投稿者「hatoko」のアーカイブ

ツッコミどころの多い地図(6)

今回は土佐くろしお鉄道の「野望」である.例の地図には,四国南部にこういう路線も描かれている.

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ご存じ,土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線である.この地図では全線予定線のままであるが,実際には南国市の後免から安芸を経て奈半利まで開通している.その先,予定線は室戸を経て宍喰方面まで続き,徳島県下の牟岐線につながる予定である.牟岐線付近は阿佐海岸鉄道として実際に甲浦まで開通している.

そして,さらに…

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西側の足摺岬付近では,中村(この地図ではなぜか四万十にちゃんと改名されている)から宿毛を経て愛媛県の宇和島まで予定線が延びている.実際には中村から宿毛の間が開業しており,宿毛駅は終端駅になっているが,そのまま延ばそうと思えばさほど難しくはなさそうである.

どちらも高知市に近い側が開通しているが,残る部分は県境を挟む区間であり,県境を挟む区間では一般的に移動数が少ない(ローカル線では通学客が多い)ために,さらなる延伸はかなり厳しそうな気配ではある.

新幹線鉄道開業50年

…の記念硬貨をゲット.(というか,換えてきてもらった)
東海道,山陽,東北,上越,北陸の各柄あり.IMG_8454

調べてみると,鉄道が記念切手になったことは過去に何度もあるけど,鉄道が記念硬貨になったのはこれが初めてかな?(瀬戸大橋とか,青函トンネルとかの記念硬貨はあったみたいだが)

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全柄共通なのが反対側で,デザインとしては,これが一番カワイい.(昔の新幹線若返り工事のマークに似ていると思うのは私だけだろうか.)

尼崎列車事故から10年

尼崎の列車事故からちょうど10年である.このサイトの前身のサイトにも当時のことを記事として書いたが,今,内容を読み返してみてあんまり状況変わってないなぁと感じた.以下,その一部.


…ここの大学でも2名の学生が命を失い、10名近くがけがをした。件の列車は、事故がなければ私の自宅の横を午前10時に通過することになっていたのだが、来なかった。テレビには惨状が映し出されている。列車は確かに来ない。血の気が引いた。仕事柄、事故の規模は即座に察しがついた。それからしばらく、マスコミの方々から毎日のように取材の電話がかかってきたが、事故原因を説明させて、言葉尻を捕まえて「鉄道は危ない」と言わせたそうなものが多かった。結局、テレビ出演から記事や番組のコメント等々まで、すべて断ったのだが、鉄道事故の発生頻度についての基礎知識の少ない方が多そうであった。

自動車事故で亡くなる方は年間1万人前後である。2005年は飲酒運転の取り締まりなどが功を奏したのか、7,000人程度まで減ったようだが、それでも鉄道の乗客として事故死する方の数とは1~2桁違っている。運んでいる量が自動車の方が多いことを考慮してもかなり多い。(この大学でも毎年数名の学生が自動車やバイクの事故で命を失っている。事故でけがをする人数はもっと多くて、私のいる学科だけでも、各学年1~2人ずつ交通事故に遭っているようである。)マスコミの取材電話で、「今回の鉄道事故は確かに大惨事です。ですが、あなた方は、毎日毎日、新聞記事にもなっていない自動車事故が多数発生していることをご存じですよね? それでも鉄道の方が危ないですか?」と話すと、たいてい同意する。そして、つまらなさそうに電話を切る。確かにあれは大事故であって、まさに私が日々通勤に使っている電車(事故列車の運転士が運転する列車に私も日々乗っていたはず)が危険だったわけだが、だからといって電車通勤をやめて自動車で通勤しようというキャンペーンなど張っていただいては、かえって事故で死ぬ人の数が増えることになってしまう。100名以上の方が亡くなるような事故が発生したとしても、みんなが自動車に乗ればもっと事故死する人の数は増えてしまう。

だがやはり鉄道の事故は重大である。航空機や自動車は、鉄道に乗ることによって事故を避けることができる。だが、鉄道が危なくなっては、もはや代わりの交通機関がない。…


正しく安全面での規制が行われ,正しく設備投資していれば,防げた事故であった.後者は良く言われている話であるが,前者は今だ誰も指摘できていない.

神戸市営地下鉄と阪急を直通運転するっちゅう構想はどうなったっけ?

そういえば,かつて神戸市営地下鉄と阪急神戸線を三ノ宮で直通運転するという構想があったけど,あの話どうなったっけ?

DSCN1532地下鉄三宮駅から東方をのぞくと,営業線は北方(新神戸方面)に曲がっているが,直進方向には保守車両が置かれている空間がうっすら見える.ここが将来の連絡線予定空間???

東京界隈ではどんどん都市交通プロジェクトが進行しているが,京阪神圏で進んでいるのは,おおさか東線くらいか.

関西って鉄道インフラ整備弱いね.

電源を切り替えますので…

かつて,大阪から北陸方面に特急に乗って行くと,近江塩津の手前(その後,敦賀を過ぎたあたり)での恒例行事があった.

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頭上の架線から供給される電源を低圧の直流から高圧の交流に切り替えるために,いったん車内灯が切れ…

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そして,再び点灯.モーターの音も少し変わった.車内灯は「電動発電機」なるもので走行用の電気から灯具用に変換されていたので,切り替え中はいったん発電機が止まったからだ.電源が切り替わって長いトンネルに入ると北陸に来たなと感じたものだ.たとえ夜でも電源は切り替えられるので,車内は真っ暗になる.

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こういう古い電車ですね.

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今は「電動発電機」ではなくてインバーターで低圧に変換した後はいったんバッテリーに充電して,それを使うようになっているようなので,北陸に突入したからといって車内が暗転したりはしない.

