆い兼サイレンサーか?
ここも保守関係?(1:03:20)


長野から1時間あまり.金沢着.駅手前の両渡り分岐器(1:06:25)は,やはり通常タイプで高速通過は想定外.通過時にカカンカカンと音がする.

ここまで.おわり.
#(騒音対策の可能性もちょっとあるが)長野駅が通過列車を想定して設計されているのは意外であった.

…で,北陸新幹線の行き先表示はどうなってる?

今は九州新幹線は鹿児島中央から博多までつながっているが,新八代で乗換の時期が数年あり,その時期のか鹿児島中央駅の電光掲示は下のようであった.

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新幹線は鹿児島中央駅を出ると新八代まで運転し,そこで在来線特急に乗り換えであったが,客への案内上は「博多行き」であったというわけである.列車の側面の行き先表示も博多行きだったかと思う.列車の一体性を前面に押し出した方法であった.

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同じく,東海岸を走る特急にちりんであるが,宮崎空港駅から別府駅に向かう列車の側面の表示はこのようになっていた.

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別府で乗換だが,博多までは実質つながってますよ,ということである.

さて,北陸新幹線が開業し,JR西日本のサンダーバードは都市間連絡列車としては金沢までの運転となった.富山まで行く人は金沢で乗り換えることになるのだが,サンダーバードと北陸新幹線は客への案内上,つながっているだろうか.逆に,富山から西に向かう北陸新幹線は「金沢止まり」になってないか.

京都や大阪の人にとって「富山」は消滅してしまっていないか?
あるいは,富山の人にとって「京都」や「大阪」は消滅してしまっていないか?

気分の問題と言えばそれまでだが,けっこう重要かもしれない.

ラスト・ワン・ステップの克服

交通バリアフリー法が施行されて15年,街の中の段差は縮小され,駅にはエレベータ等も整備されて,ずいぶん段差は解消されてきた.ところが,最後の1段がなかなか解消されなかった.ホームと電車の床面との間の段差だ.この段差のために車イスの人は単独では乗車することが出来ず,駅員の手を必要とするか,介助が必要となるのである.

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解消されない理由は,電車の乗客が増えると車両が沈み込むので,そのために少し高くしておかなくてはならないのだ,という理由だった.だが,エアサス式の電車は,エアサスの高さが一定になるように空気量が調節されているので,客数によって車両が沈み込むことは基本的にはあり得ず,この説明は「方便」のようであり,車両メーカーや台車メーカの方からもその旨,裏はとれている.

つまり,旧式の電車はともかく,最近の電車だけが走っている路線では,その気になれば最後の一段の解消が可能なのである.

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中には上の写真のように特定の出入り口だけちょっとしたスロープを設置することで段差を解消してきた路線も存在する.(2005年撮影)

DSCN1980そして,最近になってようやく,交通バリアフリー法に基づくバリアフリー計画に,このラストワンステップの解消を一部の意識の高い鉄道会社が目指すようになってきている.

ラストワンステップがバリアだと認識されるまでに15年,かなり長かった.

昭和の名残よ,さようなら

今日はやはりこの話題かな.

IMG_0218ん?…機関車の番号が違うって?…よく見てますねぇ.
そう,最終便の出発にカメラを持って出かけてはいけない.人だらけで,列車そのものは撮れない.撮影するなら情報を察知したらその際に撮っておくべきであって,最終日は人混みの雰囲気を味わいにゆく日である.

IMG_0221で,いつ撮ったかというと写っているカメラ小僧(カメラおじさん?)が半袖であることからわかるように,去年の夏である.今日(12日)は年度末近いので訪ねてくる人が多く,朝から晩まで職場.明日もそんな感じ.

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一応,JR発足後の豪華寝台列車,ということになっているが,知っている人は知っているとおり,昭和時代の子どものころにブームがあった「ブルートレイン」の内装を改装して緑色のペンキを塗ったものだ.機関車も私の小学生のころには既に走っていたものである.

IMG_0233お昼頃に札幌に向けて出発.

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途中にはさまっている食堂車も,元は電車の特急に組み込まれていた食堂車で,廃車を逃れて改造されたもの.つまり実は骨董品.

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個室寝台を最後にして…

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そしてまた,昭和の名残は行ってしまった.

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【祝】北陸新幹線延伸…福井先行開業は?

開業おめでとう・・・っって,まだ2-3日早いか.大阪にとってはうれしさも半分なり金沢開業といったところであり,金沢以東が近畿圏とのつながりを離れ,首都圏に取り込まれる記念日でもある.

さて,その先,金沢から西,敦賀までは7年後ということになっているが,その途中の福井市まで先行開業できないかなという話が出ている.福井を終点にするには用地買収して車庫作って等という話もあるが,東北新幹線の八戸の話を参考までにご紹介.

今は東北新幹線は青森まで走り,もうすぐ北海道へと行こうとしているが,長らくの間は八戸で止まっていた.線路は八戸駅で止まっていたかというとそうではなくて,北方にしばらく続き,現在は本線となっている線路上には,実は車庫があった.

その写真がこれ.車庫には入り口が2つあって,大きな左側の方が現在の本線になっている部分である.

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延伸工事が始まると,この車庫は取り除かれて・・・

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車庫は小さい方だけ残してスリムになり,今は本線になって新幹線の営業列車が走っている.
DSCN6439ということで,まぁ,敦賀開業までの数年間のためにこういった設備を作るつもりがあるのならできないこともない,ということである.なお,福井駅から白山車両基地のある松任までは70kmほどなので,新幹線なら20分くらい.松任まで回送する気があるのなら別途の設備は不要ということになる.少なくとも金沢駅にいったん入線させれば松任の車庫には入ることはできる.