長距離列車に乗っていると,その地にやってきたことを実感させる「サイン」があるが,北陸新幹線になったら,なにがサインになるんだろうか.

#阪和線で和歌山に入る場合は「紀ノ川鉄橋」,東海道新幹線で東京に着く前には進行方向右なら「花キューピット」…etc.

ツッコミどころの多い地図(5)

今回はナゾの新幹線である.

この(いい加減な)地図では,新幹線は赤色で示されているのだが…

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こんなところに北陸新幹線? いやいや,これは北越急行線.長野のことを気にしなくても良いのなら,北陸新幹線はこのルートでもよかったかもしれないが,さすがに基本計画ですらこんなルートはない.

単線の在来線を新幹線として描くとはなかなか大胆な地図である.

交流人口のワナ

人口減少局面である.

減った人口の分は,交流を拡大して「交流人口」で埋めればよいという.確かに外国から訪れてくれるのなら,訪れた「交流人口」で減った人口の分を埋め合わせができる.でも絶対数はそんなに大きくないよね.

じゃぁ,国内の交流を拡大することで人口減は埋め合わせできるのか?

確かに交流を行って,訪問を受けた地域では「交流人口」の分だけ穴が埋まるかもしれない.だが,交流している間の「空き巣」では交流人口の分だけ減ってるんじゃないのか,とも思う.

ふるさと納税でいろいろ物色していて,ふと感じる今日この頃.
( ↑ 米とか果物につられてんじゃねぇよ)

ツッコミどころの多い地図(4)

今回も北海道である.下の写真の伊達市から洞爺湖の東側を経て倶知安に至る「胆振線」は比較的有名で,昭和新山の活動に伴って影響を受けたのは有名なお話.1986年に廃止されて30年近く経過するが,いい加減な地図上では切れ切れになりながらも,なぜか国鉄線?として存在している.

廃線せずに残しておけば観光路線になりそうな気がするが,国鉄末期ではそういう発想もなかっただろうな.

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倶知安の西側にもナゾの路線が描かれている.予定線としては,函館本線の黒松内から寿都付近を経て岩内までが描かれており,このうち,黒松内から寿都方面には寿都鉄道という鉄道が開業していたようだ.

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岩内で黒松内からの予定線は終わっているが,その右側の共和というところ付近に鉄道線を消した痕跡が残っている.実にいい加減な作図である.どうやらこれは岩内線という1985年に廃止になった路線のようであり,函館本線上の小沢から岩内を結ぶ15キロほどの路線で,上の予定線とあわせると函館本線のバイパス線のような経路が出来上がったようである.

まだこのいい加減な地図の探訪は続く.

ツッコミどころの多い地図(3)

古い地図はいろいろ面白い.

北海道の話は続く.名寄の西側にどこにもつながらないナゾの「予定線」が描かれている.朱鞠内湖付近から始まって,西は羽幌(のちょっと手前)までの路線である.これは何だ?

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調べてみると,名寄から朱鞠内湖を経て羽幌までの路線が鉄道敷設法で予定されており,このうち,東の方の名寄と朱鞠内湖の間は実際に建設されて深名線の一部になったようだ.深名線は朱鞠内湖付近から南下し,函館本線の深川まで達していた.

未開業区間は名羽線と名付けられ,沿線には炭鉱があったようなので石炭輸送目的の路線と重複する羽幌付近の10㌔あまりが炭鉱鉄道として開業していたようだ.

深名線は1995年に廃止されており,この地図からも消されている.ということは,元々描かれていた深名線だけを消して予定線はそのまま地図に残したので,このような変な場所に予定線だけが残されたということのようだ(まぁ,作図がいい加減だということ).

同じく西側についても炭鉱鉄道が廃止されるとともに,接続されていた海岸沿いの羽幌線も廃止されてしまい,残ったのが地図の予定線というワケのようである.

おかげで,何かと興味深い地図になったわけだが,まだまだツッコミどころは多い.

京都・四条通は「道路工事で渋滞」か?…社会実験時を振り返る

なぜか普段の10倍もアクセスがあり,どうやらこの話が気になっている人が多そうなので,続きである.
京都・四条通、道路工事で渋滞慢性化 観光客「歩いた方が早い」 : 京都新聞.
京都・四条通は「道路工事で渋滞」じゃないよ

現在進行形の四条通の歩道拡幅事業は7年半前の「トランジットモール社会実験」が原点である.原点ではあるが,7年半前の「トランジットモール社会実験」は本物の「トランジットモール」とは似て非なるものなので,あれがトランジットモールだと信じてはいけない.別物である.

まずは,7年半前(2007/10/14)の最初の写真.烏丸通り側から河原町通り方向に歩いて行く.すでにこの写真の段階で,重大なヒントがある.説明は後ほど.

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当時の交通規制内容がこれ.ここにもヒントが.

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当時も左折レーンが準備されていたことがわかる写真.ただし,ここは四条烏丸交差点の東側部分で,細街路への左折レーンではない.

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バス停部分.当時はバス停部分は「バスベイ」になっており,楽にバスが追い越せた.

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さて,何が現在と違うか,おわかりいただけただろうか.

  1. 現在は自家用車も進入できるが,当時は自家用車が進入禁止になっていた.
  2. (細街路が車両通行止めで)四条通は直進のみであった.
  3. 直進のみなので,左折レーンはなかった.
  4. 現在はバス停部分が半島状に突き出ているが,当時は「ベイ」になっており引っ込んでいた.

ということである.遠い北欧の都市街路も参考になるが,まずは原点がどうであったか再確認する価値はありそうである.

なお,当時はバスが「トランジットモール」には似つかわしくない高速度で四条通をびゅんびゅん突っ走っていた.

# 何度も言うが,本物の「トランジットモール」とは似て非なるものであり,別物である.